第9話 ある老夫婦との対話

 それから数日後、ギースさんが特定した街の有力者ピーター・オースティン氏の邸宅の付近来ていた。ここまで来ると、街から集められた生気が地下に向かって集積している様子がよく見えた。


「この家の地下に魔法陣が組み込まれているみたい。あのあたりよ」


 正面から右側の離れの真下に魔法陣を設けているのだろう。あとは潜入すればいいだけなのだけど、なんだか様子がおかしい。


「どうしたんだ、そんな浮かない顔をして。何か気がついたことがあるなら言ってくれ」

「もしかしたら調子を崩した奥さんとは別の強い魔女が魔法陣を発動させて、その後の維持を移譲したのかもしれないわ」


 ここから感じられる魔法陣の強度が想定よりずっと強かった。奥さんのエレノアさんは魔法使いだって話だけど、こんなの魔女じゃないと無理だわ。でも、そんな魔女が逗留しているって話は聞かなかったし、目の前の建物からも大きな魔力を持った存在は感じられない。


「なんだかおかしなことになってきたな。魔法陣の維持ってのは、本人の意志でどうにかなるものなのか?」

「いいえ。ここまでのものになると、普通の魔法使いにどうこうできるものではないの。解除するにも、それなりの魔力が必要よ」

「そうか。ところで、フィーちゃんなら解除できそうなのか?」

「……できると思う。魔女本人が側にいたら分からないけど、不在なら力押しでどうとでもなるわ」


 顎に手を当ててしばらく考えていたギースさんは、やがて結論を出したのか屋敷とは反対方向に歩み始めた。


「今日は撤退しようぜ。とりあえず街から生気を吸い上げているのはオースティン家と確定できたし位置は割れたから、あとは使用人に金を渡したりして内情を探れば少しは情報を得られるはずだ」

「わかったわ。そういえば、真っ昼間に闇属性の隠蔽をかけても効果は薄いから、忍び込むのは夜半にして欲しいかも」


 後ろを歩きながら隠蔽魔法の注意を知らせると、ギースさんが振り返って深刻そうな表情を浮かべてこちらを向いた。


「軽く調べたところオースティン家のピーターは愛妻家で、今まで汚い事に手を染めた経歴は見当たらない。妻のエレノアも長年連れ添ってきた貞淑な妻で似たもの夫婦だ。今日の偵察で、正直なところ調べなくても俺には結末が見えちまってる」

「ど、どういうことよ。なんだか、ギースさんの方が魔法使いみたいね」


 私にはまったく結末が見えない。マリアさんはギースさんをアネスティ家で一番の切れ者と称したけど、普段とのギャップが激しくて戸惑ってしまう。


「巡礼に出ていると、こういう人の弱みに漬け込む構図は割とあってな。オリビエやフィーちゃんみたいな真っ直ぐな子には関わらせたくない事案なんだが、それでも老夫婦に話を聞きたいか?」

「ここまできたら聞きたいわ。それに私じゃないと、あれだけの魔法陣は解除できないもの」

「わかった。俺の予想が正しければ、恐らくフィーちゃんの隠蔽魔法を使わず、真正面から入ることができるはずだ。一応確認するから二、三日ほど時間をくれ」


 そう言ったあとギースさんは再び歩みを進める。私は宿屋に着くまでの間、ギースさんの言う結末について考えを巡らせるのだった。


 ◇


 あれから三日ほどで訪問の約束を取り付けたらしく、再びオースティン家の屋敷を訪れていた。


「ようこそおいでくださいました。私は執事のトールと申します、どうぞこちらへ」


 ただし今回は堂々と正門から入り、入り口で執事の出迎えを受けつつ客間に案内される。ギースさんの話では言い逃れをするつもりはないらしく、むしろ魔法陣を解除をお願いされたようだ。というか、


