1章 追放されし者
第1話 小さな追放劇(1)
迷宮の内部は、薄暗くてうすら寒い。戦闘を終えて間もないというのに、背中の汗はすぐに冷えて、回復術師はぶるりと体を震わせた。
大丈夫かと視線を向けた仲間の右手に、赤い石の指輪が無いことに気付いて、オーガストはソフィアの手を取る。
「ソフィア……指輪、どうしたの?」
聞かれたソフィアは、元から自信のなさそうな眉を、もっと下げて蚊の鳴くような声で答えた。
「売ったわ、ノエルが宿代が無いって言うから」
ソフィアの言葉に、魔力切れでだるそうに壁にもたれていたメイも目を吊り上げる。
「……っ! ノエルっ!」
勢いよく立ち上がって、その胸ぐらをつかんでやろうとしたオーガストの手は、ただ虚空をつかみ、前につんのめった。
「何だ?」
身をかわした男は、目元にかかるうっとおしい銀糸の髪の下から、無表情にオーガストに尋ねる。
「もう我慢できない! ノエル、オレたちのパーティーから抜けてくれ!」
ノエルの青い瞳がわずかに、そして意外そうに見開かれる。
「ソフィアの指輪は、お母さんの形見だったんだ! 見てよ、メイだってマジックポーションが買えなかったせいで魔力切れだよ! 熟練の冒険者だって言うから今まで黙ってついてきたけど……」
オーガストは悔しそうに一度うつむいて拳を握り、強くノエルを見上げた。
「あんたの金使いの荒さには、ついていけない! 2人とも、そうだろ?」
三対一の構図になったパーティーは、3人が15歳くらいのあどけない少年少女で、銀髪で黒づくめの衣装の男だけが二十歳を超えているような。いや、前髪が邪魔でよく顔が見えない。
問われた回復術師はオロオロと魔法使いの少女を見やり、魔法使いの方がハァと大げさにため息をついた。
「確かにね、冒険者としての腕はいいのに、ノエルの金銭感覚は、控え目に言っても狂ってるわ」
「そうか」
抑揚のない声を返したノエルに、メイは吊り目がちな眼を更に険しくした。
「そうかじゃないわよ、何で宝箱からレア武器が出たのに町に戻ってまた武器を買うのよ、しかも同じようなダガーを5本も!」
「2本はダガーで、3本は属性違いのクナイだ」
どれも短い剣じゃないとメイが言い捨てると、ノエルは不服そうに口を結ぶ。
「……姉さまは、武器を買うのが悪いと言っているんじゃないんです。次にダンジョンに潜るための薬も食料も買わず、その日の宿代まで全部「使いもしない武器」につぎ込んでしまうのがいけないと、そう言っているんです」
おっとりとした口調ながら、ソフィアが「使いもしない武器」を強調する。結局買い漁った武器のうち今回ダンジョンに持ち込んだのは、水属性の付与されたクナイ1本だけだったと先程の戦闘で発覚したところだったからだ。
「オレだってパーティーからの追放なんて、ひどい事したくないけど……仲間を守るためだ。ここで抜けてくれ」
勇者オーガストは、きっぱりとそう言い放った。3人から非難の視線を受けて、ノエルは相変わらず無表情に一言「わかった」と答えた。
「かぁっ、恩知らずなボウヤたちだなぁ」
ダンジョン内で起こった、小さな追放劇を見つめていた者がいる。
ゆったりとしたローブをまとって椅子に座る背格好は、せいぜい7つくらいの子供。深くかぶったフードから草食動物の面長の骨のお面が突き出しており、頭の上で鮮やかな鳥の羽根が二本、ウサギの耳のように揺れていた。
石壁に囲まれた部屋は、端から端まで大人の歩幅で10歩ほどで正方形に近い。
椅子の正面の壁には、いくつもの四角い光が灯っていて、それでこの迷宮の中で起こることは全て、この管理者に見聞きされていた。
「無鉄砲にダンジョンに踏み込んできて、死にかけてたところを拾ってもらったクセによー」
まぁ確かに、あのノエルってヤツは大概だけどよ、と骨の面は肩をすくめる。
「なんだっけ、あいつの
乱雑に重なった書類の中から、一枚を抜き出すと「おぉすっげ、4つ持ちかぁ」とつぶやいてから、読み上げはじめる。
「【器用】でどんな武器でも最初から熟練してて、【俊敏】で攻撃防御共にすっげー早い、【激運】持ちだからあんなにレア武器かっさらってくんだな、しっかし、最後の……イシシ」
こらえきれないように、紙を持った手が震える。
「【浪費家】って何だよ、何でコレがギフトなんだよ。くっそ、オイラこの世界の教会のファンになっちまうわ」
椅子の上でゲラゲラ笑う間に、ダンジョン地下6階層にいた4人は出口へ向かってゆっくりと移動を始めていた。
「何でついてくるのさ!」
2方向に分岐する通路で、少し離れてはいるが同じ道をついてきたノエルを、オーガストが振り返りざまに怒鳴る。
「おまえらだけでは入り口に戻れない」
当たり前だろと言わんばかりの口調でノエルは返す。
「道くらい覚えてるし、オレたちだけで戻れるよ」
言い切ったオーガストのギフトは【勇者】。ただし発音は「ゆうしゃ」ではなく「ゆうじゃ」であり、勇ましい心を持っているね、という戦士向きのギフトだ。
「この階はいいが、1つ上はおそらくもう魔物が沸いてる」
天井を指さしてノエルは言った。
「5階層のモンスターくらいアタシの魔法で……」
言ってから魔力切れを起こしていることに唇を噛んだメイのギフトは【火】で、地水火風いずれかの属性を持つ者しか魔法使いにはなれない。
「オース、私ももう次の戦闘で回復するだけの魔力があるかどうか……」
相変わらず細い声で言うソフィアのギフトは【癒し】これも、癒しのギフトを持つ者しか回復術士にはなりえない。
「ソフィ……つらい思いをさせてごめん。絶対オレが、町まで無事に帰すから!」
言いながら力強く踏み出したオーガストの足が、矢のトラップを踏み、メイに向かって矢が発射される。
「しまった! メイ!」
オーガストが叫んでいる間に、ノエルの投げナイフが矢を叩き落とす。そうして再び彼は同じセリフを繰り返した。
「おまえらだけでは、入り口に戻れない」
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