カルマート

 アストレアは四方を海に囲まれた大陸である。


 現実とは違い球形の大地に存在しているわけではない。六千キロ四方を想定した正方形。平面のマップ上に配置されている。

 仮にひたすらに真っすぐ移動し、海を越えマップの端に到達した場合、対象は壁に突き当たることなく対角線上の端へとループする、いわば閉鎖された世界である。


 ただし、それは変異以前の話。 


 何処でもいい。大陸を抜け海を進む。

 あるはずの世界の境界を越え、更にその向こうへ。

 ループすることなく。まっすぐに。


 やがて陸地に突き当る。


 もっとも可能性の高いのは、アストレア取り囲むように北から東をまわり、南へ抜けるセレスタと呼ばれる、この星最大の大陸である。


 最大、とはいえその大きさは北アメリカ大陸ほどで、地球のユーラシアとは比較にならない。が、アストレアの紛れ込んだこの惑星、ソナスの直径は地球のそれよりはだいぶ小さい。

 かつでエルドはそれをユーラシアほど、と誤認したが惑星の大きさに対する大陸の比率を思えばそれも無理はないことだったのかもしれない。


 そして当然の事ではあるが、この大陸には文明──国家が存在する。

 旧神が生み出した、この星本来の住人、本来の文明が。


 国の名をリムニア王国という。


 400年ほど前に祖王、リノス一世によって建国されたこの国は、わずか50年程ですべての国家、すべての大陸を平定し、唯一の国家となった。

 その血は途絶えることなく連綿と続き、その後も様々な動乱を経てなお滅ぶことなく、今日までの長きにわたり単一国家による統治を実現した。


 そう。この世界。民によってソナスと名付けられたこの星の上に、国はただの一つしか存在しないのだ。


 当然、アストレアの傍にも彼の王国に属する都市は存在する。


 ゲーム上のエリア最南端。獣人種の開始点であるハッシュ公国から境界を越え、更に南に500キロの位置。セレスタ大陸の最南端。


 そこに王国の公爵領、カルマートという都市があった。


 王都、レントに次ぐ第二位の都市となるこの地は、他大陸との物流、交易の中心地として王国において重要な位置を占める都市である。


 先述のとおり、世界の統一後も争いは事あるごとにあった。だがそれも徐々に減少し、最後にそれが起きたのは150年も前の事である。カルマート領もまた──もちろん天候や自然災害などによる影響を受けることは何度もあったが──同様に平和な時を重ねていた。


 ──先年までは。


 領主である公爵、クラル・コルネットはその居城の一室、執務室でここ数か月の、状況の変化に頭を抱えていた。


 海路上の異変。

 二か月ほど前。カルマートの外洋。ツィスィスと呼ばれる大洋。

 そこに巨大な大陸の存在が確認された。


 それが何時、大洋に現れたのかはわからない。

 火山の隆起も爆発もなく。

 地震が発生することも、津波がおこることもなく。

 あまりにも静かに。


 大陸の存在は知られることなく、ただ海洋の異常のみが人々に、静かにひろがっていった。


 曰く、その海域では太陽が黒く染まる。

 曰く、その海域では、物語に現れるような巨大な蛇やタコの怪物が生息し、それにより通りかかる船が沈められる。

 曰く、軍がそれを秘密にしている。


 そんな話が船乗りたちの間で囁かれ始めたのは、先年、秋も終わりの頃の事である。

 昔からある自然災害をオカルト化しただけの与太話。と、一蹴できたのも最初の数か月までだった。


 港に戻らない船の数は、この与太話が広まるのにあわせ増加の一途をたどる。

 自然災害による海難事故とは言い切れないほどに。


 被害はくだんの海域のみならず、少数ではあるがカルマートの沖合でも報告された。


 領主の承認を得て、軍に調査命令が出たのもこの頃である。


 観測船1隻と戦列艦2隻。フリゲート艦5隻によって編成された調査団は、ツィスィスの海を縦断するように、北に向けて進む。

 予想通り、怪物との遭遇率もそれに合わせ上昇してゆく。

 そう。のだ。怪物の存在を。


 海上だけではない。

 途中に発見、上陸した孤島でも、巨大な怪物や巨人と遭遇した。


 王国の技術レベルは産業革命初期のヨーロッパに等しい。


 ようやく蒸気機関を手に入れたばかりの王国の武装では、鋼を超える硬度としなやかさを持つ怪物たちを前に無傷で勝利を収めることは叶わず、一隻、また一隻と、その数を減らしていった。


 進むほどに太陽は欠けてゆく。

 初めは僅かに欠ける程度だったそれは、明確な部分日食となり、やがて皆既日食へと至る。


 黒く染まった太陽の下、それでも世界が夜の闇に包まれることは無い。

 代わりに空は赤く、雲は墨を巻いたような黒へとその色を変えた。


 あまりにも歪な、世の理から外れた光景。

 その中を更に船は進む。


 やがて遠く霞む先にそれは現れた。


 海図には存在しない大陸。


 その時点で残る艦船は戦列艦1とフリゲート艦2隻のみ。

 結局上陸を果たすことなく、調査団は帰還を余儀なくされた。


 黒い太陽。呪われた地。


 既に噂はカルマート領全土に広がり、船乗りの中で知らぬものは居ない。


 調査隊の帰投後、公爵は航路維持のため、軍を派遣し大規模な怪物の駆逐、掃討を行ったが、平和な時代を安穏と過ごしてきた彼らの力では、数十体の魔物を駆逐するのが精々である。

 最終的に、クラルは航海上の安全を優先。大陸周辺、数百キロ圏を大きく迂回するルートの遵守を布告した。


 それがつい先日の事である。


「さて、王になんと報告したらよいものやら……」


 クラルはそう呟くとソファーに深く体重を預け、やや後退を始めた頭部に手を当てた。


 問題は海路云々のみではない。大陸そのものにある。

 上陸、調査こそ実施してはいないが、彼の大陸に文明が存在することは疑いようもなく、それが王国に対し友好的である保証もない。


 ──そもそもあの大陸はどうやって発生したのだ?


