第10話 魔女が仕掛けた罠
「どうしてこんなところに……」
いや、本当は幻術だとわかっている。あの魔法陣には破られることを想定して罠が仕掛けられていたのだ。近くにいないのに固有空間を発生させることができるなんて、魔女は魔女でも相当の実力者に違いない。それでも、
「どうしてって、ここは私たちの家じゃない。もうお父さんとお母さんの顔を見忘れたの?」
「はっはっは、まったくフィーはいくつになってもお寝坊さんだな! そうだ、目覚ましに一緒に素振り千本でもやるか!」
記憶にある通りのお父さんとお母さんの姿形、そして声。そのすべてに私は立ち尽くしてしまい、その心の隙間を縫って二人の接近を許してしまう。
「ところで、私の魔力を返してくれないかしら。フィーに渡したせいで寿命が縮まって大変だったのよ。わかるでしょう?」
「まったくサーリアから魔力を奪ってフィーは悪い子だ! お父さんがお仕置きをしてやるから大人しくしているんだぞ」
ガッチリと両手を押さえられて、顔を寄せられたところで黒い影がお父さんとお母さんを切り裂いた。
『なにをボサッとしているのさ。まったく、僕が居なかったら危ないところだったよ』
「ジュディ! どうして固有空間に入ってこれたの?」
『嫌だなぁ、もう忘れたのかい? 主人が得意な時空間魔法は僕も使えるし、使い魔なのだからフィーの側なら一瞬で辿り着けるさ。ほら、そんなことより今は相手に集中して』
顎で注意を促す先を見ると、爪で引っ掻かれたお父さんとお母さんが怒りの形相でこちらを睨んでいた。
「この恩知らず。ご主人様を忘れたの?」
「こうなったら切り刻んで猫鍋にしてやろう!」
『忘れるもなにも、幻影の知り合いはいないよ。あと猫鍋の具になるのも御免だね』
二人で飛びかかるものの、ヒョイヒョイと逃げ回るジュディに痺れを切らしたのか、こちらに向かって声を上げる。
「ほら! 突っ立ってないでお父さんの手伝いをするんだ!」
「まったく、役に立たないったらありゃしない。こんな娘を産むんじゃなかった」
「……ふざけないで」
私は常にない強烈な怒りを覚えていた。エレノアさんの瞳から過去のお母さんの想いを確信した私は、目の前の偽りの二人の姿は最も親しい両親への冒涜に等しかった。
「私のお父さんとお母さんは、そんなことは決して言わない!」
高まる魔力に強固な意志を込めて、私は自分の固有空間であたりを塗り潰していく。あたり一面に咲く桜を前に、私は右手を掲げて特大の桜竜を形成していく。
「ちょっと! 育てられた恩を忘れたの!?」
「フィーは優しい子のはずだ。まさかそれをお父さんたちにぶつけたりしないよな!」
「それ以上、私の両親を語らないで! 行きなさい、桜竜!」
巻き起こる桜吹雪と共にお父さんとお母さんの幻影が掻き消されると、あたりは静寂に包まれた。
「さようなら。お父さん、お母さん……そしてありがとう、私を育ててくれて」
そうして過去のわだかまりを溶かすようにポツリと呟く私の足元に、一粒の涙がこぼれ落ちた。
◇
しばらくして固有空間を解いた私は、オースティン家の地下室に戻っていた。魔法陣は完全に消え去っており、解除が成功したことがわかる。
「フィー! 大丈夫か!?」
「ええ、大丈夫よ。心配をかけたわね」
心配そうな顔をして駆け寄ってくるオリビエさんに、私は安心させるように笑いかける。後ろにつくギースさんやマリアさんもホッと胸を撫で下ろしているようだ。
そんな和やかな雰囲気が漂いそうになる中で、一際大きな声が上がる。
「エレノア!」
ハッとしてベッドの方を見ると、魔法陣で維持していたエレノアさんの体から、急速に生気を失われていくのがわかる。
「ピーター、長い間ありがとう。愛しているわ……」
「儂もだ、エレノア。お前と一緒に過ごした毎日は最高に幸せだった」
