故郷

「で、こんな辺鄙へんぴなところに来たわけですか?」


 リアがあきれ顔でグラムを見上げた。


 アストレア大陸の中で辺境と言われる場所は多い。


 西方にて最大の軍事力、国土を誇るディアス帝国。

 大陸最古の国家として、法の守護者と呼ばれる北東のエレミヤ王国

 学術研究都市として名高いアルカナ・ガーデンを擁する大陸中央のステイン公国。

 商業の中心地として発展した複数の都市国家からなる南方のライカ連合国

 国家としてはもっとも若く、多くの冒険者を抱える南東のカナル共和国。


 列強であるこの5国を取り囲むように14の辺境国が点在する。


 辺境国のほとんどはプレイヤーによって後に建国されたものであるが、それとは生い立ちの異なる国として存在するのがゲームの開始点として用意された4国である。


 エレミヤとカナルの中間にある、エルフ族の開始点となるイスタルテ王国。

 ライルより南。いくつかの島によって構成される獣人族の開始点であるハッシュ王国。

 エレミヤより更に北。主にドワーフやノームの開始点となるタウロン共和国。

 大陸の最東端にある東方の独自文化を再現した桜州国。


 プレイヤーはこの辺境4国、もしくはカナル共和国よりゲームを開始し、世界へ旅立つのだ。


 グラムとリアはいま、大陸の最東端にある桜州国にいた。

 東方の独自文化を再現した国の存在、というのはこの手のゲームの定番であるが、二人のいる場所がまさにそれである。

 この国の奥地、神域とされる陵皇山の麓。鬱蒼と広がる森林地帯にある小さな洞。

 そこに件の剣神はいる。


「俺も来たくて来たわけじゃねぇよ」


 返すグラムの言葉に覇気はない。

 この国に来たのは何年ぶりだろうか。

 最後に来たのはやはり剣神クエだった気がする。

 件のクエスト以外、特に上級者向けのクエストがある国というわけではない。


 主要な都市のほとんどにゲートと呼ばれる転移装置が存在するおかげで、どの国に行くにしてもさほど時間はかからない。とはいえやはりこの地はあくまでも初心者向けの国であるがゆえに、グラムにとっては足を向けるだけの魅力のない国なのだ。


「なんであのジジイにまた会わなきゃなんねぇんだか」


「とは言っても久しぶりの故郷なわけでしょう。満更でもないのでは?」


 グラムは肩をすくめると目の前の景色に目を向けた。


 二人が今いる場所は桜州の首都、新京という街である。

 正面、大通りの突き当りにどこか和風な城が見える。

 列強5国の城に比べれば簡素とも思える城ではあるが、侘び寂びを感じさせるその佇まいは美しい。

 ぐるりと見渡せば、明治から大正時代の日本を連想させる街並みが広がる風景は、グラムにとってあまり馴染みは無いはずだが何処か懐かしさを感じさせた。


 道行く人の姿はファンタジーの世界だけあって多彩であるが、それでもやはりほかの国では黒目黒髪の腰から日本刀を下げた侍だったり、官憲風のキャラクターが多く闊歩する風景というものにはあまりお目にかかれない。

