第29話 魔姫フィリアーナ
あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。気がつくと私は夢幻のような空間にポツンと一人で立っていた。
「私、どうしたのかしら……」
「リブルグルムの奴が精神干渉を掛けようとしたが、思いのほか抵抗力が強かったようで本体の大部分を精神的な檻の中に閉じ込めたようだ」
背後からふと沸いた念話に振り向くと、そこにはかつて山の中で出会った白い狼の子供がチョコンと座っていた。
「あなた、喋れたのね。見た目と違ってずいぶん大人みたいだけど」
凛々しくも我の強い大人の男性のような声色に、以前のように接していいのか戸惑っていると向こうから私の方に歩み寄ってくる。
「ここは精神的な空間だから思念が直接伝わってしまうんだ。内面がバレるくらいなら黙って見ていようかと思ったが、お前の使い魔に頼まれてしまったことだしな。隙を見て忍び込んだ」
「ジュディが? いつも一匹でいたから友達がいないのかと思っていたのに珍しいわ」
「ブフッ……友達じゃねぇ! それより早く精神の主導権を取り返さないと、現実では大変な事になっているぞ」
目の前の小狼が遠吠えをすると、少し離れた空間に誰かの視界が映し出された。手元にある見覚えのある杖と剣に嫌な予感を覚えて思わず口を開く。
「まさか、これは私が見ている風景?」
「ああ、意志薄弱な状態で操られている。ほら、お仲間のお出ましだ」
顎で振り向けた先を見ると、そこにはジュディに先導されて古城にやってくるオリビエさんたちの姿があった。
◇
「あれはフィーか? ずいぶん印象が違って見えるが……」
長い黒髪を結い上げ際どいドレスアーマーを着込んだその姿は、魔女見習いの姿をしていた大人しいフィリアーナとは違い好戦的な雰囲気を漂わせていた。なにより違うのは、こちらに向ける表情だ。
「ああ。あんな格好で舌舐めずりするような視線を向けられたら、俺でもドキドキしちまうな」
「何を馬鹿なことを言っているのよ。どう考えても、フィーちゃんは幻魔に操られているわよ」
「ギース、マリア。気をつけろ、ここは既に……」
チュンッ! ボヒュ!
「フィーの射程範囲内だ」
咄嗟にエクスカリバーを抜いて、海岸線でフィリアーナが見せたアトミック・レイを弾いたオリビエは二人に注意を促した。弾かれた火線により燃え上がる後ろの森の木々に二人が戦慄を覚えているうちに、バルコニーからこちらを見下ろしていたフィリアーナはフライの魔法で高速機動を見せ、目の前に降り立つ。
「……盗賊さん、お金になる」
幻惑状態にあるのか、とんでもないセリフを口走った少女にギースは苦笑いを浮かべる。
「ははは、どうやらこんな状態でもフィーちゃんであることに間違いはなさそうだぜ」
ギィーン!
「そのようだな」
先手必勝とばかりにエクスカリバーの腹で気絶を狙った剣を、反射により腰の剣で受け止めたフィリアーナ。その姿が、最初に出会ったフォレストマッドベアーを守った時に見せたそれと重なる。
こうして遠近において隙がない、魔姫フィリアーナとの戦いの火蓋が切って落とされた。
◇
「あらためて見るとすごいな。四天王をたった一人で止めた男の剣技を受け継ぐだけはある。というか、それに加えて前魔王の魔力と悠久の魔女の魔法を使いこなすなんて反則じゃないか?」
目の前に映し出される戦いの光景に、抱き抱えた小狼が感心したような声を上げた。操られた私は近づけばお父さんから教わった剣技を、離れれば魔法の連弾を間断なく叩き込んでいる。
「あわわ……でも、オリビエさんは全部跳ね返しているわよ」
かなり強烈な魔法でも、オリビエさんの剣はそのことごとくを撃ち落としている。オリビエさんの剣はあんなに強力だったかしら。
「そりゃ聖剣エクスカリバーを持った勇者が相手だ。あの坊主が手加減をしてなければ、剣ごと断ち切られている場面も何度かあったが……手加減して勝てる相手じゃないだろうに甘い奴だ。さっさとしないと、あの坊主が死ぬぞ」
