剣神
剣神の言葉と同時に、グラムは間合いを一気に詰めた。
距離にして10メートル。
後方に控えていたリアには一瞬グラムが消えたようにすら見えた。
接敵の寸前の抜刀。居合による横薙ぎの一撃。
だがそれは剣神によって容易く受け流される。
「──ちっ」
自身の刃を受け流され、わずかに体勢を崩される。
そのがら空きの胴に剣神の白刃が迫る。
すんでのところで後方に飛びのく。まるで躱されるのが解っていたのかのように。
だが避けきれずに一筋の切れ目が革鎧には刻まれていた。
切られたわけではない。剣圧だけで裂かれたのだ。
切られたのならすでにグラムは死んでいる。
間合いにして5メートル。
最初から躱され、後方に飛びのくつもりで抜刀したわけではない。
あれは純粋に反射神経のなせる業だ。
──ただし人外の。
「よく躱したなぁ。バカ弟子、よ」
剣神は先ほどと違わない位置に立っている。
薄い笑みを浮かべ、鞘に納めたままの刀で自身の肩をポンポンと叩きながら。
「こないだのウドだったら今ので終わってたぜ?」
グラムには剣神の抜き手が見えなかった。
何時抜いたのか。どうやって最初の一撃を受け流されたのかもわからない。
解っていたことだ。
剣神の抜刀はグラムよりも遥かに速い。
「今ので全力ってわけじゃねぇよ、な?」
剣神がぼそりと呟く。
「次は本気でこい。小僧──」
剣神がゆっくりと間合いを詰めてくる。
「──遊んでやる」
「ちっ」
剣神の言葉に舌打ちをするのと同時に再び間合いを詰める。
上段から一気に振り下ろす。
剣神に構えはない。が、間合いに入った瞬間にグラム目掛け下から斬撃が跳ね上がってくる。
左手を柄から離すと同時に体を開き刃をやり過ごす。
顎を剣神の太刀がかすめてゆく。
グラムの打ち下ろしの剣は未だその動きを止めてはいない。
右手に握った太刀の切っ先が剣神の体をすり抜けてゆく。
──否。
見切られたのだ。ほんの数ミリの世界で。
瞬間、剣神の右手首の腱がピクリと動いたように見えた。
網膜がその光景を捉えたと同時にグラムの体が後方に飛ぶ。
意志ではなく反射的に。
同時に剣神の追撃が来る。
右手からの打突。
その突きの到達点は──首。
躱せない。
判断するより早く反射的に体を捩じり、打ち下ろしたままの大太刀を引き上げる。
迫る切っ先を柄頭で跳ね上げる。
頭上を通り過ぎた剣神の刃がその向きを変える。
今度は刃を引きながら真下。グラムの頭に。
突きを受け流すために引き上げた大太刀を回転させる。
──ギィンッ!
頭上で響く刃がぶつかり合う金属音。
両の手が伸びきったままの剣神の腕に力がこもる。
一気に押し込まれ、同時に体が沈み込む。
支えきれない、あんな無茶苦茶な体勢の剣神の剣を。
強烈な重さに耐えながら、片膝をついた体勢でかろうじて自身の太刀を支える。
ガリガリと音を立て鍔同士がお互いを削りあう。
力比べになれば勝ち目はない。
相手は細腕と侮れるレベルではない。
実際今も押し込まれ続けているのだ。何とも涼しい顔で。
剣神が押し込むタイミングに合わせグラムは両の手の力をほんの一瞬緩めると、ふいに支えを失った剣神の剣が一瞬不安定になる。
停滞なく予測される剣神の剣の軌道からわずかに体の位置をずらすと、そのまま太刀から手を放し、右の手で掌底を放つ。
わずかな擦過音。その音を聞いたと思うよりも早く剣神は後退していた。
剣神の言葉からここまでわずか数秒。
グラムは太刀を拾い上げると再び剣神に対峙する。
じりじりと間合いを詰めてゆく。
剣神は右手でだらんと太刀を下げたまま、左手で頬を撫でている。さっきまでのように鞘に納める気配は無い。
「たまらねぇなぁ。バカ弟子、よ」
剣神が、撫でていた頬から左手を下す。
敵わないのは先の数合でもうわかっている。
どこかひとつでも読みが外れていれば真っぷたつにされている。
同じことをもう一回やれと言われてもお断りだ。
それでもと、再度間合いを詰めようとしたその時──
歩き始めた。剣神が。
