冒険者
「で、またどんよりしてるわけ? 相変わらずというかなんというか、だよねぇ」
そう言いながらサイファは左手で頬杖をついたまま、目の前でテーブルに突っ伏す桃色の頭を右手でつついた。
目の前の少女が夢の話で落ち込むようになったのは数か月ほど前からだが、毎度毎度フォローをするのにもいい加減飽きてきたところではある。
サイファは自身のターコイズブルーの髪を撫でながら、同色の瞳に呆れの色を浮かべると「これも年上の役目か」と心の中で呟いた。
「サイファにはわかんないよ。あたしにだってわかんないんだもん」
「はいはい、リディスお嬢様。どうしたら機嫌を直していただけますか? ショコラでも注文致しましょうか?」
「アフォガードも付けてくれる?」
けっ。デブになれ。毎度毎度甘えやがって。
そんな思いは胸に隠したまま、サイファは余所行きの笑顔を浮かべるとウエイトレスに声をかけた。
「アイスショコラとアフォガードを。カロリー多めで」
「一言余計っ!」
「あら?」
しれっと流すサイファの態度にリディスは頬を膨らませる。
そんな二人のやり取りを聞いていた、近くに座る見知らぬ誰かがクスクスと笑った。
カナル共和国はアストレア大陸南東にある新興国である。
この国は元々多くの国の植民地として分割、当地されていたが80年ほど前にそれぞれが植民地支配からの脱却、統合を繰り返し今の形態となった。
国として成り立った当初は長く続いた戦乱の為もあり、各国の援助を受けねばなり立たない状態ではあったが、再開発の中で発見された特殊な生態系をもつ複数の低位MOBの群生地帯の存在や、それに合わせた地域開発と訪れる新人冒険者の増加などにより状況は一変した。
近年では成り立ち故のエキゾチックな街並みや、海に面した立地を利用したビーチリゾートなどの開発により観光国としても人気を博しているが、やはり冒険者育成の聖地としてのイメージが強い。
その共和国に、ヘイブンという名の都市がある。
ここは低位群生地帯の中でも特に初心者向けのMOBが多く、冒険者志望の若者が多く訪れる街として知られている。
なんのことはない。
ゲームにおける新規プレイヤーのデフォルト開始点である。
最初からそういうコンセプトで作られた街なのだ。
ゲームではなくなった今も状況に大きな変化はない。
新規のプレイヤーが増えることは無いとはいえ、
彼らにとってもこの街は冒険者としてのスタート地点として魅力的に映る。
周辺にPOPするMOBのレベルの低さや成長に合わせたバランス配置、更には新人育成のためだけにあるとしか思えないような塔の存在など、まるでその為に作られたとしか思えないようなヘイブンの構成は、同様な群生地を多く持つ共和国に於いてもほかには無いものである。
二人はそのヘイブンにある冒険者ギルドにほど近い宿屋の一階にあるレストランにいた。
毎度のことになりつつある、リディスの夢見の悪さが話の中心ではあるが、他愛のない話に興じる二人の姿は知らない人間が見ればまるで観光客であろう。
何せどちらも若い。
サイファは17歳。リディスひとつ下の16歳である。
いかにプレイヤーと呼ばれる存在であっても傍目にNPCとの差異はほとんど無い。この世界における成人年齢が15歳と言っても、少女二人がはしゃいでいれば誰も仕事とは思わないだろう。
サイファが髪と同色のターコイズブルーのハーフプレートを身に着けているのと同様、リディスもその髪色に合わせた桃色のラインの入った白色のローブを着ている。
前者は戦士、後者は術士。
二人はペアで主に活動をしている、バディである。
二人は変異前から商業都市であるライカ連合国で主に活動していた。
変異の際はやはりエレミヤでファイナルクエストに参加をしてはいたが、どちらかといえば物見遊山の類である。
城郭の上から世界を眺め、プレイヤー側の勝利とともに変異を知った。
NPC達の、後方からの大歓声である。
直前までは当然のように話しているのは自分たちと同じように城壁の上で見物をしていたプレイヤー達だけだったというのに、いきなり見知らぬNPCに手をつかまれ抱きしめられ。
当時は相当に混乱、いや、困惑したものの、今ではそこに異常性を感じることは無い。
緩やかに進む記憶の改編の中で、すでにNPCとは一般人を指す言葉として定着している。