「オリビエさんまで来てしまって大丈夫なんですか?」

「いやあ、俺は反対したんだがマリアがちょうど良いテストになると言って聞かなくてな」


 こそこそとギースさんと二人で小声で話していたが、聞こえていたらしくオリビエさんが不満顔で文句を言ってくる。


「どうして僕が来たら駄目なんだ。街から生気を吸い上げるような罪を犯した者を断罪するのも聖騎士見習いとして当然の責務だろう」

「……そう単純な話じゃないんだよなぁ。本当に大丈夫なのか? マリア」

「まあ、ギースさんは意外に過保護なんですね。大丈夫ですよ、旅に出たばかりのオリビエくんじゃないんですから心配ありません!」


 そんなやりとりをしているうちに、問題の魔法陣がある地下室の扉の前に到着していた。


「こちらで旦那様と奥様がお待ちしております。奥様が安らかにお眠りになれるよう、よろしくお願い致します」


 トールさんはそう言って扉を開けて横に退くと深々と頭を下げた。その言葉の意味は開け放たれた扉の向こう、魔法陣の中央に置かれたベッドに横たわる老婦人から漂う腐臭で察しがついてしまった。

 そう。生気で無理やり保たせているだけで、エレノアさんの体はもう限界だったのだ。


「やあ、来てくれたんだね。妻を苦しみから解放してくれる者たち」


 ベッドのそばに寄り添う老紳士がピーターさんなのだろう。彼の顔には、ほっとしたような、それでいて苦悩に満ちたような複雑な表情が浮かんでいた。

 私はピータさんとエレノアさんを交互に見て思わず呟いてしまう。


「どうしてこんなになるまで……」

「すまない。ひと思いに楽にしてあげようと何度も刃を手に取ったが、儂にはどうしても妻を手にかけることはできなかった」


 私の問い掛けを皮切りにして、これまでの経緯がピーターさんから明かされた。

 不治の病に侵されたエレノアさんを助けるために方々を訪ねたが高名な医者や薬師にも治せないと告げられたこと。たまたま街を訪れていた魔女に一縷いちるの望みをかけて処置を頼んだところ、このような魔法陣を設置されたことなど懺悔するように語られていく。


「死なないように処置できると聞いたが、とんでもない仕掛けだった。情けない話だが、それでも愛する妻をこの手にかけることはできなかった。どうか、この悍ましい仕掛けから妻を解放して安らかな眠りにつかせてやってくれないか」

「ピーターさんの気持ちはわかりました。エレノアさんは、このままずっと生きていたいと思わないんですか」


 私の問い掛けに、ベッドに横たわる老婦人が途切れ途切れではあるもののゆっくりと答える。


「……私はもう十分長生きしたわ。子供にも恵まれ、立派に育って独り立ちしていった。それ以上望むことは何もないのよ」

 

 そう言って私を見つめるエレノアさんの眼差しは、お母さんが最後に見せたそれと完全に一致していた。今から五年前、十歳の私には受け止めきれなかったけど、目の前にいる血の繋がらないお婆さんなら客観的に判断することができる。もう、彼女には思い残すことはないのだと。


「わかりました。ギースさん、もう大丈夫です。私が聞きたかったことは済みました」

「そうか。じゃあ早速だが魔法陣の解除を頼む。俺たちはどうしたらいい?」

「エレノアさんを残して魔法陣の外に出ていてください。彼女を媒介にして発動しているようなので、その流れを私の魔力で断ち切った後に魔法陣を消滅させます」


 かなりのアレンジがされているけど構造的には同じはず。そう考えて魔力を高めて一気にエレノアさんと魔法陣の接続を断ち切った瞬間、床に描かれた魔法陣が反転して私を絡め取った。


「フィー! 待ってろ、今助けに……」

「こっちに来ないで! 巻き込まれるわよ!」


 パッと見たところ反転した魔法陣はどこかの固有空間に飛ばす術式が組み込まれているようだ。そう分析しているうちにグニャリと周囲の景色が変化する。どこに飛ばされたのかと身構える私の前に二人の人影が姿を現した。それは、


「お父さん、お母さん!」


 亡くなったはずの私の両親だった――

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