PK
夢を見る。
なんどもなんども繰り返し。
それはきっと、つまらない夢。
気が付けばまたあの世界。
暗い暗い。音のない世界。温度のない世界。
何もない世界。
目の前の少女は何も語らない。
ちがう。
きっと、それは声にならないだけ。
音として、私に伝わらないだけ。
私の声と等しく。
きっと。
私は届かない手を伸ばす。
少女もまた私に向けて。
何もない世界で。
音のない世界で。
少なくとも、その瞬間までは。
「──見つけた──」
知らない声。
同時にあたしは目を覚ます。
いつもと変わらない景色が目に映る。
見慣れた、安宿の天井が。
空気を切り裂く音が鳴る。
黒い槍。
そう表現したのは誰だっただろうか。
真っすぐに、それはカレルの額に向けて伸びてゆく。
鋭利な爪。
直撃すればきっと人の頭など簡単に破壊されるのだろう。
湧き上がる恐怖心を押し殺し、体を前に送り出す。
寸前で躱す、
いや、躱しきれない。
頬の肉を抉られる。
痛みが走る。
それでも前へ。
蜘蛛の八本の
長い脚はこの距離では持て余す。もはや自由は効かない。
チチッ。
そんな音が蜘蛛の口から洩れる。
笑いの形に歪んだカレルの口元が、蜘蛛の8つの目に映る。
──ここはもう、この人間の間合いだ。
蜘蛛は反射的に距離を取ろうとする。
それよりも早く、カレルは宙を舞い、体を一回転させる。
弧の字を描き、右の踵が蜘蛛の胸部に直撃した。
鈍い破壊音。
黒い体液と共に、何本かの足とちぎれた肉片が床にばらまかれる。
更に着地した右足を軸に体を駒の様に回転させる。
そのまま遠心力を利用して伸ばした左足を振り切る。
ゴッ。
という音と共に蹴り飛ばされた蜘蛛が、背後から迫ろうとしていた一匹に激突した。
左に視線を向ければゆらゆらと、別の蜘蛛が奇妙なダンスを踊っている。
その臀部から吐き出される濃い闇が、じわり、とカレルに向かってたなびいている。
「意味がねぇって、言ってんだろうがっ!」
叫ぶと同時にカレルは宙を舞う。突き出した足刀が鈍い音と共に蜘蛛の頭部を潰した。
残る蜘蛛は3体。
『この階層に同時に沸くのは10体まで。もしもそのうちの半分、5体をソロで殲滅できたら次のステージへ向かう』
数日前、サイファはカレルにそう告げた。
この階層に籠ってすでに5日。
もはや黒い霧はもはやカレルの枷とはなりえない。
その重さも、視界の悪さも今の彼には日常に等しい。
──この階層とも今日でオサラバだ。
カレルは頬の血を拭うこともせず、ぺろりと舌を舐めると笑った。
その目に、強い光を宿して。
「まぁ、ぼちぼちいけそうかね」
壁際に座りながら、退屈そうにカレルの戦い見守るサイファがぽつりと呟いた。
彼女の目には映っているのはシルエットではない。
暗視とよばれるスキルの持ち主にとって、この程度の霧は視界の妨げにはならない。
「いけるんじゃないかな? 今は弱めのバフしかかけてないけど、アレで5体いけるならボスも行けると思う。ていうか、ソロで蜘蛛5体いけるなら余裕」
立ったままのリディスが笑いながら答えた。
いちおういつでも回復魔法が飛ばせるように準備はしているが、その表情にもはや緊張感はない。
4階に上がったばかりの頃のカレルは時間内に最初の一匹を倒すことができず、何度複数に取り囲まれて死にそうになったかわからない。
そのたびにサイファは蜘蛛を蹴散らし、リディスは回復魔法を飛ばした。
頻繁に死にそうになる彼に、何度も慌てさせられたかわからない。
たが、3日目あたりから状況は一変した。
覚醒でもしたのかと思うほどにカレルの戦闘に余裕が出た。
初期は少しでも離れると曇りガラスのようにしか見えなかった視界が、急に晴れたのだ。
さらに攻撃速度、回避速度がともに上昇した。
昔であれば霧の中での戦闘を継続することにより暗視スキルを新たに取得。