そうして最後に互いに微笑みを交わしたあと、ピーターさんに見守られエレノアさんは神様の元に召された。声もかけられず、そのまましばらく静観していると、やがてピーターさんがこちらに近寄り縛につけるよう、両手を差し出してくる。
「ありがとうございました。お陰で妻は安らかな眠りを迎えることができました。もう思い残すことはありませんので、後は聖騎士様の思う通りに断罪してください」
私はハッとしてオリビエさんの方を向く。色々と事情があったとは言え、街の人から生気を奪っていたことを隠していたことに変わりはない。でも、お母さんと同じ眼差しを見せたエレノアさんを思うと残されたピーターさんが縛につくところを見るのは忍びなく、私は思わず縋るような目をしてしまう。
「オリビエさん……」
後ろを振り向くとギースさんとマリアさんは口出しするつもりはないらしく、オリビエさんが判断を下すのをジッと待っているようだった。
「断罪とはなんのことだ? 僕達は悪い魔女が仕掛けた魔法陣を解除しに来ただけだ。それに僕は聖騎士見習いで各地を巡礼して回る以上の任務は帯びていない。さあ、帰るぞ」
「オリビエさん!」
踵を返して部屋を去るオリビエさんに急いでついて行く私は、満面の笑みが浮かべて彼を見上げた。その様子に気がついたのか、気恥ずかし気にプイっと横を向く姿に私は思わずクスッと笑ってしまう。
後ろを振り返ると、ピーターさんとトールさんがこちらに深々と頭を下げていた――
◇
宿屋までの帰り道で、少し距離をとって歩いていたギースさんとマリアさんから溜息混じりの会話が聞こえてくる。
「やれやれ。ちょっとは頭が柔らかくなっていたようでよかったぜ」
「ふふふ、そんなこと言ってギースさんだってオリビエくんの判断を疑っていないから黙っていたんでしょう?」
「いや、疑うもなにもフィーちゃんにあんな顔で見られて断罪できたら聖騎士云々以前に男じゃないだろ」
「それは一理ありますね。でも、そうだとしても王都で氷の貴公子と言われていた頃のオリビエくんを思えば、すごい進歩じゃないですか。妹さんが見ていたらタダじゃ済みませんよ?」
「……やめてくれ。エミリーの事を考えると頭が痛くなってくる」
私は気になって会話に参加してしまう。
「ギースさんの妹さんってどんな人なの?」
「そうねぇ。大雑把に言えばオリビエくん親衛隊隊長みたいな子よ」
「嫌な言い方だが、しっくり来てしまうのが情けない。フィーちゃんもエミリーには気をつけた方がいい。あいつはオリビエの事になると見境無いからな」
どうやらオリビエさんのことが好きで仕方ないらしい。少し会ってみたい気がするけど、王都まではまだ遠いから当分先の話ね……と、この時はそう思っていた。
◇
魔法都市マーシャルにおいて闇属性の魔女が集う黒曜殿でメイヴィスが午後のティータイムを楽しんでいたとき、それは突然起こった。
パリーンッ!
「どうされましたか、メイヴィス先生!」
急に耳に付けたイヤリングの魔石が破裂し、耳から血を流した師の姿に驚いて助手のブランカは声をあげて驚く。
「どうやら、以前ライラの街に敷設した魔法陣が破られたらしいわ」
「まあ。マスタークラスの魔女である先生の魔法陣を破るなんて、地方の街にも技巧派の魔女がいるんですね」
メイヴィスは助手から手渡された付近で耳の出血を抑えながら先ほどの衝撃を思い出す。あれは技巧なんて上品な解除方法を使う魔女の仕業ではない。むしろ純然たる力押しによるものだ。しかも内側から破裂したということは、罠の術中に嵌っていながら固有空間を破壊してのけたということに他ならない。
いくら遠方に居るとはいえ、並の魔力でできる芸当ではなかった。
「この私の魔法陣を力ずくで破る者が現れるなんて、面白くなってきたじゃないの」
闇属性を色濃く示すメイヴィスの蠱惑的な瞳は、遥か遠方を見据えていた。
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