 興味津々、といった体で人波を眺めるリアの姿を見て、グラムは口元を緩めた。


「故郷、か」


 グラムはこの町を開始点としてゲームを始めた。

 ただそれだけのことだ。

 別に、ここに何かあるわけではない。

 自分たちプレイヤーは異邦人なのだ。元々この世界で生きてきたNPCたちとは違う。


「あ、あそこ、子供が追いかけっこしてますよ。マスター。無垢な子供の姿を見て心が洗われませんか? ああ、マスターは何処までも心がすさんでるから無理ですね」


「ちっ」


 舌打ちし、リアの目線の先を見ると何人かの子供たちが大通りから路地裏の細い道へ走り抜けてゆくところだった。


 自然と口元に小さな笑みが浮かんだ。

 まるで幼い日の自分を見るようで。

 子供の頃の自分もああやって路地裏を走り抜けていた。


 そう。息を切らせ、無心で。


 流れる景色と見慣れた路地裏。


 見上げた先に見える、建物の屋根の向こうにある


 振り向けば自分を追いかける子供たちの姿。


 家々のガラスに映る幼い日の自分。


「ああ、そうだ」


 頭の中に思い出が浮かぶ。


「俺もよく路地裏で近所のガキどもを集めて──」


 言葉を止めた


 ──違う。


 グラムのプレイヤーである睦月が生まれ育ったのは現代日本。横浜だ。

 そこに黒い太陽などあるはずがない。

 だというのになぜ記憶の中にある太陽は黒いのか、グラムにはその理由がわからなかった。


 怪訝な顔でグラムを見上げるリアに手を振ると、グラムは再び子供たちが入っていった路地裏に目を向け口元に手を当てた。

 だがいくら考えたところで何が変わるわけでもない。

 あろうことか幼い日に空を見上げたその光景を、そのどの場面をイメージしても太陽は黒いのだ。

 グラムは頭を乱暴に掻くと息を吐いた。


「ダメだ。たぶん俺ぁすげぇ疲れてる」


「…良くわかりませんが、とりあえずもうボケたのですね。残念です。次のマスターを探さないと」


 グラムは無言で彼女の頭を軽くはたくと、そのまま大通りを抜け、城下のはずれにある陵皇山へ向かう乗り合い馬車の停留所へ足を向けた。

 あわててリアも追従する。


「まず停留所へ行くぞ。この国に長居してもしかたない」


「歩いて行くのでは?」


 大げさに頭をおさえながらのリアの問いかけに、グラムは足を止めた。


「何時間かかると思ってる?」


 土地勘のないリアにはわからない。

 件の場所へは徒歩で8時間。騎乗生物を利用しても2時間かかる。

 ゲートを利用してこの国に来た身である以上、自前の騎乗動物の用意があるわけではないので公共の移動手段を使うのがもっとも効率がいい。


「今日中に剣神の洞までいく。面倒ごとに時間をかけたくない」


「荷物がこれだけなのもそのため、ですか」


 そういうとリアは腰に付けたポーチをひとつ叩いた。

 よくあるゲームのように膨大な品物を収めることのできるストレージというのは存在しないが、それでも腰に付けたポーチにはトランクひとつ分くらいの荷物は収まる。

 短期の道中であれば十分といえる大きさだ。


「もしかして、わたし今回は不要でした?」


「戦闘自体は俺一人だ。そういう意味では不要だけどな。ただ」


 そういうとグラムは自身のポーチからスクロールを取り出すと、リア向かって放り投げた。

 あわててリアがキャッチする。


「俺が死んだらそいつを使え。隔世に長居は遠慮したい」


 リアは眉を顰め、受け取ったスクロールを見つめた。

「げっ」という小さな声が漏れる。


 彼女が受け取ったスクロールは蘇生魔術が封入されたスクロールである。

 ただし既製品ではない。


 通常、教会などでで販売される普通の蘇生スクロールによって蘇生が実行された場合、必ずステータスダウンのデスペナルティが付加される。が、ここにあるのは祝福されたアイテムだ。