さらに蜘蛛との戦いの中で、適応する戦闘系スキル値も向上した、ということなのだろうが、すでにゲームであった頃の記憶が曖昧となっているいま、二人にそれは理解できない。
「初期の読みよりは大分早いかもね。ここまで余裕が出るとは思わなかった」
「あたしもそう思う。一度に5体OKなら、リンクしまくったりさえしなければソロで赤竜攻略できるってことだし」
とりあえず今回の依頼は滞りなくこなせそうである。と、状況が見えた二人の表情はあかるい。
「まぁ、プレイヤーレベルってわけにはいかないけどね」
「それは無理よ。同じ条件でプレイヤーなら2日目であのレベルまでいけるもん」
サイファの言葉にリディスは苦笑いでこたえた。
プレイヤーにとって、ヘイブン自体一週間で卒業する都市である。NPCに同じものを求めるのは酷であろう。
「まぁ、そうなんだけどね。──っと」
サイファの視線がカレルに向かう。
最後の一匹。
すでに蜘蛛は自身の間合いの内にある。
カレルを抱き込もうとする8本の脚をすりぬけ、小さなモーションから繰り出される右の拳が蜘蛛の腹部にめり込む。
苦痛の声をあげ距離をとろうとする蜘蛛に更に肉薄すると、カレルはその顎部を掌底で突き上げた。
骨の折れるような音と共に挟角の一本がはじけ飛ぶ。
瞬間、頭胸部を跳ね上げられた蜘蛛は、胴と頭の付け根をカレルにさらけ出す形になった。
「うらあぁぁっ!」
叫びと共にカレルの手刀が一閃する。
音もなく、まるで弾かれたピンボールのように、黒い塊が宙を舞う。
瞬間、蜘蛛はその8つの目でとらえたかもしれない。
黒い血を噴き上げる、自身の腹部を。
ゴトリ、と鈍い音をたてて蜘蛛の頭胸部が床に転がる。
何度目かのバウンド後にそれは動きを止めた。
ごろりごろりと足でそれを確認する。
背後では今だにガサガサと動く、頭部を失った腹と脚。
それを容赦なく蹴り飛ばす。
やがて完全に動きを止め、縮こまるように固まった亡骸を一瞥すると、カレルはゆっくりと息を吐いた。
数秒の沈黙ののちに、カレルはサイファたちのいる方向に目を向ける。
戦いの終了を告げるように。
「まぁ、上出来上出来。正直5体は無理かと思ってたからねー」
そう言いながらサイファがカレルの肩を叩く。
満更でもないのは確かだが、カレルはそれを表情に出すことなくぶっきらぼうに「あたりめぇだ」とこたえると、ポーチからウエスを取り出しセスタスについた黒い血を拭った。
「今回はバフも弱いのしかかけてないしね。純粋に実力だもんねー。サイファに褒められて嬉しい?」
「うるせぇよ。ちんちくりん」
「プッ。赤くなってやんの」
リディスの指摘にカレルは睨みで応える。
二人のやり取りを困った表情で見守っていたサイファが、一つパンっと手を叩き話を区切った。
「はいはい。じゃ、約束通り次に行こうか」
サイファの言葉にカレルの視線が階上に向かう。
「いよいよボスか」と、にやけそうになる自分を押さえ、両の頬を手でたたく。
緊張感を常に持てと先日言われたばかりである。
例によって二人が先にへ階上向かう。
それを追ってカレルもまた階段を上った。
「まぁここのボスはね、たぶん今のアンタなら余裕だと思う」
振り返ることなくサイファがカレルに言葉をかける。
「そうなのか? ボスだろ? 強えぇんじゃねぇの?」
「強いのは強いけど、蜘蛛5匹よりは難易度低いと思う。たぶん相手の攻撃全部避けれるんじゃないかな?」
リディスが笑いながら答えた。
「まぁ、アレよ。サクッと倒して赤竜攻略の証とかもらってきな。それもってギルドに行けば試験免除でアンタ、ノービス昇格だから」
昇格、という言葉にカレルは一瞬さみしさを感じた。
それはつまり、この二人との別れを意味する。
前を行く二人の足が止まった。
階上は4階のように闇に包まれてはいない。当たり前のように光に満ちている。
その光を背景に、手を差し出すサイファの姿にまぶしさを覚えながらカレルもまた5階。最上階であるボスの間に上がった。
空気が張り詰める。
