少年

 多くの少年にとって、冒険者というのは憧れの職業である。

 将来、自分は有名な冒険者になる。

 最強の称号を手に入れる。

 あるいは財宝を手に入れ悠々自適な生活を。


 ワクワクするような冒険に、異国で出会う美しい姫君とのロマンス。

 まるで物語の主人公になったかのような毎日。


 ホーエン家の次男であるカレルにとっても、それは同じことであった。

 貴族である自分の立場も。幼い日の自分には枷とはならない。

 おもちゃの剣を手に、彼はいつもまだ見ぬ世界を夢見ていた。


 年齢が二桁を迎えたころ、しかし少年は現実を知る。


 2つ年上の兄、アベルは神童と呼ばれる少年だった。


 年端もいかぬころから魔法能力を発現した天才。

 冷静沈着。いかなる時もその采配にミスのない傑物。

 剣をふるえば領内に勝るものもなく、それでいて穏やかなその人となりは誰にでも愛された。


 今は周囲の期待を背に、大陸屈指の学園都市であるステイン公国内のアルカナ・ガーデンで勉学に励んでいる。

 彼がいればホーエン領は安泰だ、と誰もが口にした。


 一方のカレルはそんな兄に憧れながら、しかし常に比較され続けた。


 剣を振るえば粗雑だと言われ、ミスを指摘されれば癇癪を起こす。

 魔法能力に至っては「素養が無い」と教師に匙を投げられた。


 ──なぜ兄のように出来ないのか。──


 周囲の声に耳を塞いでも何も変わらない。


 自分は兄とは違う。兄のようにはなれない。


 いつしかコンプレックスは、兄への憧れを暗い感情へと変え、カレルを歪めていった。


 粗暴な言動と行為が増え、周りに居るものはその殆どがいとまを請い、そして離れてゆく。


 やがて一人になった彼が頼ったのは暴力としての剣の道だった。


 魔法能力が無いのなら剣の腕を磨けばよい。

 それで兄を超えてやる。みんなを見返してやる。

 粗雑な剣と言わようが鬼畜の剣と罵られようがどうでもよかった。

 力こそ正義とだといわんばかりにひたすらに、力任せに剣を振り続けた。


 師はそんな彼を見捨てた。


 それは騎士の剣ではないと。

 守護者たる者の剣ではないと。


 唯一の味方だった母は、そんな彼を見て泣いていた。


 申しわけない、という気持ちと同時に、そんな目で俺を見ないでくれ、という懇願の気持ちがあった。


 カレルが家を出ようと思ったのは成人した15の春である。


 どのみち男爵家に自分の居場所などないのだ。

 兄に何かあった時の為に、という役目も先年うまれた8つ下の弟のおかげで自分が全うすることもない。こちらも自分と違って聡明だ。

 ならば遊歴の身として幼い日の夢を追いかけるのも悪くないと、父にホーエンの名を捨てることを告げた。


 パーティーメンバーという名の護衛が付くこと、それだけが条件となった。

 それが母の意向であると知ったのは後のことであるが、それでもカレルは満足だった。


 涙を流す母に別れを告げ、新人の冒険者が多く集うヘイブンの地を目指す。


 そして少年は、彼の地で──。





「無理無理無理無理。いきなりダンジョン踏破とか。無理無理無理無理」


 薄明かりの中、何度も転びそうになりながらカレルは走る。

 餞別だと渡されたプレートアーマーをガチャガチャと鳴らしながら。

 時折振り向いてブロードソードを振るうが何の効果もない。


 ──振ればいいものじゃない。だから粗雑だと言われるのです。


 いつかか剣の師がそう言っていたのを思い出す。


「この状況で、落ち着いて振れるか、クソがっ!」


 そう叫んだ瞬間に迫りくる黒い影の集団──ゴブリンの群れがカレルに覆いかぶさろうとした。


 ──やべぇぇ、死ぬ。


 天使の輪をつけ、ふわふわと空を漂う自分の姿が頭の中に浮かぶ。

 同時に爆発的な光の渦が目の前に巻き起こった。


「──っ」


 カレルの目には何も見えない。強烈な光に幻惑されて真っ白なままだ。

 声も無くうずくまり目を抑える。

 漂う焼けこげた肉の匂いで鼻の奥が痛い。


 ──スパン、と頭を叩かれた。


「痛てぇっ!」


「『痛てぇ』じゃ無い。このおバカっ!」


 暗闇の中、少女の声がしたと思うと再びカレルの頭が叩かれた。


「援護はするから行けるところまで行ってみなさいって言ったのは確かだけど、なんにも考えないで小部屋に突っ込んでいくとか、もう、おねぇさんは悲しいの通り越して涙が出ちゃう」