 これは聖職者によって作成されたものではなく上位モンスターからのドロップアイテムである。

 効果はデスペナルティ0。

 蘇生時のステータスダウンが発生しない特殊品であり、そのドロップ確率の低さから非常に高額で取引されるアイテムである。


「こっ。これ、買ったんですか!」


「評議会からのお礼だとよ」


「使わないで売ったほうが良くないですか? これ」


 スクロールを握りしめたままワナワナと震えるリアを見ながら、グラムは苦笑いをしながら手を振った。


「死ななかったらやるよ。お前に」


「いや、それは流石に・・・」


「ここまでの駄賃だ」


 彼女からしたらこのスクロールは年俸にも相当する額の品物である。

 やるよと言われても困るのが本音であろうがグラムからした大した品ではない。

 元廃人からしたら上備品の類である。ストックは十分にあるのだ。


 固まったままのリアの肩をひとつ叩くとグラムは再び歩き始めた。

 昼前に乗り合いに乗れば3時間程度で現地に着く。そこから更に徒歩で1時間ほどの行程だ。

 日が傾くまでにカタはつくだろう。


 やがて郊外にある停留所が見えてきたころ、グラムはそんなことを考えていた。





 陵皇山は比較的穏やかな山である。

 頂上には社が存在し、そこに参拝に訪れるものも多い。

 桜州国では初代の帝の霊とともに神の宿る山として国民に広く愛されている神域、聖域である。

 今は初秋。冬場は立ち入ることの難しいこの山も、今の時期は訪れる者も多く乗合馬車もひっきりなしに走っている。

 グラムたちもその馬車に3時間ほど揺られ、件の山にたどり着いた。


 そこから更に徒歩で麓に広がる森林地帯を進んでゆく。

 この森は常緑針葉樹が多く、冬場でも葉が落ちる光景はあまり見られない。下草も少なく地表には剥き出しの土と苔の類が目立つ。前回の森のような不安定な足元ではないのが救いではあるが、残暑の残るこの時期の行軍である。

