第30話 魔王ジュディラスティ

 全盛期の魔王に等しいジュディの姿に恐れをなしたのかメイド部隊の誰一人として金縛りにあったように動けないでいるなか、唯一ティファリスさんだけが動きを見せた。


「ま、待ってください! 私は決して、ジュディラスティ様に歯向かおうとは……」


 バシュ!


 両手を前に出してティファリスさんが弁明する間に、ジュディの影から生じた何らかの攻撃が掻き消された。


「やれやれ、僕も舐められたものだ。そんな見え見えの芝居が通用するとでも思っているのかい? 僕が何年生きていたか、君のような若い魔族でも知っているだろう」


 その後パチンとジュディが指を鳴らすと、すべてのメイドの影から錐状の何かが生じて吸魔一族の胸を一様に貫いた。驚きの声を上げる間もなく目を見開くその先は、すべてジュディに集中していた。


「それに僕が魔族に広めた闇魔法で、僕自身を倒せると思われているなんて心外だよ」


 ドサドサッ!


 ジュディの鮮やかな闇魔法の前にあっという間に一人きりになってしまったティファリスさんは、先ほどの殊勝な態度を崩してヒステリックに叫び始めた。


「な、何故です! ジュディラスティ様を討った人間の勇者の息子を亡き者にするチャンスだというのに、どうして邪魔をされるのですか!」

「何を勘違いしているのか知らないけど、僕は別にそこに倒れている未熟な勇者などどうでもいいんだ。理由は簡単、君たちは僕のを殺そうとした。それだけさ」


 にべもなくバッサリと自らの訴えを切り捨てられたティファリスさんは、急激に魔力を高め始める。


「いいでしょう。それでは魔族の現状を顧みないあなた様を倒し、私が代わりに魔族の窮状を救ってみせるわ!」


 そうして精神の檻で見たような固有空間を形成し始めた彼女をジュディは鼻で笑った。


「おいおい、正気かい? 僕が何者なのか本当に忘れてしまったようだね。魔王ジュディラスティ・キルレインの最大の奥義は何だったのか、今それを思い出させてあげるよ」


 ジュディがそう言い終えた瞬間、ティファリスさんが形成しようとしていた固有空間が掻き消え、周囲が暗闇に包まれた。


「あぁ! これはまさか……」

「そう、君の大好きな固有空間さ。理解したなら、

「……こんなの、ありえない」


 固有空間の効果で問答無用で即死の魔術に心身を侵され次第に身体の自由を失っていくティファリスさんは、驚愕の表情を浮かべてジュディを見つめていた。


「僕と固有空間の領域争いで拮抗し得たのは、昔から悠久の魔女サーリアだけさ」


 そう言って倒れ行く幻魔ティファリス・リブルグルムを見つめるジュディは、どこか寂しげな表情を見せていた。


 ◇


 あの後、元の黒猫の姿に戻ったジュディにティファリスさんのことを聞いた。


「倒してしまってよかったの? 幻魔リブルグルムは魔王軍の四天王の一人なんでしょう?」

『別に構わないさ、僕はもう魔王じゃないからね。それに、これでフィーに手を出そうとする馬鹿な魔族も格段に減るはずだよ』


 ジュディの説明によると魔族は実力を第一に考えるそうで、四天王の一人を倒すような魔女に手を出す気にはならないだろうという。


「でも、倒したのは私じゃないわ」

『使い魔が倒したんだから、本人が倒したのと同義だよ。それより、この三人はどうするのさ』


 魔力に慣れた私と違って、弱っていたところに固有空間の魔力の影響を受けて気を失ってしまったオリビエさんたちを見て、私も今後どうするかを考えていた。

 今回の件で魔族に目をつけられかねない自分の出生の秘密を知り、これから一緒に旅を続けて迷惑をかけるかもしれないと思うと気が引けた。親切心で命をかけて助けに来てくれた三人が、もしも自分のせいで死んでしまったらと思うと胸が苦しくなる。


