エピローグ

 青い外套をまとった小さな影が、緩やかな丘陵を静かに登ってゆく。

 一歩一歩、確かめるように。


 足元の新緑が風にゆらゆらとゆれ、小さな虫が花の蜜を求め飛び回る。


 季節は春。


 穏やかではあるが、着こんだ外套の下にはやはり熱がこもり、その日差しと相まって少女の額には汗が浮かぶ。


「あつい…」


 そう呟きながら外套のフードを脱ぎ、気休めにしかならないと思いながらも、手でパタパタと首元をあおぐ。

 降り注ぐ柔らかな日差しに目を細める。


 そうして少女──サイファは空を見あげた。


 変わらぬ赤い空。黒い太陽。


 違うのは隣に桃色の少女の姿が無いこと。

 その少女はサイファの相棒である。

 長く共にあり、ともに笑い、ともに泣いた。


 少女の名はリディスと言った。


 塔の最上階で意識を失い、たまたま通りかかった冒険者に発見され、ギルドで保護されたのは一年近く前のことである。


 何故そこで倒れていたのか、サイファにその記憶は無い。

 目が覚めたのは、救助されてから二日の後だった。


 体調には何の問題もなく、麻痺薬や睡眠薬の痕跡もないため、おそらくは誰かに殴られ、昏倒させられていたのではないだろうか。

 意識を取り戻したサイファに、ギルドの医師はそう話した。


 塔へは新人警護の為に、相棒であったリディスと共に向かったが、結果的に依頼達成は成らなかった。

 最上階にたどり着いたところで警護対象の少年は何者かによって殺されてしまったからだ。


 発見時、彼女の傍には警護対象の少年と、依頼主であったホーエン家の執事の遺体が転がっており、調査の結果カレルを殺害したのは執事のウォルターであることが判明している。

 が、おそらくは第三者が介在しており、それは少なくともサイファやリディス以上の存在であろうと目されている。


 相棒であったリディスは行方不明。


 だがリディスもまたサイファと同じプレイヤーである。

 死を克服した彼女たちに死のとばりが下りることは無い。

 攫われ、拘束されているとみるのが確かだろう。もしくは──。


 サイファは頭を振った。


 ──リディスは悪人ではない。間違ってもカレルを殺し、私を昏睡状態にした人間の一味などということはないだろう。


 そう、頭に浮かんだ想像を振り払う。


 やがて現れた白みがかった城壁の影を前に、サイファの脚が止まる。


 まだ距離は大分あるはずだが、それでもその巨大さがわかる。

 あそこにたどり着くまでにはまだ数時間を要するだろう。


 一つため息をつくとサイファは青い外套のフードを下げた。


 エレミヤの王都。城郭都市、ベルク。

 その巨大な城郭を見ながら、サイファは何時だったかリディスと共にこの地で行われた戦いを見ていた時のことを思い出していた。


 あの時、久しぶりに会ったリディスはいつもと違っていた。

 何故か悲しそうで寂しそうで。


 元々、相棒ではあったが遊び相手に過ぎなかったはずの彼女を、まるで妹のように見るようになったのもその頃からである。

 快活だった少女は、いつの間にか大人の様なたおやかさと、以前のままの少女らしさ。同時に危うい脆さを微妙なバランスで併せ持った女性に変わっていた。


 少女から大人になる時期というのは、こんなもんだったかしら。


 そう思いもしたが、同時に放っておけないとも思った。


 彼女は今、どうしているだろうか。

 どこかであの黒い太陽を見ているのだろうか。


 ふと、サイファは笑った。


 ここのところ考えるのはリディスのことばかりだ。

 こんなにも、あの子はアタシの心をしめていたんだな。と。


 元々の拠点であるライカの固定宿を引き払い、エレミヤに行こうと思ったのはそこがリディスの故郷だからである。


 リディスの生まれ育った町を見てみたいと思った。

 いつもの様な観光ではなく、彼女の目線で。

 願わくば彼女の母親に会い、リディスの話もしてみたい。と。


 自身のポーチに手を添える。


 この中にはリディスが愛用していた槍杖が入っている。

 遺品、というわけではないが、残されていたのはこれだけなのだ。


 ふぅ。と小さく息を吐く。


「リディス。帰ってきたよ。あなたの故郷に」


 そう呟き再び歩き始める。


 ──あなたのお母さんに会ったら、何を話そうか。


 そんなことを考え、ふと足を止めた。


 誰かの、声が聞こえた気がする。


 サイファは振り返った。


 桃色の影がそこに居るような気がして。


 だがそこに人影は無い。


 ただ春の日差しが降り注いでいるばかりだ。


 ──気のせい?


 そう思い、再びサイファは歩き始める。


 足元に、小さな桃色の花が揺れている。

 風に揺れるその花がかすかな音をたてた。


 ──ありがとう──


 それは彼女の耳に届くことのない。

 いつか聞いた、少女の声に良く似ていた。

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