彼らはNon Player Characterなどではなく、最初から当たり前に自我をもつ普通の人間であり、それはすでにほとんどのプレイヤーの共通認識なのだから。
「そもそもカロリーとか気にするならショコラなんか止めとけばいいじゃん」
「だからバランスとってアフォガードなんでしょ?」
「バランス、ねぇ。そういえば最近下っ腹がぽっこりと」
「──言うな!」
薄目で彼女を見るサイファから腹部を隠すように身をよじり、残っていたアフォガードを口に放り込むとリディスは席を立った。
「もう約束の時間でしょ。早くいかないと怒られるよ」
ギロリ、とサイファを睨みながらそう言うと、リディスは足早に店を出て行った。
「まだ少し早い気もするけどねぇ」
サイファは頭をボリボリと掻きながら渋々立ち上がると、カウンターに向かい会計をすませ、先に外に出たリディスの後を追ってドアを開けた。
薄暗い店内から一変。差し込む太陽の光が目に痛い。
サイファは無意識に左手で太陽の光を遮るような仕草をすると。言葉を発することなく眩しさを訴えた。
季節は初夏。
照りつける太陽が眩しいわけではない。
当たり前のことではあるが、黒い太陽を直視したところで眩しさなどないというのに、それでも感覚的に眩しさが残っている。
なぜそんな感覚が残っているのか。今のサイファにはわからない。
それが当たり前のこととして体に刻み込まれているのだ。
サイファは目が外界に慣れたところでリディスを探し──探すまでもなかった。
すぐ傍の木陰で頬を膨らませたままの彼女は、サイファの姿を確認するとプイっと彼女に背を向けそのまま冒険者ギルドの方向に歩き出す。
やれやれ、と肩をすくめるとサイファはリディスの後を追った。
ヘイブンの町はそれなりに賑わいを見せている。
大通りにはコロニアル様式のショップハウスが立ち並び、観光客、商人、土地に生きる人たちが歩いてゆく。
その中に、初夏だというのに大ぶりな外套やクロークを身にまとった若者の姿が混ざっている。
サイファたちと同年代かそれ以下か。
彼らはみなこの町を拠点とする
外套の下に、おそらくは真新しい防具や武具らしき膨らみがみてとれる。
まだ初々しい彼らに目を向けながら二人は依頼主との待ち合わせ場所である冒険者ギルドのヘイブン支所に向かった。
ヘイブン支所は、いわゆる目抜き通りと呼ばれる通りからは、一本外れた場所にあった。
王都などにあるゴシック様式のどちらかといえば仰々しい建物と違い、比較的質素なつくりの建物ではあるが、ショップハウスのような長屋が立ち並ぶ中にあって、広い敷地を有するクラブハウス的な建物は道行く人の目を引く。
サイファたちは新人冒険者相手の商売が居並ぶショップハウスに寄り道すること無く、剣と盾を意匠としたその建物のドアを開けた。
ギィっというかなり大きめの軋み音が響き渡る。
少女二人という構成が珍しいのか、ギルド内にいた多くの同業者が二人に目を向ける。
二人は特に気にすることも無く付カウンターに向かった。
いくつかあるテーブルに座る同業者の中には、外の若者たちの様に周りに配慮することなく、剥き出しの剣をさらけ出しているものも見て取れる。
ガラが悪いなぁ、と思いながら二人がその前を通り過ぎようとしたとき、スキンヘッドの男がサイファの前に足を投げ出した。
サイファの目がすぅっと細くなる。
リディスが「うわ、定番」と呟いた。
男の目が二人の腰や背に向けられた。
二人ともにポーチをぶら下げているだけで武器の類は見当たらない。
装備の無いことを確認すると、男は舌なめずりをした。
「おい、嬢ちゃん、おめぇら花売りか? だったらここに座って酒の相手しろよ。なぁ?」
サイファは男と、男の背後でゲラゲラと笑うスキンヘッドの仲間を一瞥すると、にっこり笑った。
同時に目の前に投げ出された男の足を、まるで道端の石ころをどけるように、蹴り上げた。
骨の砕ける音がギルド内に響く。
男は何が起きたのか理解できなかった。
後から襲ってきた激痛で、初めて自分の足を見た。半ばからへし折れ骨が剥き出しになった自分の足を。
「おおおおおおおおおllっ」
声にならない叫びを上げつつ、ようやく状況を理解したスキンヘッドが床を転げまわる。
「おー、見事な解放骨折」
