クラン

「──要するにやっぱり新規クエストが多発してるってことなのかな?」


「たぶんな」


 大ぶりな机に肘をつき、両のこめかみを人差し指で揉みながら問いかけてくる青髪の少女にグラムは素っ気なく答えると、目の前のテーブルに置かれたコーヒーに口をつけた。


「うーん、仕様変更かぁ。NPCのこともそうだけどさぁ、やっぱり何のアナウンスもないよねぇ。まぁ、当たり前なんだけど」


 そうつぶやくと青髪の少女──レティシアは長い髪をかき上げると椅子から立ち上がり背後の窓の前に立った。


 すらりと伸びた白い手足に長い耳。

 身長は180に少し足りないくらいだろうか。

 誰もが思う、妖精と呼ぶにふさわしいエルフの姿がそこにあった。


 グラムの位置からは丁度逆光になるため、身に着けた華美な装飾の施された白いローブ──と呼ぶにはあまりにも布面積の少ない衣装ではあるが──から体のシルエットが良く見て取れる。


 ゲーム世界の常ではあるが、高レベルな装備になればなるほど煽情的な衣装が増えて行くため、高レベルプレイヤーであれば当然のようにこの手の衣装にも耐性は出来る。

 とはいえそれでも一瞬ドキリとする。

 それがCGではなく、正真正銘の現実として見える状況で、なおかつリアルの世界で懇意にしていた相手であれば尚のことか。


 グラムの視線に気が付いたのかレティシアは小さく微笑むと窓の外に目を向けた。


 目の前に広がる光景は荒野の小さな村でも、日本の街並みでもない。

 どこか17世紀ごろのフランスを思わせるゴシック様式の建築物が並んでいる。


 エレミヤ王国。

 その首都であり先のファイルクエストの舞台ともなった王都ベルクの城下町にあるクランハウスに2人はいた。


 窓の外、彼らがいる建物に沿うように大通りが王城へと向けて伸びている。

 その通りに面して幾つもの商業施設が立ち並び、行き交う人が買い物に興じ、あるいは通り過ぎてゆく。が、その多くはごく普通の衣装に身を包んだ一般人──NPCであり、冒険者の姿はぽつりぽつりと見える程度である。

 

 ベルクは人口3万人ほどの都市であるが、ここを拠点とするプレイヤー人口は5百人にも届かないといわれている。これが大陸全土となるとプレイヤー総数が1万人強に対し、NPCは一体どれほどいるのか、各国の情報が共有されていないこともあり、いまだその実態は掴めてはいない。



 世界を構成するのはプレイヤーではなく彼らNPCなのだ。


「仕様変更ねぇ。まだゲーム気分か? レティシア」


 そう彼女の名前を呼びながら、グラムはふと思う。

 すっかりアバターの名前で呼び合うのが当たり前になっているが、彼女の本当の名前を呼んだのは何時が最後だっただろうか、と。


「どうかなー。NPCのことは別としても、ほんの数か月前までは新規のクエなんか発生してなかったでしょ? それがいきなりだし、ネームド多発とか変異前にだってなかったもの」


「おまけにこれか」


 そういうとグラムはクエストで手に入れた赤い立方体──魔石を取り出した。


「そんなの見たことない。ほかにも何組か新規クエ? に調査に出してるんだけど、皆がみんなこれまでに出たことがないような形の魔石を出してる。しかも全部が全部一回のみのクエストで繰り返しが一切ないとかねl」


