エピローグ
「なるほど。そういうことがあったのですか」
そう言うとその初老の男性──エレミヤ王、ラウル3世は、豊かな髭を軽くなでると豪奢な椅子から立ち上がり、テラスのほうへと足を運んだ。
綺麗に肩口で整えられた金髪が足取りとともに揺れる。
王という、肩書ゆえではない。
身にまとった華美な衣装によるものでもない。
その堂々たる佇まいこそが、何より彼が王であることを表しているように見えた。
広いテラスには心地よい風が吹いている。
頬を撫でる優しい風を受けながらゆっくりと目を閉じ、ひとつ深呼吸をすると再び目を開けた。
目の前には美しい庭園と、遠く城郭に守られた城下の街並みが広がっている。
その景色に満足げにうなずくと、ラウル3世は意識を向ける対象を切り替えた。
ギルド評議会の議長からことの顛末を聞かされたのつい昨日のことだ。
剣神と直接対峙したのはグラムという、前回の闘技会優勝者である。
彼を動かすために少々無理な要求もしたが、知人の頼みととあっては仕方ない。
リガルドには「中々に大変なことだね」と言葉をかけたが、内心ではどうでもよいことではあった。
プレイヤー達にとっては大きな問題ではあったのかもしれないが、国を揺るがす大事というわけではない。為政者にとってはある意味些細な問題ではあった。
「しかし、剣神を失った、ということはこれで君との
「仕方がありませんよ。神様が下界に居座るなんてのは、尋常ならざる事態ですからね」
先ほどまでラウル3世が座っていた椅子の向こう。対面に置かれたソファーに座る黒い影がそう答えた。
「後継は彼、ということになるのかな?」
「元々彼がモデルですしね」
「だから彼を勝たせた?」
「いえ、実力ですよ」
そう答えると黒衣の男──エルドはテーブルに置かれた珈琲に口をつけた。
「ゲームの頃なら僕のほうが操作は上手かったですし、隠しスキルの補助もありましたが、リアルだとそうもいきません」
「ほう」
「本気にさせるのに苦労もしましたが、まぁ化け物ですよ。アレは」
そう言うとエルドは嬉しそうに笑った。
剣神との最後の死合は確かに彼の想像を超える物だった。
あの一合、剣神としての目ではグラムの剣筋を追えなかった。
直前に仕掛けはしたものの、まだ覚醒には早いはずだ。
こと純粋な戦いにおいては、自分よりあの男に分があったということなのだろう。
それが死を賭す程のものであるのならなおさらに。
エルドはあの光景を思い出し小さく笑った。
本当に面白い。と。
「彼に匹敵するものはいるのかね?」
「どうでしょう? ただ、少なくともあとの二人が選ぶ人間も、やはりまともな存在とはなりえないでしょうけどね」
ふむ、とラウル3世は顎に手をあて少しの間考え込むような仕草をした。
「で、これから君はどうするのかな、立花くん。いや、それが他人の名前であるというなら、この世界の名前で呼ぶほうが正しいのだろうね。エルド君」
「そうですね。エルドでお願いします。エレミヤ王」
微笑みながら答えるその表情に、「どこか人間らしさが欠落しているな」とラウル3世は思った。
顔の造形自体、ゲームの頃のままであるがゆえに造り物感があるのは仕方がないのかもしれないが、それだけではないと思う。
やはり人ではないのだ。この存在は。
「これから先、見守るだけですよ。僕たちはこの世界の傍観者であり裁定者ですからね」
「傍観者、ね」
ラウル3世はそういうと苦笑いをした。
傍観者ならそもそもこんな場所で密談など交わさないだろうに、と。
「しかし、前にも言いましたが、あなたがログインしていたとは思いませんでしたよ。退職後もアカウントはあなたの所有物であるという話は聞いてはいましたが」
「なに、やはりね。自分で作り上げた世界の最後を見届けたいという思いはあったのですよ。すでに引退した身ではありますがね」
そう言いながら目線は都市に向けたまま、ラウル3世は感慨に耽っていた。
