4、天才画家

 ゼブラ柄のスーツに大きな黒いサングラス、というハリウッドセレブみたいな派手な女性が現れたのは、ルイがギャラリーへ消えて十分程経った頃だ。


「ハイ、夜ちゃん。ごくろうさま」


「こんにちは、沙希さきさん」


 笹川ささかわ沙希さきさんは、いわゆる画商である。

 現在の『ルイ・ヒメミヤ』のプロモーターであり、海外との仲介役をこなしてもいる。

 主に海外を拠点にコネクションを持ち、活躍しているやり手の画商だ。


 私が画材屋の社員と絵描きの合間にしている副業、その雇い主でもある。

 私に生活力のないルイの世話をさせ、こうしてスケジュールを守らせ、送迎を行わせているのだ。


 助手席に乗り込んだ沙希さんに、ルイの世話にかけた諸経費、それらの領収書を渡す。

 すると代わりに、お洒落な紙袋を渡された。持ち手に結ばれたトリコロールのリボンが可愛らしい。


「お土産」


 海外を飛び回る沙希さんの生活の拠点は日本ではない。

 こうして顔を合わせる度に貰うお土産は、実はちょっとした楽しみだったりする。あまり縁のない異国に想いを馳せたり、お洒落で美味しいお菓子に舌鼓を打ったり。

 最初の頃こそ遠慮があり恐縮していたものだが、今はもうありがたくいただくことにしている。

 もちろん副業の報酬とはまったく別の、完全なる沙希さんの善意。そのひとつ。


「いつもありがとうございます。パリですか?」


「そ、マカロンとチョコレート。お母様と食べて」


 そんなことを言いながら、沙希さんがサングラスを外す。そして、思わずといった風に、重めの溜息を吐いた。ちょっと珍しい。


「何かありました?」


「あ、ごめん。瑠衣は大丈夫よ。いつも通り、外面だけは完璧。ただ、スポンサーとちょっとね。……瑠衣の顔、出したいって」


「あー……」


 まあ、気持ちは分かる。

 なんせルイの顔は極上品だ。商品価値を見出したくなる気持ちは理解できる。


「どう思う?」


「どう、かなぁ」


「そうよねぇ」


 日本では、絵画というものがあまり売れない。

 絵画に限らず美術品、観劇もそうだろう。

 国によっては一般庶民が気軽に美術品を買い求め、舞台を見に行き、国や人が当たり前のように芸術やエンターテインメントを支持することがある。


 しかしこの日本では、特に美術品を買い求め愛でるという行為自体、あくまで一部の上流階級や、好事家のためのもの、そういう空気がある。

 文化、土壌、そういったものが育まれていないように感じるのは気のせいではないと思う。一般的な家庭で絵画をその壁に飾っている家は、欧州に比べそう多くはないだろう。歴史のせいか、それとも長引く不況で一般市民にそんな余裕がないのか。

 その現状に、沙希さんは一石を投じたいと思っている、らしい。


「まあ、瑠衣本人が日本で売りたいとか思ってるわけじゃないしね」


 そうなのだ。『ルイ・ヒメミヤ』は、既に海外で名が知られ始めている。未だ知る人ぞ知る、という状態であれ、無名とは言えない。


 そのルイが、日本で名を売ることに関しては別にそう積極的ではない。いや、別にそこは日本に限った話ではないけれど。


 とにかく、そのルイ自身が顔出しをNGとしているのだ。

 理由は面倒だから、という程度ではあるだろうけど、それを無理強いしてまで日本のマーケットを開拓する必要があるかどうか。

 それはルイ本人以外、周囲の都合でしかない。


 日本に限らず海外でも、秀でたルックスを売り込む手段として使う、というのはよくある話だ。正当な評価とかどうとか、嫌厭する人も多いのは承知だが、正直、使える物はなんだって使えばいいと私は思う。

 知ってもらう切っ掛けとして、利用できるものがあるのならすればいい。

 売り込んだその先、知ってもらったその後には、作品自体が、その才能がものをいう時が確実にやってくるのだから。


 ただ、ルイ本人が望んでいない。そもそも絵が売れること自体、そこまで固執しているわけじゃない。


「もう海外だけに絞った方がいいかしら。どう思う? 夜ちゃん」


「それ、私が意見するような話ですかね」


「あらだって、アナタ瑠衣のミューズじゃない」


 にんまりと微笑む沙希さんの顔、特に目が怖い。

 なんだか居た堪れない気持ちで、私は目を反らしフロントガラスの向こう側に視線を投げた。


「アナタ無しじゃ、あの子一枚だって描けないわよ。誇張無しで全作品『姫宮夜子』じゃないの。瑠衣が『夜』だけを描くなんて、嘘。『夜』じゃなくて、『夜子』だけを描いてる」


 それは、分かってる。


「重いです」


「激重よね」


 ハンドルにもたれかかり、溜息を吐く。隣の沙希さんも、同じように溜息を吐いた。

 私のは圧し潰されそうな重圧から、沙希さんのは呆れ混じり。


「もしかして、彼氏でもできそう?」


「え、なんでです?」


 予想外の角度を突かれて、思わず動揺が走る。


「瑠衣がなんかピリついてたから。ほんのちょっとだけど」


 ほんの少し、微妙に話題が反れたのを感じる。


 適度な距離感の会話は、その内容に反して居心地の悪さは感じない。

 沙希さんが気を配っていてくれるからだろう。

 それは優しさであり、同時に画商として、プロモーターとして必要な事でもある。


 ルイの画を扱う沙希さんにとって、ルイ・ヒメミヤは商品だ。描かせ続け、そのクオリティを維持する必要がある。

 揶揄い混じりのその言葉に、私はのろのろと顔を上げた。


「いえ、残念ながら」


 ルイのピリつきについては分からないけど、いや、分からないことはないか。さっきの夕食の件だろう。

 相変わらず沙希さんは鋭い。

 多分、ルイが分かり易いってことはないと思う。あれはある意味、鉄壁のポーカーフェイスだ。


 そのルイにとって、私の『彼氏』という存在は地雷である。

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