「オリビエさんの実家まで届けて、その後、黙って王都を出発しましょう」

『それでフィーがいいなら異論はないけど、その聖剣には触れないように気をつけるんだよ。魔女が触れたらどうなるかわからない』

「わかったわ。じゃあ、さっそく王都に戻るわよ」

『その格好でかい?』


 そう言われて初めて自分の今の格好に気がついた私は、恥ずかしさに小さな悲鳴をあげたのだった。


 ◇


『やれやれ、わざわざ城まで行って着替えなくてもいいのに』


 今まで魔王の魂が入っていると言っても黒猫の姿をしているために意識せずに自分の目の前で着替えをしていたのに、真名マナで召喚されたことで真の姿を見せたことにより、年齢相応の恥じらいを覚えたらしい。

 まあ、今までの服や持ち物もどこかに保管されているはずだと言うし、しばらく待つのも良いだろう。


『それで? いつまで、そこに隠れているつもりだい? リブルグルム』


 一息ついたあとジュディが森の一角に向けて話し掛けると、誰も居なかった空間が幻のように歪み、初老の男が姿を現した。


「気がついておられましたか。さすがは魔王ジュディラスティ様ですな。娘が粗相そそうをしたようで申し訳ございませんでした」

『まったくだよ。もっともフィーにさえ害が及ばなければ、魔族の勇者たらんとした彼女の行動は褒めてやるべきなのだけどね』

「……ところで、娘たちに止めを刺されないので?」


 旧臣の言う通り、実は吸魔一族もティファリスも仮死状態で止めは刺していなかった。


『気がついているなら、君に期待していることもわかるだろう? 生きているうちに、さっさと彼女たちを連れて行ってくれ』

「ほう、娘たちを赦されるのですか。まさか、あのジュディラスティ様が情けをかけられるとは。お変わりになられましたな」

『北へと旅を続けて現実を見たとき、魔族の子供たちのために行動していたのにと後でフィーが気に病んだ時の保険だよ。お互い、娘には気を使うということさ』

「ははは、確かに! 代替わりしたものの心配で仕方なく、この通り隠れて見守っていた次第です」


 一番変わったのは自分だろうと思うほどに好々爺のような笑顔を見せていた先代リブルグルムは、一転してひそやかな声で進言してくる。


「しかし、よろしいのですか? 娘が全盛期のジュディラスティ様を見たと喧伝けんでんしたら、あのが黙っておりませんぞ」

『おいおい、まだでいたのかい? とっくに一族の竜のいずれかとつがいになったと思っていたよ。まあ、そこは先代の腕に期待するしかないね』

「かしこまりました。いつまで記憶を抑えられるかわかりませんが、今しばらくはジュディラスティ様や姫様に迷惑がかからないよう、記憶を封じる処置をしておきましょう」


 そう言って娘や吸魔一族を一斉に闇に溶け込ませて姿を消した先代リブルグルムに、ジュディは溜息をつく。


『まったく……君が娘を抑えられなくなるなんて、どれだけ遠い未来の話なのさ』


 そうジュディが呆れるほどに、先代リブルグルムはまだまだ辣腕を振るっていた頃と遜色ない実力を維持していたのだった。


 ◇


 王都に戻ってグローリア家の門番に気を失った三人を預けると、私はジュディと共にグローリア家の当主、つまり先代勇者であるアルフレッドさんの前に通された。


「やあ、君がブラフォードとサーリアの娘かい? こうして直接話すのは初めてだね」

「はい。はじめまして、フィリアーナ・エターニアです。えっと、オリビエさんたちに助けてもらいありがとうございました」


 すぐに出発するつもりだったから何を話したものかと、定型の挨拶をしたあと言葉を詰まらせていると、


「ひょっとして、今すぐに王都を出て行こうと考えていたのかな?」

「!?」


 まるで頭の中を見透かされたように考えていたことを言い当てられ、私は息を呑んだ。


「不思議かな? 今の君を見て、あまりにも王都から辺境へと移り住む前のサーリアとそっくりな表情をしていたから、つい指摘してしまったよ。少しだけ、昔話をしようか」


 そうして、元勇者のアルフレッドさんからお父さんとお母さんの話を聞かされることとなった。

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