この世界を最初に構築したのは彼だ。
学生の頃に友達とこの世界の基礎部分を作り上げそのまま会社を立ち上げた。
より現実に近いものをと練られたそのゲームは既存のレベル制では無く、スキルベースでキャラの育成を行う形とし、その自由度の高さから多くのユーザーに支持された。
が、皮肉なことにユーザーが増えるとともに、その自由度の高さこそが足かせとなった。
顧客の増大、ユーザーの低年齢化。
それらはよりライトなゲームを求め、開発の方向性も変わってゆく。
商売である以上、顧客を選ぶ複雑さより万人に理解しやすい、売りやすいものを売ったほうが金になる。
当たり前の連鎖の中で彼の情熱も何時しか消えた。
すっかり興味を失ったこの会社を辞めたのはもう10年も前のことだ。
それ以来このゲームにログインしたことは無かった。
過去の自分に縋るように新しい会社を立ち上げ、同じように自由度の高いゲームを始めてはみたが、すでに時代はそんなものを求めてはいなかった。
自分の作るものなどもう求められてはいない。
その事実が彼から情熱を完全に奪った。
最後の日。それこそ世界の最後を届ける為だけにログインをした。
かつての同僚に告げることもなく、それこそNPCのように誰とも喋ることもなく。
世界の変容もいま、彼がいるこのテラスから見た。
唐突に世界の色が増したとき、彼はそれを夢だと思った。
本当は自分はHMDを被ったまま死んでしまっていて、それを理解する事無く、魂が夢を見続けているのだと。
改めて下界に目を向ける。
当時頭の中にあったイメージが、今まさに目の前にある。
これ以上、何を求めるというのか。
「王よ、それでも僕としては、やはりあなたにはこちら側に来ていただきたいという気持ちがあります」
ラウル3世は答えない。
わずかに顔をエルドのほうに向けると小さく微笑んだ。
「この大地の真の創造主、神たる存在はあなただ。僕たちじゃない。だからこそ──」
「エルド君。私の心が読めるのだろう。ならば説得が無駄だということも理解しているのではないのかね?」
「それは、そうですが…」
「何時か、気が変わることもあるかもしれない。プレイヤーに今のところ寿命が無いのであるならば、その時が来た時に私から君にお願いするよ」
そう言うとラウル3世は再び外に目を向けた。
「今は、これで満足だ。このまま王として、あの日見た夢の続きを見させておくれ」
20年以上も前、ゲームとしてサービスの始まった日。
すなわち世界の始まりの日。あの日もやはりこうして彼は世界を見ていたのだろう。
それが老人の夢であるのならそれを奪う権利など誰にあるだろうか。
この光景は、彼が人生をかけてでも見たかった光景なのだ。
エルドは静かに立ち上がり、後ろ向きの王に礼をするとその姿を消した。
まるで最初から誰も居なかったかのように。
「さて。世界はこれからどう変わる」
彼一人しかいない部屋でラウル3世はひとり呟いた。
「エルドはグラムを選んだ。ではほかの二人は誰を求める」
答える者はいない。
「旧神が望むはわれらが世界と、この世界の争いの先にあるもの。か」
パタパタと音を立て、ラウル3世の真上を白い鳩の群れが飛んで行く。
やがて傾きかけた黒い太陽に重なるように。
遠い空に、墨をまいたような雲が地平に沿うように広がっている。
ゴロゴロと、猛獣のうなりのような音が遠くに聞こえる。
雲の合間に稲光がひとつ、ふたつ。絡み合いながら落ちていった。
まるで──
「喰らいあう2匹の蛇か」
そう呟くとラウル3世はテラスを出ると、そのまま玉座の間に向かった。
何時しか生暖かい風が吹き始め、誰もいないテラスの窓を雨が濡らした。
──嵐が来る。
誰もいないその場所で誰かの、そんな声が聞こえた気がした。
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