リディスが男の真横にしゃがみ込むと傷の状況を確認する。
まるで背後の仲間を挑発するように。
「てめぇ──」
男の仲間の恫喝は同時に途切れ──そのまま絶句した。
叫んだ男の下半身が氷塊に閉じ込められている。
残された仲間が青い顔で硬直した。
「精々
そういうとリディスはにっこり笑った。
目、以外は。
「このあたりじゃあんまり見かけないかしれないけど、この手のストレージを持ち歩いてる人間なんてそこら中にいるんだから、手ぶらだからって油断しちゃダメだよ?」
言いながら腰に下げたポーチから、あり得ないサイズの杖が現れる。
ポーチの大きさは精々がが20センチ四方ほどの大きさだが、リディスがそこから取り出した杖は全長1メートルを超える。
黒く螺旋を描きながら真っすぐに伸びたその杖の先端には青い水晶体と、禍々しい形状の鉾が取り付けられている。
男たちはようやく理解した。
自分たちが何に手を出したのか。
容易くスキンヘッドの男の足をへし折った脚力、いや、あれはスキルなのか。
更には無詠唱で仲間を氷漬けにした魔力とあの装備。
自分たち、
「残念。アンタら死んだかも。リディス、かわいい顔して結構容赦無いから」
サイファは彼らにそう告げると足元のスキンヘッドの腹を踏みつけた。
スキンヘッドが「ぐぇ」と一声上げて気絶をする。
『あなたのが酷いでしょうに』と、リディスは横目でちらりとサイファを見るが、彼女は何処吹く風である。
仕方がない、とリディスが男たちに目を向ける。
その視線に男たちは硬直した。
目が泳いでいる。
助けを求めて。
だがここはヘイブンだ。自分たちを含めて周辺には初心者に毛が生えた程度の人間しかいない。
目の前のプレイヤーに抗えるものなどいるはずもなく、逆に傍にいた無関係の冒険者がちりじりに逃げてゆく。
リディスが無言で杖の先端を男たちに向けた。
ようやく状況を把握したギルド職員が慌てたように奥へ走っていくのと、リディスが「どかーんっ!」という間の抜けた叫びをあげるのはほぼ同時だった。
「お願いしますよ、お二人とも自重していただかないと」
そう言いながら二人の前に座る初老の男性は、だいぶ薄くなった頭にピンクのハンカチを当て、流れる汗を拭った。
着ているものはベージュのトラウザーパンツにギャザーのついたホワイトシャツという、ありふれたものだ。
別段違和感を感じるようなものではない。が、ピンクのハンカチがとにかく目につく。
ふたりの視線に気が付いたのか初老の男性──冒険者ギルドヘイブン支所長。マイケル・サイラスは件のハンカチを広げると「娘からのプレゼントなんです」と、うれしそうに笑った。
二人がいるのはヘイブンの冒険者ギルドの2階にある所長室である。
板張りの部屋には所長用であろう古びた大ぶりな机と簡素な応接セット。それとわずかばかりの書棚があるだけである。
これが中央の所長室であればもう少し豪華な調度品が並ぶのだろうが、田舎町ではそうもいかない。
二人はその簡素な応接セットの、スプリングのへたった座り心地の悪いソファーに身を預け、やや委縮しながら愛想笑いを振りまく男の話を聞いていた。
サイファは興味なさげに。
リディスは不機嫌な表情で。
所長であるサイラスの冒険者ランクはC。
一方のサイファ達はA。
一般的に冒険者はヤングと呼ばれる無印クラスを開始点とし、GからAでクラス分けをされるが、ヘイブンにいるのはそのほとんどが無印からEクラスの為、Cクラスの身でここまで委縮することはそうは無い。
格上の二人に対してサイラスは恐縮しながらの対応を迫られ、こんな依頼を回した相手に内心呪いの言葉を吐いた。
「ていうか、骨折男は自業自得だし、『どかーん』で気絶されてもねー」
「それで自重も何もないわ。ほんと」
リディスの言葉にサイファも同意した。
むしろ死者が出なかったことを喜ぶべきだと二人はサイラスに冷たい目を向けた。
二人にちょっかいを出した冒険者たちは、それなりに傷を負った状態ではあったが今はギルド職員の監視下、別室で叱責を受けているはずである。
当然のように死者は出ていない。
状況を理解しない駆け出し冒険者が、上級者に同様の目に合うのはよくあることだと二人は認識している。
サイラスの隣にはもう一人、仕立てのよい黒のテールコートを着た初老の男性が座っていた。