 先ほどとは違う、もう少し幼い感じの少女の声が呟く。


「だって、踏破しろって言ったじゃねぇかっ!」


「あのねぇ、踏破イコール走り抜けるってことじゃないのっ!」


「ダメよサイファ。この子、典型的な脳筋だわ。ちっちゃな子でもわかるように説明しないとダメなのよ」


 声の後に衣擦れの音がしたかと思うと小さな明かりが灯った。

 同時に桃色の髪の少女──リディスの姿が浮かび上がる。


 両のてのひらに小さな光の玉。

 リディスはそのまま手を上方に向けた。

 小さな光の玉はそれにあわせ頭上に移動するとその強さを増し、周囲を明るく照らした。


 明るくなったことで安心したのか、カレルはハァハァと息を荒げながらしゃがみ込むと、プレートアーマーの兜を外した。

 幼さを残した、それなりに整った顔が現れる。

 特徴があるわけではない。薄いブラウンの髪も同色の瞳も。やや悪ガキよりではあるが、いわゆる平凡な顔立ちだ。

 同時に横に立っていたサイファが再びカレルの頭を叩いた。


「NPCってホント、こういう奴多いよねぇ。びっくりするくらいのバカ」


 サイファが冷たい目でそう指摘するとリディスが頷いた。


「でも暗闇の中で良くここまで走ったもんだと思うよ? その点はすごいと思うな。バカだけど」


「本能ってやつ? さすがバカだわ」


 カレルはムッとすると手にした兜を振り上げ、サイファに投げつけようとした。

 が、投げようと振りかぶった態勢のまま、鈍い音とともに兜は握った手のひらごと壁との間に踏みつけられた。

 何時の間に伸びたのか、すらりとしたサイファの左脚によって。


「痛てぇっ!」


「装備品を粗末に扱わない」


「と、踏みつけた当人が申しております」


「アタシのじゃないし」


 護衛対象である自分の手を踏みつけながら言いあう二人を前に、カレルは呟いた。


「地獄だ」と。





 カレルが二人を紹介されたのはほんの一時間ほど前のことである。


「ヘイブンに到着次第、冒険者ギルドに赴き登録するように」


 そう父に言われたとおりに登録をおこない、待っていた執事のウォルターに二人を紹介され、その足で文字通りここまで引きずってこられた。


 文句を言おうが暴れようが意に介すことがないこの二人がプレイヤー超越者と呼ばれる存在であると、街の出口まで付き添ったウォルターに聞かされたのが30分前。


 街の外に出ると、青緑の髪をした薄着の女に持っていたプレートアーマーを半ば強制的に装備させられた。


「なんだこりゃ?」と思う間もなく「じゃぁ行くよ」と首根っこを掴まれ、あり得ない速度で疾走する二人に引きずり回された。

 そうしてボロボロになりながらようやくダンジョン──無印ヤング向けではない──にたどり着くいたのが15分前。


 問答無用で補助魔法を何重にもかけられ、何の説明も無く「よーし、踏破がんばろー。大丈夫大丈夫。フォローはするからねー」と、ピンク髪の女に言われたのが10分前。


「行きゃぁいいんだろう!」ムキになって突入するも、無数のゴブリンに追い掛け回され死にそうになったのが2分前、という状況である。


「つか、いきなりダンジョンはねぇだろ? おれ無印ヤングだって」


「ヤングっていったって、剣の練習はしてたんじゃないの?」


 ふてくされた顔でぼやくカレルにサイファはあきれ顔でこたえる。


「センスないらしいけどねー。あの執事おじさんが言ってたもん」


 センスがない、というリディスの言葉にカレルは口をへの字に曲げた。

 ここでもそれを言われるのか。と文句を言おうと立ち上がろうとする。


「センスなんかいらないじゃん。お綺麗な騎士の剣、だっけ? あんなん形だけの雑魚よ、雑魚」


 サイファのその言葉にカレルの動きが止まった。


 彼からすれば騎士の剣とは強者の剣である。

 王家を守る守護者の剣。それは決して弱いと評価されるようなものではない。ましてや雑魚と切り捨てられるようなものでもない筈だ。

 たとえ冒険者から見た場合であってもそうなのだ。そうカレルは思っていた。

 それがあっさりと切り捨てられるなど考えもしなかったことだ。


 ふとカレルの視線に気づいたリディスがサイファに目配せをした。