それは間合いを詰めるような歩みではない。
殺気もなく、ただ野を行くように飄々と。
視認と同時にグラムは太刀を正眼に構える。
──来る。
そう思った瞬間に剣神の刃が返った。
消えた。剣神が。
グラムは反射的に太刀で迎え撃つ。予測でも何でもない。
勘だ。
何もない空間に刃を向け──
──だがその時すでに、剣神の刃はグラムの首元にあった。
薄皮一枚。
それだけを切り裂いて、剣神の刃は止まっている。
二人の動きがとまり、ようやく状況を理解したリヤが主のもとに走り出そうとするのを、グラムが左手で制止した。
汗がつぅとグラムの頬を伝う。
「…じじぃ…。なぜ殺らねぇ…」
剣神はニヤリと笑うと踵を返し、そのまま元居た溶岩柱に戻ると呆気にとられるグラムを後目に徳利と杯を手にとった。
「この先に座敷がある。まぁおめぇもこっちに来て呑め。素面で話すのぁ好きじゃねぇんだよ」
「は?」
「鳩が豆鉄砲くらったような顔してんじゃねぇよ。クリア条件。覚えてるか?」
「あー」
「クエストじゃなく殺し合いがしてぇってんなら、話は別だが、よ」
言われてようやくグラムは理解した。
クエストのクリア条件は2系統。
小規模パーティーによるレイドであれば討伐。
ソロの場合は──
「まぁ、あんなんでも一発は一発だ。褒めてやるぜ? バカ弟子」
そう言うと剣神は屈託なく笑った。
先ほどまでの殺気が嘘のように。
それこそ惚れ惚れとするような笑顔で。
「──で、俺はいったい何をしてる」
月に照らされた薄明かりの中、男──グラムはそう呟くと天を仰いだ。
手元には長い竹の棒。先に糸が括り付けられ、その糸に繋がるウキがゆらゆらと揺れている。
洞から歩いて30分ほどにある渓流。
そこでなぜこんなことをしているのか、と自問しながらグラムは竿を握る。
酒の肴が必要だと竿と
俺は客だぞ、と呟くも俺は師匠だ。目上の年寄だ、と言われ止む無く剣神の言いなりとなり竿をふるう羽目になった。
魚籠には数匹の釣果が入っている。
リアは剣神に酌をさせられている。
剣神に盃を突き出され、断固拒否します、というかと思えばそうでもなく「久しぶりに会った父親みたいで、晩酌の相手もわるくないですよ?」と笑っていたのがグラムには不思議だった。
彼女たちNPCの父親、母親、兄弟。そう言ったものはどうなっているのだろうと。
グラムはリアのバックボーンなど設定していないが、そういった者たちはおそらくこの世界に存在するのだ。
グラムの知らないどこかに。
この世界は日本ではない。だが、もはやゲームの中とも思えない。
何が何だかわからない世界で、NPCとレイドボスの為に魚を釣っている。
「俺はいったい何をしてる」
ゆらりゆらりと揺れるウキを見ながらグラムは再び呟いた。
いつの間にか日は傾き、夜の帳がもうすぐそこまで来ている。
暑さの残る五日中には聞こえなかったコオロギの鳴き声が秋の訪れを告げている。
トプン、と不意にウキが沈み込む。
それに合わせグラムは竿を引き上げると、やや小ぶりのイワナがその身を反らせた。
「まぁ、こんなもんか」
釣り針をイワナの口から外すとそれを魚籠に放り込み、頃合いとみてグラムは立ち上がった。
大漁。というわけではないが3人分の肴としては十分だろう。
竿と魚籠をポーチにしまうと、グラムは渓流の岩場を登ってゆく。
道すがら見上げた空に、薄く青に染まった月と幾何かの星の姿があった。
月の姿は日本で見ていたものとあまり変わらない。厳密にはその模様はかなり異なってはいるものの、抱かせる印象に変わりはない。
だが星々の配置はだいぶ異なる。
ふと日本で見えていたはずの星座の配置を思い出そうとしたが、それを思い出すことはできなかった。
グラムは「ああ」と思った。
好んで星空を見上げたことなど、幼い頃にあっただけだったなと。
洞に到着するとそのまま道を奥へと進む。
先ほど剣神とグラムが剣を交えた広場より更に奥。そこに板張りの座敷があった。