黒髪をオールバックにまとめ、左目にモノクルをはめている。
こちらは実に美しい、優美な身のこなしで差し出された珈琲に口をつけている。
田舎のギルドが出す珈琲にしては上質だとサイファが驚いた逸品だが、話を聞けばこの初老男性が用意したものであるらしい。
二人のやり取りを聞いて初老の男性が「ほほ」と笑った。
サイファがそちらにちらりと目を向ける。
「そろそろ本題に入っていただきたいんですが、宜しいですか?」
元よりサイファ達は観光の為にヘイブンに来たわけではない。ライカで受けた依頼の為にここまで来たのだ。
話を促されたテールコートの男性は穏やかな笑みを浮かべると、立ち上がり
元よりこの部屋にはサイファ達が入室するより先に座っていた男性である。
察しはついているが「先に階下でのトラブルの処理を」と正体は聞かされてはいない。
「わたくしはステイン公国、ホーエンハイムの領主、ホーエン男爵にお仕えする執事のウォルターと申します。この度は遠いライカの地からご足労いただきありがとうございます」
サイファとリディスは座ったままそれに応じる。
ギルド評議会の発足以降、プレイヤーはそれだけで騎士と同等の地位を約束されている。
更にこちらはAクラス冒険者。
各国からは準男爵と同等の対応が約束されているため、執事程度に冒険者風情と下に見られることはない。
だからといって、この手の場に爵位をもつ主本人が現れるて対応するようなこともまず無いのだが。
超一流の冒険者。
例えばグラムやリガルドのような、ギルド全体から見ても最上位に位置するような人間でであれば話は別だが、サイファもリディスもそこまでの存在ではない。
サイファが促すとウォルターは再び席に着いた。
そのタイミングに合わせてリディスが依頼内容の記されたスクロールをテーブルの上に広げる。
「では依頼内容の確認をさせていただきます。宜しいですか?」
ウォルターがそう言うと一同が頷き、同じ内容が書かれた副書を手にウォルターが朗々と内容を読み上げた。
依頼内容は比較的単純なものである。
冒険者としての自立を望む男爵家次男とパーティーを組み、
その間の戦闘報酬については冒険者ギルドの規定に従い支払われる事とし、男爵家次男の生還をもって完了とする。
過保護だなぁ、とリディスが苦笑いをした。
「左様ですな。『冒険者を名乗るのであれば騎士同様、自らの力で道は切り開かれなくてはならん』主もそう申しておりました」
「主は、ね」
ウォルターの言葉にサイファが苦笑いで答える。
「ママが子離れできない系?」
リディスの言葉にゴホン、とサイラスが咳ばらいをする。サイファに横目で睨まれリディスが舌を出した。
「奥方様はそもそも反対だったのですよ。常に命の危険が伴う仕事など。ですが世襲は嫡男。自立は必須。世知辛いですな。世の中というものは」
気にした様子もなくウォルターはそう言うと小さく笑い、力なく肩を落とした。
最後の方は呟きに近い。
──気まずい。
サイファは伏し目がちにテーブルの上に置かれたコーヒーを見つめる。
視界の隅に、おそらくは同じように話の流れに困ったサイラスが、神妙な顔で額の汗を拭く様子がうかがえる。
フォーローの言葉を探すサイファの隣でリディスが笑顔で手をたたいた。
「あ、そっか。それで冒険者志望って、要するに頭も悪いからお兄さんの補佐も無理だし、まともな就職先も無いってことな──」
「──おだまり!」
サイファに
「暴力反対」
「お前が言うな!」
「お、お、お客様の前です。二人ともお止めください」
慌てて止めに入るサイラスの言葉にサイファは軽く咳払いをすると、そのまま何事もなかったように涼しい顔で座りなおす。
じろり、と彼女を睨むとリディスは頭を押さえたまま再びサイファに向かって舌を出した。
ふと目の前に座るウォルターの顔が横目に映った。
違和感を感じ、顔を正面に向ける。
何事もなく穏やかな表情で珈琲を口に運ぶ紳士の顔がそこにあった。
何もおかしいことは無い。
なのにあの瞬間──。
──笑っている。
リディスにはそう見えた。
ただ、それは決して穏やかな、ではない。
ひどく酷薄な笑みに思えた。
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