第25話 不穏な空気に包まれる王都

 遠く視界に見えてきた王都の城郭に、感慨深げに姫様がポツリと呟く。


「あっという間の四日間でしたわ。わたくし、このように疲れをまったく感じない旅は初めてです」


 毎日、ドラゴンステーキやカツサンドといった滋養のつく食事をして、豊富な魔力で満たしたお湯でお風呂に入り、保温の魔石で適切な温度を保った立派な館で寝泊まりできる。さらに道中では悪いものが視界に入る前に倒しているのだから、ストレス・フリーで当然だった。


「旅の間ずっと気になっていた事があるのですが、その髪飾りはひょっとしてオリビエのプレゼントですか?」

「え? うん、ホーキンスの街で買ってもらったの」

「そう……ですか。なるほど、よくわかりました!」


 一瞬だけ悲しそうな表情を浮かべたように見えたけど、瞬きをする間にいつもの元気な姫様に戻っていた。


「そういえば、邸は何処に返却すればいいのかしら」

「まあ、邸など返されても困りますわ。それはわたくしからのフィリアーナへのプレゼントということにします!」

「ありがとう……って、えぇえええ!」


 マジックバックに入れて運べば嵩張ることはないけれど、そんなポンと渡していいような物なのかしら。あまりの現実味のなさに、反射的にありがとうってお礼を言ってしまったわ!

 そんな私の動揺をよそに、ギースさんとモーガンさんは王都に入った後の行動について議論を交わしていた。


「ところで、どうやって姫様を城に送り届けるつもりなんだ? 話を聞いた限りでは、ミューズ様の結界が張られているんだろ?」

「そこはオリビエ殿の出番だろう。肉親の法術波動をあてれば、ミューズ様も気が付かれることだろう」


 つまり、このまま正面から王都に入って城の正門を通るつもりらしい。オリビエさんの両親に会う機会があるとしたら、その一度だけになるかもしれないわ。

 私は段々と大きくなってくる王都の外壁を前に、表情を引き締めた。


 ◇


『うーん、どうしてこんなに低級霊に支配された兵士が一杯いるんだろうねえ』


 王都の中に入ってみると様子がおかしい兵隊さんたちがたむろしているのが散見され、王都の住民たちはそれを遠巻きにして戦々恐々としているようだった。


「こんなにあからさまに怪しい人たちなんて、片っ端から捕まえて浄化してあげればいいんじゃないかしら」

「いや、それは無理だろう。彼らがなにか罪を犯せば話は別だが、ああして大人しくしている間は、何処かの貴族の兵士なわけだしな」


 マリアさんの疑問に淡々と答えるモーガンさんだったけど、内心では忸怩じくじたる思いでいるのか固く拳を固めていた。

 でも、私はそれよりも気になることがあった。


「ねえ、ギースさん。なんだか周りから注目されているような気がするの」


 姫様は再び積荷に紛れて目立たないように隠れているはずだけど、それとは関係なく街の住民からの視線を感じる。


「そりゃまあ、王都ではオリビエは目立つからな」

「僕が目立つんじゃない、父さんと母さんのせいだ」

「つまり、勇者と聖女の息子が帰還してきたと丸分かりということ? それって危険じゃないかしら」


 そんな疑問をぶつけると、ギースさんが人の悪い笑顔を向けて答えた。


「フィーちゃん、そこが狙いなんじゃないか。ほら、お出ましだ」


 顎で指し示す先を見ると、身なりの良い服装をした中年の男性が低級霊に憑依されている兵隊さんを引き連れてこちらの行く手を阻んでいた。


「これはこれは、グローリア家の御子息ではないですか。是非とも公爵家に御同行いただき……ゴフゥ!」


 すべてを言い切る前に、ギースさんが鳩尾に強烈な当て身を喰らわせて気絶させていた。


「姫様の行く手を阻むとは、なんたる不敬罪! さあ、フィーちゃん。奴らをいつものように痺れさせてくれ!」

「わ、わかったわ! ライトニング・ボルト!」


 ピシャーン! バタバタ……


「あわわ、いきなりだったから威力を間違えてしまったわ。大丈夫かしら」

「大丈夫。襲って来さえすればそれを口実に返り討ちにして浄化作戦としては上々の結果よ。後はお姉さんに任せて!」


 酷い作戦名を聞いた気がするけど、マリアさんが倒れた兵士さんたちに浄化と回復をかけると、今この瞬間に目が覚めたような顔をして周りを見渡す。


「こ、ここはどこだ? 我々は辺境で討伐に当たっていたはず……」

「はいはい、寝ぼけていないで姫様の警護に加わる! あ、そこの貴族は姫様とグローリア家の御子息を捕らえようとしていたから不敬罪で監獄行きね」


 マリアさんの言葉に一瞬怪訝な表情をしたけど、オリビエさんの姿を見るとバッと立ち上がり直立不動で敬礼をした。


「「「ハッ! 了解であります!」」」


 その後、ギースさんが昏倒させた身なりの良い男性を担いで行く数人の兵士さんたちを見送りつつ、私は思わず呟いてしまう。


「いくらなんでも、問答無用過ぎなんじゃないかしら……」


 ちょっと声をかけただけで監獄行きなんて、作戦名以上にやっていることが物語の悪代官そのものだわ。


「はっはっは、こっちには姫様がいるんだからこの調子で小物を掃除して行けば少しは王都も住みやすくなるってもんだ! 一度やってみたかったんだよな、王家の威光を傘に偉い奴をぶっ飛ばすのをよぉ!」


