第二章

プロローグ

 夢を見る。


 なんどもなんども繰り返し。

 それはきっと、つまらない夢。


 夢の中で夢を見て、目を覚まして、また日常に戻る夢を見て。


 自分が今起きてるのか、それとも夢を見てるのかもわからなくなる。


 どっちでもいいか。

 夢ならそのうち醒めるし、起きてるなら起きてるで、それは問題ないし。


 そう思いながらあたしはゆっくりと目を開く。


 映るのは普通の天井。なんの代わり映えもない。

 あたりまえだ。普通の家なんだから。

 むしろ違ったら困る。


 視線を右に移すとカーテンをかけられた窓が見える。

 窓の横に机と、机の上に放り投げられたカバン。

 そのすぐそばに学生服がハンガーに掛けて置いてある。

 お気に入りの制服だ。


 この制服が着たくてわざわざ今の高校を選んだ。

 自分のランクより上の学校だったから、受験は大変だった。

 でもまぁ、かわいいは正義だと思う。後悔はない。


 ぼんやりそんなことを考えていると、何処からか声が聞こえた。


「おきなさーい。いつまで寝てるの。遅刻するよー?」


 あれはたぶんお母さんの声。

 おそらくはだいぶ前から声をかけてきてる。

 ていうか、たぶんそれで起きた予感。


 あたしは眠い目をこすりながらベットから起き上がり、洗面所に向かう。

 歯を磨き、顔を洗い自分の顔を見る。

 そこには見慣れた自分の顔。

 当たり前だ。自分の顔なんだから。


 

 今日もかわいい。

 ノーメイクでこれですよ?

 どうして彼氏ができないんだろう?


 そんな疑問を感じながら、いろんな角度で自分の顔を見なおす。

 とくに違和感はない。だいじょうぶ。


「もう、いい加減おきなさい、時間なるよー?」


 再びお母さんの声が聞こえた。

 声の中に微妙に怒りがまざってる気がする。


「聞いてるのー? はやくしなさいー」


 あー、うるさい。

 あたしだって今起きたばかりだよ?

 今準備してるじゃん。

 それの何が問題なのさ。


 湧き出る文句を、だけど言葉にすることはない。


 反抗期の真っただ中、中学生のころにそれをやったら叩かれた。

 DV反対。暴力よくない。


 再び2階に上がると制服に着替える。

 髪を整え軽くメイクする。

 所要時間10分。

 今朝もあたしは頑張った。


「遅刻するよー? はやくご飯たべちゃってー」


 あれだ。もう少し寛容さというものを学んだ方が良いな。あなたは。


 そんなことを思いながら階段を駆け降り、と言っても足音は抑え気味にだけど、あたしはキッチンに向かう。


 10畳くらいのキッチンにダイニングテーブルが置いてある。

 テーブルの上にあたしの分のトーストとハムエッグ。それとミルクティーが置いてあった。

 お父さんの分は無い。たぶんもう食べてお仕事行っちゃったパターン。

 テーブルを挟んだ向こう、キッチンカウンターの前に見慣れたお母さんの後ろ姿がある。

 見た瞬間に一瞬じわっと何かがこみ上げる。


 ──じわっと?


 何が? 意味わかんない。


「ほら、早く食べちゃって、×××」


 声をかけてきたお母さんの言葉、その後半部分が聞き取れない。

 文脈からするとあたしの名前だと思う。でも──。


 あたしは反射的にお母さんに声をかけた。


「お母さん?」


 背中越しに溜息をついたのがわかる。


「なに、×××。お母さん忙しいんだけど」


 そう言うとお母さんはあたしのほうに振り向いた。


 ──瞬間。

 世界にノイズが走ったような気がする。


『──え?』


 声が出なかった。

 頭が真っ白になる。


 目に映るのはさっきまでとは異なる景色。

 異なる視点。


 ──闇。


 まっくらな、何もない世界。


 わたしはそこに立っていた。

 音もない。温度を感じることもないその場所に。


 かすかに足元にもやがかかっている。

 何も見えないはずなのにそれだけは分かった。


 ふと誰かの視線を感じた。


 振り返る。


 そこに少女の姿があった。


 おそらくは戸惑いの表情を浮かべ、わたしに何かを話しかけて。

 そう、おそらくは。だ。


 見ることができないのだ。

 その少女の顔を。。


 まるで写真の、顔のところだけを誰かに白いペンで乱雑に塗りつぶされたように、その顔も表情も、わたしからは見ることができなくなっていた。


 ──×××?


 声にならない声で彼女の名前を呼ぶ。

 発音したはず。

 だけどそれは言葉にはならない。

 なんという名前を呼んだのかもわからない。

 記憶にない名前。

 言葉にできない名前。


「×××?」


 少女が答える。

 だけど彼女が何を言っているのかはわからない。

 きっと彼女もわたしと同じなのだろうなと思う。

 どんな名前を呼んだのかもわからない。

 記憶にない。思い出すこともできない。

 だけど大切な名前。


 わたしは手を伸ばす。に向けて。

 彼女も同様にわたしに手を伸ばす。


 でもわたしは知っている。


 この手は届かない。

 届くはずがない。


 だってこれは夢だから。


 ──そう。

 なんどなんども繰り返す。

 それはつまらない夢。


 じゃなきゃ逢えるはずがない。


 名前すらもう思い出すこともできない彼女に。


 だって。


 だって彼女は──。

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