「ゲームじゃないなら当然だろ? 何回でも出来るクエとか、現実じゃありえねぇ」


 グラムの言葉に、レティシアは少し考えこむような仕草をした。


 思い当たる節はある。


 例えばクエストとしてはよくあるタイプの物ではあるが、何度も襲撃と住民全員の死亡を繰り返す村があった。

 その村は変異以降復活していない。クエスト自体消滅してしまっている。

 レイドも同様だ。対象の死をもって終了するクエに関しては、もう繰り返されることはない。

 少しずつ、世界がより現実的なものにシフトしているのは確かだろう。


 元がゲーム世界であるのなら、問題はそれが誰の意図なのか。


 ふと見知った顔が頭をよぎる。


 そのイメージを打ち消すようにレティシアはかぶりを振った。

 それはあり得ないことだ、と。


「まぁ、ね。わたしももうこの世界がゲームだなんて思ってないけどさぁ、ちょっとね」


 言葉を区切るとレティシアは再び窓の外に目を向けた。


「ちょっと、なんだ?」


 グラムの問いかけにレティシアは小さく笑った。


「攻略がちょっと手間かなって。スキルの鍛錬とか取得も既存の方法がとれなくなるわけでしょう? それは面倒かなーって」


 少し困ったようなような表情で答えるレティシアを見て、グラムはくすりと笑った。


「なに?」


「いや、攻略の問題かぁ、と思ってよ。てっきりここがゲームの中ならログアウトの方法さえわかれば、とか。そんな話かと思ってよ」


「わたし効率厨ですから」


 どこか揶揄からかうような表情でそう答えると、レティシアはグラムの横に腰を下ろした。


「別にログアウトできないのは問題じゃないんだな」


「うーん、どうだろうなぁ? クランウチのメンバーにも帰りたいって言ってる人が何人かいるから大きい声では言えないんだけどさ、元の世界にあんまり執着がないんだよねー」


「そう、なのか?」


「っていうかさ、グラムは元の世界に帰れると思ってる?」


 意外そうな表情を浮かべるグラムの顔を覗き込むようにしながらレティシアはそう問いかけた。

 ふわりと彼女の体臭匂いが鼻孔をくすぐる。


「さあな」


 自身の男を抑えるようにぶっきらぼうにそう答えると、グラムは冷めたコーヒーを一気に飲み干した。

 そんなグラムの心情を察してか、レティシアは彼を見つめながら蠱惑的に微笑むと、膝に置いた自分の手元に視線を移した。


「不思議だよね。最初の頃はすごく帰りたいって思ってた。なのにね、なんかこの生活に慣れちゃったからなのかな。あんまりそういう気持ちってなくなってきてるんだと思う」


 どこか遠くを見るように語るその言葉に偽りはないのだろう、と、グラムは思った。

 強がっているわけでも、諦めているわけでも。


「時々思うんだ。もしかしたら今の生活が本物で、日本でのことは夢だったんじゃないかなって」


「帰る、帰れないじゃない、か」


「よく、わかんないけどね」


 実際そうなのだろうとグラムは思う。


 彼女だけではない。最初の頃は誰に向けてなのか「帰還させろ!」などというプラカードを作って練り歩く集団やら路上で座り込みをしている連中もいたが、ここ数か月はすっかり鳴りを潜めている。

 どのような非日常であっても慣れてしまえば日常に変わるということなのだろう。


 とはいえ若年層プレイヤーや、元の世界に連れ合いや子を残した者などの中には心を病んでいる者も少なくはない。

 彼らにとって、自身の支えたる家族のいないこの世界は、やはり日常とは縁遠い異界なのだ。


「まぁ、異世界でもなんでもさ、あなたが傍にいてくれるしね」


 頬杖を突きながら流し目でそう囁くレティシアの言葉に、グラムはそっぽを向くと鼻の頭を掻いた。

 耳が赤い。


 言葉の効果に満足したのかレティシアの口元に笑みが浮かんだ。



「──で、評議会で何か決まったのか? その、、あれだ。今日は会議だったんだろ?」


「えぇー。ちゃぁんとお返事してほしいんだけどなぁ。『ああ、何時でも俺はオマエの傍にいるぜ』とかさぁ」


 グラムは答えない。

 こういう時の彼女は容赦がない。嵐は過ぎ去るのを待つか、回避するに限る。

 グラムの心情を読み取ったのか、鼻に皺をよせ真面目な表情に戻るとレティシアはグラムの隣でなく正面に座りなおした。


「ま、情報の共有は大事だものね。それがサブマス相手なら特に」


 ふぅ、とひとつ息を吐いてグラムも座りなおした。

 タイミングを見計らったように部屋のドアが開き、メイド服を着た10歳前後の少女がコーヒーを入れ直しに来る。

 カチャリと、二人の前にコーヒーを置き、お辞儀カーテシーをして下がる少女に礼を言うと、レティシアは神妙な面持ちで話し始めた。


「議題自体はここのところずっと一緒。内容的にはさっきの雑談と大差ないの。主な話題は新規クエの乱立との問題ね」


 特に返事もせずグラムは目で続きを促すと、コーヒーに手を伸ばした。


「新規クエの調査にはウチ含め20のクランが調査に協力。各地で繰り返しのない一回こっきりのネームド討伐が発生してる。クエストランク的にはEからAクラスまで多種多様。ってとこかな?」