20畳ほどだろうかガランとしたその部屋は、レイドの時代には無かったものだが、変異の中でこれも現れたものなのだろう。だが板張りの床に、ここ一年でできたものという雰囲気はなく、上を見れば天井の梁には囲炉裏の炎によるものであろう煤が色濃く貼りついている。
怪訝な顔をするグラムの表情に剣神は苦笑いをした。
「まぁ、おめぇらからしたらご都合主義もいいところ、だよなぁ?」
そう言いながら笑う剣神の横に、赤い顔で船を漕ぐリアの姿があった。
「じじい。下心満載で呑ませたわけじゃねぇだろうなぁ?」
「アホぬかせ。おめぇの作ったキャラだ。俺にとっちゃぁ姪っ子みてぇなもんだぜ?」
「…何わけのわからねぇことを…」
「へっ。まぁ
そう言いながらグラムから魚籠を受け取ると、剣神は部屋の奥に向かった。
何気に自分で捌くつもりだったグラムは、しばらくの間手を握ったり開いたりと所在なさげにしていたが、やがてやむ無しと判断したのか頭をボリボリとかき、今にも横に倒れこみそうなリアを横に寝かせるとその横に座った。
剣神は焼いたイワナを手にすぐ戻ってくる。
「こういう時魔法は便利だよなぁ。竈もなんもいらねぇ」
「簡単に言うな。普通の奴が魔法でそれやったら黒焦げだぞ?」
「なさけねぇ。魔法のコントロールくれぇ出来ねぇのか? バカ弟子」
「──俺の話じゃねぇよっ!」
「カカ。怒るな怒るな。短気は損気って、しってっか? バカ弟子」
「ちっ」
舌打ちをしながら剣神の差し出す盃を受け取ると、そこに剣神が酒を注ぐ。
グラムも返すように剣神の盃に酒を注いだ。
「まずは一献」
剣神の言葉に合わせ、二人は盃を飲み干した。
一息つくと剣神が天井を見上げながら口をひらいた。
「さてと、何から話すか。まぁ、結局おめぇらが聞きてぇことの察しはつくがよ」
剣神の言葉にグラムは無言で頷いた。
「元の世界への帰還方法、変異の理由。おめぇらが望んでんのはその辺か?」
「ああ」
「で、GMに話は聞きてぇが連絡が付かねぇ。だから
ぼそりと呟くと剣神は溜息をついた。
「
「じゃぁ何でその喋り方なんだ。おめぇらしくねぇぜ、真一」
「くくっ。察しはついちゃぁいたんだろうがよ、やっぱおめぇは驚かねぇよなぁ」
「答えろよ」
「このキャラに引きづられてんのよ。キャラクターの宿命だ。自身の設定に行動を制限される。まぁ、本体のほうなら普通に喋れるんだが、こっちだと意識しねぇとこの喋り方になっちまう」
「で、俺と似た喋り方か」
「いつか
「ふん」
グラムは不機嫌な表情で盃を口に運んだ。
考えてみれば彼自身プレイヤーネームで呼ばれるのは久しぶりである。
リアルの彼を知る者も彼をその名で呼ぶことは無い。彼自身もそうだった。
リアルを知る相手の名を、その名で呼んだ記憶がない。
「俺が
「昔話をしに来たわけじゃねぇよ」
「つれねぇなぁ。俺としちゃぁ久しぶりの話し相手だ。ちったぁつきあって欲しいもんだが、な」
苦笑いをしながら手酌で酒を注ぐ剣神にグラムは応えず、ただ目線で話の続きを促すと剣神は肩をひとつ竦め話を続けた。
「世界の変容、帰還の方法、かぁ。だがな、よく考えろよ。
グラムは答なかった。
それは至極当然の問いにほかならないからだ。
「正直、GMがその方法を知ってると思うのか? 世界をこんな、現実にしちまうだけの力をGMがもってると思うのか?」
「ない、だろうな」
剣神はグラムの答えを聞くと小さく笑った。
「世界の変容。ただの人間に出来るわけぁねぇよなぁ。かといってゲームの中でここまでの内容は再現できねぇ」
「じゃぁなぜ世界はこんなになっちまった」
「──俺が知るかよ」
剣神はそう言うと再び酒をあおった。
グラムは無言で杯に注がれた酒を見つめる。
──無駄足か。
揺れる水面に自分の顔が映った。どこか困ったような。迷い子のような顔をした自分が。
結局情報はここにもありはしなかった。口ではリガルドにああいってはみたものの、やはりグラムも頼りたかったのだ。
何かを誰かが知っているかもしれないという可能性に。