 天井を睨みながら、クラルは思考を巡らせる。


 何の兆候もなく、これまで存在しなかった大陸が自然に発生するなどあり得ない。

 しかも文明を有して?

 特異な生態系まで確立した状態で?

 断じて自然発生などではない。

 では人の手によるものなのか?

 それこそ荒唐無稽な話だ。

 ならばどうやってあんなものが現れる?

 あり得ない。ならば──


 ──ならばあれは神の手によるものなのか?


 思考がそこに行き当たった時、クラルは自嘲しながらパチン、と自らの額を叩いた。


 それこそあり得ない話だ。と。


 彼は無神論者である。

 神など創作物に過ぎない。

 そう思い、首を振りながら『ならば、神は何を我らに望んでいるのか』と、自問する。


 とりとめの無い思考にクラルは顔をしかめ、首を横に振った。


 気分を変えよう。そう思いソファーから立ち上がり窓辺に向かう。

 ふと、外から聞こえる子供の声に目を細め、視線をそちらに向けた。


 美しい庭園がそこに広がっている。

 一人の少年がその小道を笑顔で駆け抜け、その後を一人の少女がやる気のなさそうに追いかけている。

 黒い、この世界では目にしたことのない衣装を見に纏った少女が。


 目で少女の姿を追いかけながら、クラルは右手を額に当てた。


 ゆっくりと思案気にこめかみを揉み、小さく息を吐きだすと、海軍の将校から上がってきた報告の内容を思い出す。


 海洋の異変が噂される二月ふたつきほど前、カルマートの沖合で一艘の小さな船が発見された。

 乗っていたのは一人の少女。

 船は王国では理解も、再現も出来ない素材、理論で構成されていた。

 乗っていた少女は見たことのない服を身にまとい、理解の出来ない奇怪な術──魔法を使い、海の怪物をたやすく葬り去ったという。


 そう。軍が手を焼いた、あの怪物たちを。


 付け加えるならば、その美貌たるや天上の美の女神が裸足で逃げ出すほどである。


 クラルが少女の存在を知ったのは、つい先日のことである。


 保護から報告までに、なぜこれ程時間がかかったのか。と、叱責する気にはなれなかった。

 少女が保護されたのが大陸発見の報よりも後であったなら、周囲の判断も違ったかもしれないが、彼女は大陸発見以前に、保護された人間である。


 演習中の軍が世界で初めて怪物と遭遇、交戦。その最中に現れ、たった一人でその怪物──全長20メートルはあろうかという海蛇──を駆逐してみせた少女。


 何処に属する人間かはわからないが、人である以上王国の人間であることは間違いないだろう。

 で、あればどこぞの領国の諜報員か戦闘員か。


 そう判断され、素性の調査が完了するまでの間、軍の施設で事実上の軟禁状態に置かれた。


 彼女の持ついくつものも特異な要因。

 それと魔大陸が結びついたは、大陸発見からさらに二月ふたつきを過ぎた頃の事である。


 くだんの大陸。

 それについて、何か知っていることは無いか?

 その問いかけに、なんの戸惑いもなく彼女はこう答えた。


『へー。あたしだけじゃなかったんだ?』と。


 彼女の言葉を受け、軍の高官たちは今度こそ総力をあげて彼女の過去を調べ上げた。

 官民問わず、カルマートにあるすべての諜報機関を動かし、更に王都や、他の領国の協力を仰ぎ、それでもなお、答えに変わりは無かった。


 そのような人間は王国に存在しない。


 ここに証明されたのだ。

 少女が、この世界の人間ではないことが。


 邂逅の場でクラルは少女に頭を下げ、これまでの非礼を詫びた。

 可能な限り、彼女の自由を保障し、同時に王国にとって、400年ぶりの隣国の友人として歓迎すると約束して。


 そして今──



 庭園を歩く少女がふと足を止め、公爵のいる窓を見あげた。


 視線の主がクラルであることを確認すると小さく会釈をする。

 先を行く少年の「はやくはやくー」という声にせかされるように、小走りにその影を追いかけてゆく少女の後ろ姿を見つめながら、クラルは顎に蓄えられた髭を撫でつけた。


「……魔法、か」


 誰も居ない部屋で、クラルはそう呟くと口元を歪めた。


 魔法の存在はもちろん知っている。

 この世界にも創作物はある。おとぎ話にしろ小説にしろ。それはどの世界も変わらない。空想の世界で人はどのような奇跡でも可能とする。


 そう、魔法とは空想の産物であるはずだ。


 実際、軍の報告にあった魔法について検証をしようとした高官たちも、魔法それを目にしてはいない。

 なにしろ彼女は保護された直後の数回の戦闘でこそ魔法を使用をしたが、陸に上がってからは一度もそれを披露しようとはしなかったからである。


 魔法。


 そう称されたあの攻撃は、おそらく彼女の船に装備されていた武装かなにかによるものである。

 高官たちは結果的にそう判断した。

 だとしても彼女のその武装が怪物たちに有効であることに変わりはない。自軍の武装では満足のいく結果が出せなかったという事実も。


 言葉を続けることなく、クラルは窓辺を離れドアに向かう。

 部屋を出る直前にふと足を止め、もう一度視線を窓に向けた。


「知らない、というは恐ろしい事だ」


 それは誰に向けた言葉なのか。

 いつの間にか彼女との距離をせばめたアルス我が子を思い、クラルは呟く。


「アストレア大陸、か」

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