Long red hair Kelly
明け方のナイトクラブ。盛りを過ぎた時間帯は、どのテーブルも二人連れの女性客ばかりだった。カップルらしき男女の姿が一組だけあったが、女の方は酔い潰れたかあるいはヒステリックな悲嘆に暮れてカウンターに突っ伏していた。
店の奥には二十センチの段差。そこではモダンジャズのような、創作音楽のようなものが演奏されている。激しく弦が弾かれるウッドベース、シンプルな三点ドラム、オルガニストは立っている。耳を傾ければそれなりに心地よいリズムとメロディだがそれに聴き入っている者は誰一人として居なかった。いかに優れた技術があろうとも聞き手のいない演奏は「マスターベーション」と変わらない。
ケリーと二人きりで会うのは随分と久しぶりな気がした。定期的に電子メールでのやり取りはしているものの、ズボラな性格のためかそれすらも惰性的になっていた。
お互いの近況を報告し合い、それに対する共感を交わす。そこに相手を驚嘆させるニュースは含まれていない。唯一、私が彼女の微小な変化について気に掛かったのはグラスを持ち上げるたびに光り輝く指輪だった。
「これのこと?」
私がそれとなく訊ねると、ケリーは照れ臭そうに薬指を掲げてみせた。
「結婚するんだ」
まるでちょっとした失敗でもしてしまったように、彼女は恥ずかしそうに笑った。
「おめでとう」
心からの祝福を述べつつも、私は少なからず彼女に同情した。
私とケリーの境遇はよく似ていた。幼少に親と呼べる存在を失くし、独りぼっちで生きてきた。何の技能も器量も持たぬ私たちを六番街は都合よく受け入れてくれた。
初めて彼女と出会ったのは、とある娼館の面接の時だった。その頃にはお互い胸と尻が膨らみ、男の欲望を満たす「女性」になっていた。己の生まれ育ってきた環境を彼女は全く不幸だと思っていないらしかった。
——アタイは自由に生きるのさ。
それがケリーの口癖だった。野良猫みたいに気ままな彼女の生き様に、当時の私は堪らなく憧れたものである。ケリーは私の三つほど年上だった。姉を慕う妹のようにその頃の私は常に彼女の後ろを付いて回り、彼女の言動をよく真似していた。
やがて私の年齢が当時の彼女の数字に追付くと、憧れは「十分な理解」へと変わり姉妹から親友へと私たちの関係性は変化していった。
「上手くやってるかい?」
「ぼちぼち、ね」
まるで社交辞令のようにケリーは訊く。そして挨拶でもするみたいに私は答える。その問いは私たちにとって「かろうじて喰い繋いでいる」というだけの意味であり、それ以上でも以下でもない。それから彼女はテーブルに身を乗り出すようにして、
「好きな男の一人や二人でもできたかい?」
あくまでも達観した表情で言う。恋愛こそが女の人生における至上命題であるかのように。彼女の口からまさかそんな言葉が飛び出すなんて私は夢にも思わなかった。
――男なんて所詮、ただの道具さ。女が幸福になるために使い古されるだけのね。
かつてケリーが語っていた金言を思い出す。彼女が本心からそう信じていたのか、あるいは男の玩具に成り果てた自分を慰めるため斜に構えていたのかは分からない。
「この街を出ることにしたの」
唐突に私は言った。わざわざ報告することでもなかったが、あえて口にすることで自ら退路を断ち引き返せなくさせる、いわば決意表明のようなものだった。
「淋しくなるね」
まるでテーブルに話し掛けるみたいにケリーはぽつりと言った。そしてそれ以上は何も訊いてこなかった。互いの事情にヘンに深入りはしない。それは私たちにとって関係性を上手く保つための最低限のコツだった。
「そうだね」
私もそれ以上は何も言わなかった。沈黙が食後酒のようにそっと卓上に置かれる。
暫しの静寂の後、ケリーは注文し忘れていたデザートを思い出したみたいに言う。
「アタイたちの『出会い』に」
「別れ」を惜しむのではなく「始まり」を祝福する。私たちは軽くグラスを合せた。バンド演奏の鳴り止んだ店内に二人分のガラスの音だけが慎ましく響いた。そうしてそれぞれの杯に残った酒を飲み干したとき、私たちの関係は穏やかに終りを告げた。
終りはいつだってあっけないものだ。ほとんど全ての始まりがそうであるように。
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