日曜日のモーニングルーティン
王生らてぃ
本文
エプロンをかけて朝のコーヒーを淹れていると、ちょうど春美さんが起きてきたところだった。
「おはよ……」
「おはよう春美さん。もう少しでコーヒーできますからね」
今日は日曜日。
春美さんは毎日遅くまでお仕事をしていて、いつも疲れている。休みの日でも、朝はコーヒーしか口にしない。昼間はブラックだけど、朝だけは別。角砂糖をひとつ、日によってはふたつかみっつ。
「どうぞ」
「ありがとう沙織ちゃん」
春美さんの目の下には、濃いクマが浮かんでいて、すごく顔が青ざめている。春美さんはわたしの三つ上だけど、とてもそうは見えないほどに疲れ切って見えた。仕事をするというのは、そんなに大変なことなのだろうか。
「春美さん、」
わたしが名前を呼んでキスしてあげると、春美さんは少しだけ笑う。椅子に座った春美さんを抱きしめてあげると、ライトに染めた髪の毛からは不思議な香りがする。わたしも膝を折って、春美さんの首筋に顔をうずめると、春美さんの匂いで満たされる。
「元気出た?」
「うん。でた」
「よかった」
それからわたしもエプロンを外して、春美さんの前に座る。
「昨日もお仕事、大変だったの?」
「うん」
「そっか、春美さんはすごいね。いつも頑張ってて……」
「頑張ってないと、嫌なことばっかり考えちゃうから」
半分飲んだコーヒーに、もうひとつ砂糖が落ちる。
「でも、頑張ったら……沙織ちゃんがコーヒー淹れてくれるから」
「おいしい?」
「おいしいよ。すごく。自分で入れた泥みたいなコーヒーとは大違い」
「よかった。喜んでもらえて」
朝のコーヒーを飲んだ後は一緒にお掃除とお洗濯。疲れてるなら無理しないでって言ってるのに、春美さんはいつも手伝ってくれる。わたしがお布団を干している間に、掃除機がガーガーと鳴る。
「掃除機、もう古くなっちゃったね。新しいの、買う?」
「ううん。これがいい」
春美さんはそう言って、もうほとんど壊れかけている掃除機を愛おしそうににぎりしめる。わたしは布団を干したあと、乾燥機の中の洋服を取り出す。
春美さんの服は、どれもフォーマルなシャツばかりだ。わたしの服も、制服のシャツばかり。
あとは、サイズの合わないおしゃれで可愛い私服の数々。
「あっそうだ、」
お風呂場の掃除をしている春美さんに声をかける。
「ごめん、クリーニングに出してるスーツ、取りに行かなくちゃ。ちょっと出るね」
すると、春美さんは信じられないようなものを見る目で、
「いっちゃうの?」
と、ひとことつぶやいた。
シャワーの水飛沫は冷たい。いつもお湯でやったほうがいいよって言ってるのに。
「すぐ戻るから。十分くらいで」
「うん……行ってらっしゃい」
「行ってきます」
エレベーターを降りて、マンションの外に出た途端、スマホが鳴った。
お姉ちゃんからだ。
『沙織? 今どこにいるの?』
「友だちの家」
『また? ほどほどにしておきなさいよ、それより、いい加減決めてくれた? 結婚式の件』
クリーニング屋は、そこの角を曲がったすぐ先だ。パートのおばさんとはすっかり顔馴染みで、クーポンが貯まっていて今回は安くなっている。
『いちおうさ、わたしにとっては、あなたは唯一の身内なわけでしょ。だから……』
「ごめん、もう切るね。忙しいから」
『ねえ、ちょっと……』
クリーニング屋で、パリッと仕上がったスーツを受け取って、おばさんと挨拶を交わし、帰る。
スマホの電源は切っておく。
「ただいま」
春美さんはちょうど、お風呂場の掃除を終えて、ソファの上でじっと、スマホを眺めていたところだった。
わたしが帰ってきたのを見ると、さっとそれをポケットにしまったが、その時一瞬だけ、画面にうつっていた写真が見えた。
春美さんと、それから、お姉ちゃん。
どこかの夜景をバックに、制服姿のふたりが手をとって、満面の笑みを浮かべている写真。春美さんの大好きな写真だ。
「おかえりなさい」
「みて〜今日はクリーニング屋さん、気合い入れて洗ってくれたみたい。春美さん、明日からこれ着て、またお仕事がんばってね」
お仕事頑張らないで、とは言えない。
春美さんは頑張らないと、頑張っていないと、「だめ」になってしまうのだ。暇さえあればあの写真を眺めて、ぼろぼろ泣いて、ため息をついて、また泣く。
必死に頑張っていないと、「だめ」なのだ。
わたしはスーツをクローゼットに掛けて、またリビングに戻ってくると、ソファの上でぼんやりとしている春美さんの隣に座った。
「ねえ春美さん。そろそろ……ボーナスの時期なんでしょ? そしたらわたしも冬休みだから、どこか旅行に連れて行ってほしいなぁ」
「旅行?」
「うん。ふたりで行こうよ。雪がきれいなところがいいな、わたし、調べておくから」
「……うん、ありがとう。じゃあ、お仕事頑張らなくちゃ。年末は忙しいからね」
「うん」
春美さんの香り。
少しコーヒーの匂いが混じった、不思議な香りがただよう。わたしたちは互いに身を預けあって、昼を待つ。だけどわたしはコーヒーが嫌いだから、キスはおあずけ。
「ごめんね……」
わたしが寝ていると思って、春美さんはいつも、同じ言葉を呟く。
謝るようなことじゃない。わたしはお姉ちゃんの代わりにはなれないけど、それでも頑張る春美さんのことがすき。
日曜日のモーニングルーティン 王生らてぃ @lathi_ikurumi
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