押し黙ったまま時間だけが過ぎてゆく。
蝋燭の炎が燃えるジリジリという音だけが部屋に満ちてゆく。
遠くで鳴いている虫の声が聞こえる。
それさえもやがて遠くなり、重く満ちてゆく静寂の中で嗚咽に似た声が聞こえた。
俯いたままのグラムがふと顔を上げる。
──違う。
嗚咽ではない。
クックック。
それは押し殺すように笑う声だ。
グラムには意味が分からなかった。周囲を見回す。ここにいるのは自分とリアと剣神のみである。
この状況で笑うことが出来る人物などいるはずが無い。
杯を持つ手が小さく震えている。
顔を下に向け漏れる笑いを堪えている。
剣神が。
グラムが傍らの太刀に手をかけた。
「まぁ、まてや。別に悪意があるわけじゃ、まぁあるんだがよ。おめぇに伝えることぁほかにもある。帰還だのGMにがどうだのって前によ。話には順序ってもんがあんだよ」
「しらねぇんじゃなかったのかよ」
「知らねぇさ。GMとしちゃぁな」
「どういう意味だ」
「言った通りの意味よ」
剣神はそう小さく呟くと頬杖をつき、にやりと笑った。
グラムは舌打ちをしながら同じ質問を繰り返そうと身を乗り出しかけ、そのまま動きを止めた。
「
老人の声ではない。
聞き覚えのある若い男の声に、グラムは眉を顰める。
そこに白髪交じりの老人の姿は無い。
「エルド、か」
グラムの呟きにエルドは笑顔で答えると、ふぅ、とひとつ息を吐いた。
「ああ、こっちのほうがやっぱりしっくりくる。だよね、睦月」
「ふん」
と、グラムは再びどっかりと座ると、別段興味も無さげな表情で盃を再び手に取った。
「ほんと、面白みがないなぁ。わざわざこんなクエストを用意したっていうのにさ」
「クエストかよ」
エルドは答えず、口角を微妙に上げると立ち上がった。
「まず大前提。ここがゲームの中ではないことはもちろんわかってるよね」
「ああ、ゲームの中だと思い込みてぇがな」
グラムの回答にエルドはクスリと笑った。
「そう。ゲームの中じゃない。だからログアウトもできないしNPCも普通に自我を持ってる」
ふと、エルドがリアに目を向けた。グラムもその視線に引きずられる。
「何せ本当に生きるんだからね」
「なぜだ」
「君たちこの大陸に住んでるあらゆる生命体はすべて、ゲームのデーターをもとにこの世界で再現された存在なんだよ。その過程でNPCにも魂が与えられた。つまりデーターとしての存在に血肉が与えられたわけだ。当然そこにいたる過程も創造された。この世界の創生まで遡ってね」
口を半開きにしたまま手にした盃は動かない。
理解しえない。そんな表情をしたグラムに剣神は続けた。
「当たり前でしょう。複雑な生命体は一代では存在しえない。バックボーンは必要だもの」
「そうじゃねぇ。わりいがお前が何を言ってるのかがわからねぇ。創生まで遡って? データーに血肉を与えた? どうやってそんなことができる?」
「──広義でいうところの神様って奴さ」
エルドの言葉に、身を乗り出しかけていたグラムの動きが止まった。
「世界変異はこの世界の願いによって起きた。僕らが引き起こしたわけじゃない。ってか、たかがゲーム会社の従業員にそんな真似が出来るわけがないもの、ね? 出来るとしたらそりゃぁ神様って奴だけだと思わない?」
「会ったのか? その神様って奴に」
「ああ。と、いうか、」
エルドがグラムの目を見て、笑った。
ゆっくりと自身の胸に手を当てる。
「ここにいる。僕の中に」
グラムが、再び剣の柄に手をかけた。
ちらりとそれに目を向けるもエルドは気にした様子もなく言葉をつづける。
「変異の後、僕たちGMはあの場を離脱した。状況が解らずに混乱してたのは僕たちも同じだったからね。まずはGM3人で状況把握のために集まった。場所は君たちの手の届かない場所。世界の上端。はるか高空」
エルドが天を指さす。
「この大陸のすべてが見渡せる場所だ」
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