「そんな!? でも、この精神の檻を打ち破れるほどの強力な幻術なんてないわよ」
ティファリスさん……いえ、幻魔リブルグルムが得意とする幻術は並大抵の精神魔法では破れないようで、なかなか閉じ込められている空間を打ち破れないでいた。
「何を言っているんだ? あるだろう、悠久の魔女が得意とした最強の幻術が」
「まさか、固有空間で放つ桜竜のことを言っているの? ここでそんなことできるのかしら」
「出来なければ、仲間が皆死ぬ事になる」
指し示す先に片膝をついて荒い息をするギースさんやマリアさん、そして諦めずにこちらを見つめるオリビエさんの眼差しに、私の中の何かが吹っ切れる。
「そんなこと絶対に駄目!」
感情の爆発に合わせて暴力的な勢いで周囲が桜並木で覆われていき、あたり一面に舞い上がる桜吹雪が掲げる右手に合わせて特大の桜竜を形成する。
「打ち破れ! 桜竜!」
放たれた桜龍はうねるように周囲の空間を食い破ると、私は現実世界の自分の身体に戻っていた。
『へっ、やればできるじゃなねぇか。それでこそ、俺の……だ』
左手に抱き抱えていたはずの小狼はいつの間にかいなくなり、わずかな念話を残してその気配が消えていく。
「ありがとう、小狼ちゃん」
気配が消え去る方角に向けて感謝の言葉を漏らした私に、オリビエさんは構えを解く。
「フィー……なのか?」
「うん、ごめんね。迷惑をかけてしまって……」
お父さんの剣を納めて傷だらけの三人のもとに近寄ったその瞬間、後方から飛来した魔法に全員吹き飛ばされた。咄嗟に魔法結界を張ったもののオリビエさんとの戦闘と同時に精神世界内部で固有空間を展開した影響で消耗していたせいか、防ぎきれずに私たちは揃って地面を這いながら呻き声を上げる。
「はい、姫様お疲れ様でした! おかげで楽に今代の勇者を始末できそうで助かるわ!」
「……ティファリスさん、どうしてこんなことを」
顔を上げて吸魔一族のメイドたちを率いるティファリスさんに理由を問う。
「どうして? どうしてですって!? 魔族を北の大地に追いやった元凶である勇者を仕留めるのに理由が必要かしら」
そこから語られたのは、北に住む魔族の子供たちの惨状だった。冬に差し掛かった今、凍えるような寒空の下で身体が弱いものから息を引き取っているらしい。そんな子供たちを救うために、保守的な先代の静止を振り切って南に進出してきたのだとティファリスさんはいう。
「人間にとって私は邪悪な魔族なのかもしれないけれど、魔族にとっては勇者ティファリス・リブルグルムというわけよ!」
「そんなことって……」
絶句した私たちに満足したのか愉悦の表情を浮かべながら右手に攻撃魔法を収束させると、ティファリスさんは歓喜の声色で言い放つ。
「というわけで勇者さえ抹殺できれば用済みだし、仲良くあの世に行くがいいわ。じゃあね、魔王になれなかった姫様!」
そう言って放たれた魔弾を前に、私はその魔王の魂を宿した使い魔の言葉を思い出し、目を瞑って力の限りに叫んだ。
「助けて! ジュディラスティ・キルレイン!」
身を固くして魔弾の衝撃に備えていた私は、いつまで経っても届かない攻撃にどうしたのかと顔を上げると、そこには黒い礼服に身を包んだ二十代後半くらいの眉目秀麗な男性が立っていた。
「やれやれ。最後の最後になって、ようやく僕の言葉を思い出したのかい?」
穏やかな目でこちらを見つめつつも呆れた口調で話すその慣れ親しんだ雰囲気に、私は呆然として問いかける。
「……まさか、ジュディなの?」
「他に誰がいるのさ。まったくフィーは困った子だ」
そう言って優しく私を助け起こしたジュディ……らしき礼装の男性は、後ろを振り返ると一転して底冷えするような低い声で問い正す。
「さて。僕に楯突いたからには、覚悟はできているんだろうね? 勇者ティファリス・リブルグルム」
鋭い殺気と
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