 リアは恨みがましい目で主であるグラムの背中を睨みつけながら歩き続けた。


 いつもであれば吐き出す愚痴も、恨み言も一切出ない。


 一歩進むごとに、洞が近づくごとにグラムの周りの空気が変わってゆく。

 ピリピリとした空気が痛い。

 ここ暫くはこんな主を見ることは無かった。

 世界変異の時ですら、主は飄々としていたというのにだ。


 前回の剣神戦に自分は同行していないが、あの時もそうだったのだろうか、と思う。


 ふと主に初めて会った時のことを思いだす。

 もう10年近く前のことだ。

 当時から主の名はこの界隈では有名だった。


 元よりプレイヤーと呼ばれる者たちは等しく自分たちの想像を遥かに超えた場所に立っている。


 人を遥かに超える身体能力に、人智を超えた魔法能力。

 並みのエルフを遥かに超えると言われる寿命と不死性。

 時に人の世に落ちた神人なのではないかと言われるほどに。


 リアもその通りだと思う。

 自分たちがいくら鍛錬に励もうが才能に恵まれようが、決してあのレベルに到達することはできないだろう。と。


 その中にあって彼女の主は頭ひとつ抜けた場所にいた。


 ハイジン。


 いつだったか誰かがグラムのことをそう呼んでいた。

 それは己のすべてを強さにかけたものに対する称号なのだと後に聞かされた。


 あれは人外。


 プレイヤーたちが口を揃えて彼をそう評する。

 リア達からしたら普通のプレイヤーたちでも十分化け物であるにも関わらず、だ。


 クランに属さないソロプレイヤーでありながら時にたった一人でレイドに挑み、時に犯罪者クラン相手に一人で切り込む。


 無謀と狂気。

 それが彼に対する評価である。


 自分がそれに付き従うのだと、師から聞かされた時には絶望的な気分になったことを覚えている。


 実際付き従って最初の頃のグラムはイメージ通りの人間だった。

 ただ冷徹に自分に命令を下し、その遂行のみを求められた。

 当たり前といえば当たり前。自分たちはその為にいるのだから。


 グラムの死にも何度も立ち会っている。

 突き合わされて殺されかけたことも数えきれない。

 実際、リアの前任者はすでに帰らぬ人となっている。

 プレイヤーと違い、彼女たちNPCに死からの蘇生方法は無いのだ。


 その主がなぜフロイドローズに加入したのかはわからない。

 いつの間にか当時のクランマスターと懇意になり、そして加入した。

 彼が穏やかになったのはそれからだと思う。

 少しずつ笑顔も見せてくれるようになったし、常にあった剣呑な雰囲気も消えた。


 だからこそ恐ろしい。

 あの頃を彷彿とさせる彼の気配が。


 リアは従者だ。

 主がどうであろうと付き従うのが務めである。

 だが願わくば剣呑とした以前のグラムでは無く、いつもの毒を吐きあえる関係のほうが好ましいと思う。


 だからこそ──。


 思考の海に沈みかけていたリアの前を行くグラムの足が止まった。

 木々のざわめきが、心なしか小さくなった気がする。


 グラムのの視線の先。そこに洞があった。

 何の変哲もない。だがおそらくは最高難易度と目されるもののひとつ。

 剣神。オーグの住まう洞が。


 リヤは懐にしまった蘇生スクロールを握りしめ主の横に並んだ。

 それとなく視界に収めた主の表情。その口元に薄い笑みが浮かんでいた。


 なぜ笑えるのか、とリアは思う。

 死ぬのは嫌だと言ってたくせに。と。


「怖くは、無いんですか?」


 言葉が出た。

 いつもであれば口にしないような言葉が。


 答えずグラムは歩を進める。

 追いかけるようにリヤも足を動かした。





 玄武岩で出来た洞の入り口を潜り、しばらく進むと外界からの光は絶え、洞は少しづつ闇に包まれてゆく。


 小さな声でリヤが魔法を唱えると手のひらに小さな明かりが灯った。

 生み出された明かりは少しずつ光量を増してゆき、やがて周囲を明るく照らす。


 ピチャリ。と天井から垂れ下がったつららから雫が落ちる。


 一か所からではない。

 見ればいくつもの雫がそこかしこから零れ落ち、迎えるようにそれを氷柱が受け止める。


 洞を構成する溶岩の上に貼りついた氷の柱は、この時期でも消えることは無い。

 いつしか外界の蒸し暑さは消え、むしろ寒いとさえ感じるほどである。

 氷穴と呼ばれるこの洞の気温は3度ほどだろうか。吐き出す息が白い。

 二人が着ている外套は温度変化に対応できるように魔道具化されたものである。

 本来は感じないはずだが、それでも視覚的に肌寒さを感じる。


 見渡せば何処までも続くキラキラと輝く氷の柱。

 これが観光であるならば美しいと思えるかもしれない光景であろう。


 その中を進みながら、しかしリアはまるで巨大なあぎとの中を進んでいるようだ、と思った。

 主の背を追いかける足取りは重い。


 洞自体はそれほど深いものでは無い。

 道中にモンスターが現れることもない。ここには剣神しかいないのだ。

 二人はまっすぐに一本道を進むとやがて20メートルほどの広間に出た。


 闇に包まれてはいない。うっすらとではあるがここには明かりがある。

 見渡せば周囲をぐるりと囲むように蝋燭の炎が揺らめいている。


 道中のような氷柱は見えない。

 ただザラりとした溶岩の広間がそこにある。


 中央に人の腰ほどの高さの溶岩柱。そこに座す人影がひとつ。

 濃紺の作務衣を着た老人がちびりちびりと酒をなめている。


 右手には小さな杯。

 左手の傍には徳利と鞘に納まった一振りの日本刀が置かれている。


 白みがかった頭髪は肩ほどまで伸び、顎髭と繋がっている。

 その眼には何が映っているのかは、グラムたちの位置からは読み取れない。


 広間の入り口に立つグラムたちに気が付いていないわけではないのだろうが、まるで誰もいないかのようにうつむき加減で酒を舐めている。


 殺気もなく。


 警戒する様子もなく。


 ただその場所で。


 一歩。グラムが歩みを進めた。

 入り口から広間へと。


 瞬間、リアは硬直した。


 さっきまではなかった圧力。

 暴力的なまでの殺気。

 老人から噴き出す嵐のようなそれに、心臓が一瞬止まった気さえした。


「じじい。リアは戦闘に関係ねぇ。当てるな」


 グラムの言葉に老人は顔を上げた。

 ゆっくりと右手の盃を足元に置く。


 顔を上げた老人の口角がわずかに上がっている。

 何の変哲もない、それなりに皺の刻まれた老人の顔。

 だがその眼を見た瞬間、宿る光の強さにリアは本能的な恐怖を覚えた。


「随分と色気づいてるみてぇだなぁ。バカ弟子よぅ」


 何処か間の抜けた喋り方ではあるが、老人にしては良く通る声が広間に響く。

 グラムの頬に一筋の汗がつうっと流れた。


「誰が弟子だ。じじい」


「つれねぇなぁ。俺の大太刀を受け取っといてそれかぁ?」


「御託はいい。話が聞きてぇ」


「変異の理由でも知りてぇってか?」


 グラムの眉がピクリと動く。ゆっくりと抜刀した。


「お見通しかよ」


「年寄ってのはな、物知りなんだよ」


 老人がゆっくりと立ち上がる。

 脇に置かれた太刀を腰に納め、その柄に左の手の平を添えた。

 身の丈は170前後だろうか。腕も足も太い筋肉に覆われているわけではない。

 どちらかといえば枯れた印象が強い。だが──


「いずれにしても俺とお話がしてぇってんなら──」


 正面からグラムを見据えるその姿に、弱者の影はない。


「──力を示せ。小僧」

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