4階にあった霧の重さとは異なるものがその場に満ちていた。
この場に来たことのないカレルからすればそこに異常性など感じないが、二人の様子がそれは誤りであると告げていた。
この場を支配するもの。
この場に満ちているもの。
静寂。
サイファも、リディスも言葉を発しない。
互いに目くばせをすると、リディスが小さく呪文を唱えた。
カレルは初めて目にするリディスの詠唱に違和感を感じながら周囲に目を向ける。
広いホールには誰もいない。
最奥には、おそらくはボスが座るためのものであろう玉座があった。
ただし、そこにも主の姿は無い。
静かなのもそのせいだろうとカレルは思った。
きっとこれからボスが現れて戦闘が始まって、と。
「ボスって、どこに居んだ? これから沸くのか?」
「沸かない」
サイファがリディスを横目に見ながらそう答えた。
手にはこれまでの戦闘では見たことのない、ゆらゆらとした薄い光を纏ったダガーが握られている。
リディスが、首を横に振る。
「だめ、転移魔法が阻害されて──」
「──っ!」
言いかけたリディスの隣でサイファが一瞬険しい顔をする。
チクリとした痛みに左手で右肩を押さえた。
「サイファっ!」
リディスの声が響く。
彼女の目の前で、サイファはまるで糸の切れた人形のように崩れおちる。
カレルが慌てて抱きとめようと手を伸ばすが、それは叶わなかった。
ドスンという衝撃と痛みが少年の足を止める。
腹部から広がるその痛みが何であるのか。理解できぬままにカレルは目を向けた。
「なんだ、これ?」
自分の腹から、それは生えていた。
血に濡れた、一本の刃が。
じくじくと服が赤黒く染まってゆく。
ごぼりと、口端から血があふれた。
焦点の合わない瞳で自分を見つめるサイファの姿が映る。
カレルは手を伸ばす。
サイファに向けて。
「──っ」
リディスは無詠唱で炎魔法を放つ。
カレルを貫いたもの、その背後にいるものに向けて。
──だが。
まるで壁にぶちまけた水のように、カレルの背後にいるものの手前で魔法は四散した。
リディスは舌打ちし、横に移動しながら次の攻撃を加えようと頭の中で魔法を構成する。
しかし発動直前に死角から何かが飛んでくる。
反射的に両腕を交差させ、それを受け止めるが、その衝撃を殺すことはできず、リディスは体ごと弾き飛ばされた。
「ちっ」
体勢を立て直しながら舌打ちをする。同時に攻撃された方向に目を向けるが、そこには誰もいない。
──後ろ?
思考が体に回避を指示するより早く、リディスは背後から羽交い絞めにされた。
抜け出そうと力を込めてみてもびくともしない。相手の力は自分よりも上なのだ。
首をねじり自分をおさえつける存在に目を向ける。
最初に目に入ったのは赤い色。
その目深にかぶったフードのせいで顔を見ることはできない。
それでもわずかに見える口元がいびつに歪んでいるのがわかった。
笑いの形に。
「よう、元気かい? お嬢ちゃん」
錆を含んだ男の声が耳元でささやく。
その容貌と声に、リディスは本能的な恐怖を覚えた。
それでも声をひねり出す。
「PK?」
赤いローブを身にまとった男は答えない。
口元にさらなる笑みを浮かべ、フードの奥の冷たい目がリディスを見つめた。
「違うよ。今日は、な」
赤いローブ。
リディスも聞いたことはあった。
幾度も傭兵ギルドや冒険者ギルドとの争いを繰り返した集団があることを。
改編された歴史の中にもその事実は残っている。
彼らがおこした幾つもの殺戮行為、犯罪行為。
世の裏側に暗躍する彼らのことが。
その集団がどれほどの規模なのか。構成員がどれほどいるのかは記録に残っていない。
彼ら自身、それを把握はしていないのではないのかとさえ言われている。
その身なりから、彼ら、その集団はこう呼ばれた。
レッドローブと。
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