死んだ姉の彼氏

はたらま

第1話

 先日姉が亡くなった。未だ二十四歳だった。

通勤中階段から滑り落ち頭を強く打ったらしい。姉は反射神経も悪く鈍間な人だった。きっと姉のことだから受け身も取れず、打ちどころが悪かったのだろう。

 普段足を踏み入れることの無い田舎の自治会館に、まさか実の姉の葬式を理由に訪れることになるとは思わなかった。姉を失った虚無感と会館の古びた懐かしい香りで様々な感情が入り交じる。ポッカリと胸に穴が空いてしまったような気分で、読経の中喪服を身に纏い着席する大人達を眺めた。

 なんとなくではあるが見覚えがある顔触れの参列者の中で、唯一記憶にない顔の男がいた。

伏し目がちな瞳から睫毛の影が頬に揺れ落ち、スッと通った鼻筋をすすっている。喪服に加え漆のような美しい黒髪のせいか、色の白い肌を一段と引き立てているように見えた。彼は丸く大きな瞳から大粒の涙をポロポロと零しスーツに染みを作る。なんて綺麗に泣くんだろう。姉との関係は分からない。容姿端麗を絵に描いたようなその男を認識した途端、俺は一瞬にして目が離せなくなった。御経なんて微塵も聞こえていなかった。


 葬儀と告別式を終え、火葬中。控え室で俺は彼を見かけ咄嗟に声をかけた。


「あ、あの」


 何故声を掛けたのかは俺も分からない。この先のことなど何も考えていない。自身の咄嗟の行動に困惑する中、美しい黒髪を揺らし彼はふわりと振り向いた。目は赤く泣き腫らしたようだった。


「なに?」


 柔らかい低音が控え室に響く。部屋に反響する優しい声色の心地良さに思わず体が痺れた。女性的な整った顔立ちと華奢な体には似合わず、意外にも身長は高めだと間近で見て気付く。声色同様に柔らかい表情と瞬きの度に揺れる長い睫毛に目を奪われつつ、なんとか言葉を絞り出す。


「お名前は?」


 頭を高速回転させやっと口から出た言葉。会話の経験値がなかなかに少ない俺にとっては精一杯の会話の切り口ではあったのだが、やはり突拍子もない急な質問ではある為選択を誤ったと少し後悔する。名前も知らない、素性も分からない人間に急な質問を投げ掛けられ驚いただろう。

 案の定彼は驚いた様子でああと声を漏らし、瞬時に薄く笑みを浮かべて口を開いた。


美里みさとの彼氏でした。さかきです」

「彼氏、ですか」


 彼は榊さんというらしい。初めましてと一言付け加えた後に軽く頭を下げ、彼は視線を逸らしながらそう言った。俺もつられるように頭を下げ応えた。

 俺は姉に彼氏がいることすら知らなかった。しかも相手はモデルのように綺麗な男性。姉とは特別仲が良いわけでもなかったし、頻繁に連絡を取り合うこともなかったからか、今更知り得た新たな情報に俺は驚きを隠せない。そんな俺を見て彼は小さく笑った。


「弟さんだよね? いくつ? 名前は?」


 先程の急な質問の仕返しかのように質問攻めに合う。


颯大そうたっていいます。えっと、今年で十八です」

「へえ、結構歳離れてるんだ」


 言葉に詰まりながらも何とか言葉を返す。明らかに挙動不審な俺に彼は小さく頷きながら微笑んだ。この仕草だけで彼の人柄がよく分かった。きっと彼はすごく心が温かく優しい人だ。感受性豊かで温厚な姉の横に榊さんが並ぶ姿が容易に想像出来た。さぞお似合いな二人だったのだろう。

 先程まで俺を映していた大きな瞳を伏せた途端、薄く笑んだ顔にも何処か悲しみがちらついた。悲しみに浸る姿すら絵になる。美しい。そう思ってしまった。俺の中で小さな罪悪感が生まれる。式中と同じように悲しむ彼に目を奪われた。


「姉と仲良かったんですか」


 少しの沈黙に耐えられず、罪悪感をかき消すように下手くそな質問を投げかける。彼の視線が俺へと向けられたが、俺ではないどこかを見ているように感じた。きっと彼は姉のことを思い浮かべている。やはり姉弟であるからか、多少姉と重なる部分が俺にはあるのだろう。うん、と短く返事をすると榊さんはじんわりと涙を浮かべた。


「俺、本当に美里のこと好きだった」


 瞳から一粒の涙が溢れた。その一粒に続けるようにたくさんの涙が白い両頬を伝う。同時にその姿に俺の心は乱された。彼の仕草一つ一つに胸が騒ぐ。


「美里は感受性が豊かだから、泣き虫な俺と一緒に泣いてくれて、俺が嬉しい時は美里も一緒に喜んでくれて、毎日が宝物みたいで」


 途切れ途切れになりつつも姉との思い出をポロポロと零す。彼は堰を切ったように涙を流し姉との思い出を話し続ける。

 視線を向けられているのは俺なのに、榊さんが見ているのは決して俺ではない。強い違和感に襲われる。


「俺じゃ」


 俺じゃ駄目ですか。そんな言葉をぐっと飲み込んだ。


「俺、美里に会いたいよ、美里」


 そうか。俺は姉の彼氏に一目惚れしたんだ。俺は今死んだ姉に嫉妬している。当然ながら榊さんの口から俺の名前は出てこない。榊さんは小さく姉の名前を呼び続ける。

 泣きじゃくる榊さんの背中をさすった。まるで僅かな心の隙間に入り込むように。

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