 ほう。と、グラムはレティシアに目を向けた。

 ネームドというのはある意味強者の証である。それゆえに最下位であるEで発生しているというのは普通では考え難い事象といえる。


「ネームドか否かは鑑定スキルで確認可能。当たり前だけど人語を解するような相手だときっちり名乗ってるみたいね」


「ランクEでネームドの奴は人語を喋る?」


 レティシアは首を横に振った。


犬頭人コボルトだからね、知能はあっても人語を話すには口の構造がね。問題は誰がネームドに名前をつけたのかってこと」


 レティシアの言葉にグラムは眉を顰め、口元に手を当てた。

 名前を付けているものがいるという可能性は考えてもいなかったが、あり得ない話ではない。名前は自然にはつかない。誰かにつけてもらうか、もしくは自分でそう名乗らない限り。


「誰かがつけてまわってる奴がいるって、評議会は見てんのか?」


「ちょっと笑っちゃったんだけど一部でGM陰謀論とかね。まぁこれがイベントかなにかだったらGMあたりが意図的にPOPさせてるとかも確かにありそうだけど、それも──」


「変異前であればの話、か?」


「そういうこと」


 グラムは腕を組んだ。


「GMは? 未だ音沙汰無しか?」


「ないねー。一年前のクエスト以来目撃情報もない。少なくとも評議会では掴んでいないわ。むしろ、グラムたち現場の人間のほうが情報をもってるんじゃない?」


 グラムは肩を竦めた。


 実際多くの村や町を回っているがGMに類する情報は何ひとつ入ってきてはいない。

 一年前に発生した通称──世界変異の最中に忽然と姿を消したGMたちは以後、何人かの人間が試みたGMコールにも返答はせず沈黙を守っている。


 蛇足ではあるがゲーム時代を含め、この世界に文字によるチャットは存在しない。話したければ声の届く範囲に行かなければならないし、GMコールや遠距離の者に対して連絡を取りたい場合はデフォルトで所持している使い魔を利用した通信を行うこととなる。


「心配か?」


 グラムの問いかけに困ったような表情を浮かべ、レティシアは頬に手を当てた。


「んー。そりゃまぁ知らない顔ってわけじゃ──」


 そう言いかけたレティシアの言葉を遮るようにノックの音がした。


「失礼します」という言葉とともに、カチャリとドアが開くと先ほどのメイドの少女が現れ、レティシアに来客を告げた。


 彼女の返事も待たずに、小柄な彼女の背後から腰を屈め、潜るようにしながらドアを通り巨大な影が現れる。

 メイドの少女の身長が140前後の為か、現れた男の大きさが尋常ではないものに思える。

 いや。実際尋常ではないのだ。


 レティシアはその人影に小さく手を振ると席を立ち、グラムの横に座りなおすと男を座るように促した。

 グラムは無言ですぅっと目を細めた。

 現れた男は見知った相手だ。

 今のクランに入る前、大規模戦争時のみという期間を区切った契約で、この男の属するクランに加入していたことがある。


 男はグラムにちらりと視線を向けると無言で対面に座った。


 刈りこまれた短髪。

 浅黒い肌にヒューマンタイプとしては限界値となる250の身長。

 あえて、なのか身にまとったシンプルな濃紺のスーツは内にある筋肉で膨れ上がり、その眼つきと合わせて実に暴力的な匂いを醸し出している。

 美形ぞろいのプレイヤーキャラの中にあって敢えてそうしたのであろう厳つい武人のような面構え。


 名をリガルドという。


 この地にあるすべてのギルドを統括する組織、ギルド評議会の初代議長である。

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