 首を傾げ、うながされた方向に視線を向けるとカレル自分を見つめたまま固まっている。


「なに?」


 眉をよせながらのサイファの声に、カレルは一瞬口ごもった。


「あ、いや、騎士の剣が弱えぇって、いまいっただろ?」


「うん。だって弱いじゃん」


「それはあんたがプレイヤー超越者だから、だろ?」


 ぷっ。っとリディスが笑った。

 なぜそこでお前がわらう? と、カレルは思ったがそれを口に出すことはできなかった。


 前方でゴブリンが十数体POPする。

 カレルは思い出した。

 いまだ自分たちは、先ほどMOBに追いかけられたあの小部屋に居るのだ。

 急いで立ち上がるとブロードソードとカイトシールドを構える。


 やる気を見せる少年の姿に笑みを浮かべると、リディスは照明魔法の照度を落とした。

 あたりがジワリと暗くなる。


「バフいきまーす」


 リディスが小さな声でそう言うと、カレルの体が何度も薄く光る。

 幾重にも繰り返しかけられる補助魔法の感触を確かめつつ、カレルは前に出た。


「いい、とりあえず囲まれたらやばいから、一匹づつ引いてきなさい。あいつら暗闇に住んでるくせに目が悪いから索敵範囲は狭い。ギリギリまで近づいて。ただしあの弓を持った斥候には近づかない事。じゃないと全部一気に来るよ? わかった?」


「おう」


 騎士の剣が弱い。プレイヤーだからではない。

 その意味は解らないが、カレルは少し気が楽になった気がした。

 何しろ自分たちでは超えられない壁を容易く超えた存在がそういうのだ。

 たぶんそれは真実なのだろう。


 カレルにとっては物心ついたときから重くのしかかっていた騎士の剣。

 それは呪いにも等しく自身を拘束する枷でもあった。


 ──それが雑魚か。


 偉そうに講釈をたれていた師の顔が浮かぶ。

 いまの言葉を聞いたらどんな顔をするのだろうかと、口端を上げながらカレルは思った。


 じりっ。とつま先を前方にずらしながら動かないゴブリンに近づいてゆく。

 やがて一匹のゴブリンがカレルの方を向いた。


「ギギっ」


 何らかの意味をもっているのであろう言葉を発すると、棍棒をもった一匹のゴブリンが近づいてくる。


「カレル、下がって。そのまま引いて」


 サイファの言葉に無言でうなずくと後方に後ずさりをする。

 引き寄せられるようにゴブリンは棍棒を振りかざしながら、カレルに向かって走り出した。

 目の前の獲物に向けて、そのまま勢いよく棍棒を振り下ろす。


 ゴッ。という鈍い音とともにカレルは左手に持った盾で棍棒を受け止め、それを全身で押し返した。


「うわ。不格好ー。てか位置取り悪すぎー」


 リディスが呟きながら小さく笑う。


「うるせぇぇ!」


 リディスの声に苦情を述べながらカレルは右手の剣を振り下ろした。

 まるで鉈でも扱うように。


「粗雑」


 サイファがそう言うのと同時に鈍い音をたててゴブリンの頭が叩き潰された。

 投げかけられた言葉に苦情を言おうと、足を止めたカレルに再度サイファの指示が飛ぶ。


「次。どんどん行って。粗雑でも良い。本物の斬りあい繰り返してればそのうち形になるから」


「あ? 粗雑粗雑言ってんじゃねぇ!」


「うっさい。粗雑? だからなに? 剣の基礎はもう学んでるでしょ? 小さい頃からやってるなら体がそれを覚えてる。頭からっぽにしてとりあえず振れっ!」


 言う間もなくサイファはカレルを蹴り飛ばした。

 先ほどサイファ自身が注意した内容は何だったのか。索敵範囲に押し出される形になり、カレルが思わずサイファを睨む。

 同時に残りのゴブリンすべてがカレルのほうを向いた。


「おい。クソ女。てめぇ俺を殺す気かっ!」


「うっさいガキ。こっちには回復役ヒーラーがいるんだからアンタは死なない。どうしようもなかったらアタシが助ける。だから──」


 サイファが微笑む。

 エルフさえ裸足で逃げるその美貌で。


 艶やかな唇が動き、カレルに告げる。


「死んで来い。ガキ」

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