 いい笑顔で笑うギースさんに、モーガンさんが片手で目を覆って天を仰ぐ。


「おいおい。いくら非常時とはいえ、あまり姫様の外聞を貶めてくれるなよ。隣国の王子との縁談が破談になったらどうしてくれる」

「やれやれ、第一期師団長は頭が硬いなぁ。非常時くらい過程より結果を重視したらどうなんだ?」


 ギースさんはそう言って、歓声を上げる王都住民たちを指差した。


「……考慮しよう。それより早く城門に行くぞ」

「へいへい。しかし、こうなってくると公爵が操られている説は信憑性が高くなってきたな」


 末端に至るまで低級霊を憑依させていいように使っているとなると、それより上の身分の人たちはより強固な術をかけられている可能性があるという。だとしたら、誰が、なんの為にという問題が残る。

 私たちは見えない敵の思惑に考えを巡らせながら、城の門までやってきたのだった。


 ◇


「これで城の中にいる母さんには、僕が来たことが伝わったはずだ」


 城を覆うようにした強固な結界を前にして、同様の結界を発生させたオリビエさんは息を荒げて結界を解く。一瞬でもこれほど力を消耗する結界をずっと維持しているとなると、話に聞いていた通りミューズさんはとんでもない法術使いのようだわ。

 しばらく大人しく城門の前で待機していると、城の奥から巨大な気配が近づいてくるのが感じられた。


『どうやら、聖女はまだ健在のようだね。この位置からでも毛がピリピリするよ』

「あ、こちらに気がついたみたいよ?」


 オリビエさんの年齢を考えれば少なくとも三十代後半のはずだけれど、こちらに走り寄ってくる女性はせいぜい二十代後半に見える。長い金髪を後ろで結い上げ、青い瞳に喜色を浮かべてこちらに手を振る姿はとても若々しい。


「オリビエ、久しぶりね! 当分は王都に戻って来ないって思っていたのにどうしたのかしら?」

「旅の途中で偶然ユリアーナ姫と出会い、こちらにお連れしました」


 オリビエさんが後ろにいる姫様と騎士団長の方に手を向けると、ミューズさんはとても驚いたようだった。


「まあ。姫様は辺境に避難する手筈だったのよ? こちらに連れ帰ってしまっては困るわ。ギースやマリアが供についているからには、事情も掴んでいるでしょう」

「聖女様、それについては私が頼んだのです。こちらの、オリビエののフィリアーナの大魔法をもってすれば、正面から敵を鎮圧できるはずですわ!」


 右手を掲げて奮起する姫様とは対照的に、ミューズさんは戸惑ったような様子で姫様とオリビエさんを交互に見て問いかける。


「オリビエ、いつの間に婚約などしたのですか?」

「僕は婚約などしていません」

「まあ、隠さなくてもいいではないですか! ほら、こちらをご覧下さいませ!」


 姫様はこちらに来て両手で頬を包むように私の顔を挟むと、グイッと横を向けて髪飾りをミューズさんの方に見せつけた。グキッと首が鳴ってしまったわ。


「これは……ギース、まさかオリビエ自らが?」

「ご明察です。ホーキンスでも指折りの鍛治師であるトーマスの息子が作りし髪飾りを坊ちゃんが買い与え、手ずからフィリアーナ嬢の髪につけて差し上げたのだと聞き及んでおります」


 いつものふざけた様子はどこに行ってしまったのか、ギースさんはビシッとした姿勢で右手を胸に当てながらミューズさんの問いに答える。


「ばっ、何を言ってるんだ! 出鱈目……でもないけど、余計なことを言うな!」


 焦ったように捲し立てるオリビエさんの様子を見ながら、ミューズさんは口を大きく開けて声を絞りだす。


「た……」

「た?」

「大変よぉ、アルフレッド! 私のオリビエちゃんがお嫁さんを連れてきちゃったぁ!」


 お淑やかな外見とは裏腹に、先ほどまでの儀礼的な態度を完全に崩して周囲に響き渡るような大声を上げたかと思うと、ミューズさんは身体強化をしたような物凄い勢いで城の中へと駆け込んで行った。

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