第三十一話 敵対する日本人
高木祐介。なつのが勤めていた会社のエンジニアのトップにいた男だ。
新卒入社からトントンと昇進し、五年後にはエンジニアを束ねる立場に立っていたという。年功序列の風潮が残る社風のためマネージャーや役員にはなっていなかったが、実質マネージャーは高木だというのは誰もが分かっていた。
若手からは「老害が一人二人いなくなれば高木さんの時代になる」とまで言われた実力者だったが、ひと月ほど前に突如退職をした。引継ぎもろくにされていなかったようでエンジニアが騒然としていたのは非エンジニア職の者でも知っている。
そのしわ寄せで最も大変だったのが篠宮だ。高木の直下で業務をしていたのは篠宮しかおらず、残された業務は全て篠宮に圧し掛かった。同時に朝倉は篠宮のアシスタントのようになった。しかしその朝倉も退職してしまい、篠宮は危機と言っても良いほどの状況に陥ったそうだ。
(あんまり関わった事ないけど、篠宮さんは直属の上司だよね)
なつのはちらりと高木を見ると、何とも言えない表情をしていた。
嬉しそうに見えるが、がっかりしたようにも見える。
(そりゃそうだよね。もう帰れないんだもん)
「トップって高木さんだったんですね。どうりで統率が取れてるはずだ」
篠宮は安心したようにほっと息を吐いた。
いつも自信に満ちていたが、それがなつのや朝倉を悲観的にさせないためだったことは分かっている。だからなつのはここまで魔術探しにも取り組めた。まるで引っ越して転職しただけと思えるほど安心して日々を過ごしていた。
きっと篠宮も今同じ気持ちなのだろう。いくら優秀といっても篠宮もまだ若い。経験豊富で頼りになる上司がいるのは心強いに違いない。そんな篠宮の表情は、奇形にされかけたなつのをも安堵させた。
「ここの装備、高木さんもこの世界の研究をしてるんですよね」
珍しく篠宮は子供のような笑顔を見せた。
篠宮が高木に懐いているというのも社内では有名な話しだった。入社を決めたのもインターンで高木の元で働いたからだというのを聞いたことがある。シニアとミドルを高木が束ね、若手は篠宮が束ねるのが会社の近い未来図だとまで言われていたほどだ。
(よかった。これなら話し合いで解決できるかも)
きっと篠宮もそう思っているだろう。安心しきった顔がそう語っている。
そして一歩高木に向かって歩を進めたが、その時だった。高木はぎろりと篠宮を睨みつけてきた。
「……高木さん?」
「まさかここに来てまでお前の顔を見るなんてな」
高木は怒りを顕わにしていた。それは憎しみを感じるほどの圧で、篠宮はびくっと怯えるように震えた。
「え、っと、あの、どうかしましたか」
「どうかしたか、か。そうだろうな。お前にはそんなもんだろうさ」
「ええと、あの、退職はここに来たせいですか」
「はあ!?」
「っ!」
高木は怒りが爆発したように大声を上げ、がんっと机を叩いた。
ボロボロの木を組み立てただけの机は脚から折れた。
「あの状況知っててよくそんなこと言えるな。退職するしかねえだろ!」
「な、何のことです? まさか、普通に退職したんですか?」
「普通? 普通に? 普通だと!?」
高木はぎりぎりと唇を噛んだ。
目に見えて全身を震わせていて、怒りの矛先は全て篠宮に向けられている。
「普通か。そうか。俺が降格されようが左遷されようが普通か。ああそうだよな。俺を蹴落として昇格したお前には普通のことだな!」
「……は?」
篠宮は目を見開いて愕然とした。
高木の降格と左遷。それは、なつのは聞いたことのある噂だった。
(バックオフィスへ移動が決まったって本当だったんだ)
高木が退職する数日前、誰かがひそひそと話していたのを耳にした。
「高木さんバックオフィスだって」
「え!? エンジニアじゃねえの、あの人!」
「何かやらかしたんだろ。今更事務ってねえよな」
なつのの会社はエンジニア優位で、バックオフィスを軽んじる傾向にあった。
配属されているのは派遣社員ばかりで、正社員は退職の機を逃したシニア中のシニアばかり。特に総務は何のためにいるのか分からないほどで、勤務環境の悪さはそのせいだとも言われていた。
けれどエンジニアが活躍するためにはディレクターは必要で、そこに人数を割き始めていたのだ。実際なつのが入社できたのもディレクター強化というタイミングだったからだ。
つまりそのタイミングでバックオフィスへ行くというのは、現場の戦力外通告に等しい。実際高木のチームはちらほらバックオフィスへ異動が続いていた。
そして、高木チームの業務を引き継いだのは篠宮率いる若手のチームだった。
「け、けど、そんなの篠宮さんのせいじゃな」
「ああ!?」
高木は目が飛び出るほどになつのを睨みつけた。
篠宮が認められたのは実力だ。分不相応なピックアップではない。
だがそれは篠宮側から見た場合だ。
(高木さんから見れば篠宮さんに現場の指揮権を奪われたようなものだ)
だがそれが評価なら仕方ないとしか言いようがない。
社内の異動は少なからず角が立ち、それを苦に退職するのは珍しい話でもない。
(良い気はしないよね。役員になるとまで言われてたんだからプライドもあるだろうし)
篠宮を目の前にすれば怒りが爆発するのも頷ける。
けれど思い出すのは奇形動物の存在だ。ここのトップが高木であるのならば、あれを作ったのは高木と言うことになる。
エンジニアの頂点を視野に捕らえていた男がプライドをかけて作ったのだ。
ちらりと篠宮を見ると、目を細め口は震えている。悔しいとも悲しいともとれる表情で、それはなつのなんかでは口を挟める雰囲気ではなかった。
「……ここで何をしてるんです」
「研究だよ、研究。地球じゃできない魔法の開発だ!」
「奇形を作り人を苦しめることが研究ですか。あなたはいつも夢のあるアプリを考えてたじゃないか」
「夢?」
高木はまた怒りに拳を震わせた。
けれど睨みつけた相手は篠宮ではなくなつのだった。
「なあ向坂。お前魔法アプリの企画書没くらってたよな」
「……はい」
「けど篠宮は面白いと認めた。おかげでエンジニア連中は大盛り上がりだ」
「あ、そ、そう、なんですか」
この状況で何の話だ、となつのは訳が分からず篠宮を見上げた。
すると、はっと何かに気付いたような顔をして、慌ててなつのを背に庇った。
「し、篠宮さん?」
「まさかあの件で? あれで退職を?」
「だったら何だ」
「あれは違うじゃないですか! あれこそあなたの功績が認められた企画です!」
「どこがだ! 俺が没くらったのと同じ企画で、そのリーダーがこんな新卒だと!?」
「え?」
魔法アプリはなつのが夢を見て、篠宮だけが応援してくれた企画だ。
誰に認められていなかったったはずだ。
「リーダーって何ですか?」
「……お前のあの企画は経営陣にウケてなかった。けど高木さんだけが推してくれたんだ」
「え!?」
「若い連中も興味持ってたし、高木さんが言うならとプロジェクト化が決まってた」
「は、初耳ですよ」
「頓挫したからな。高木さんがいないならやれないだろうと」
なつのはぽかんと口を開けた。
同僚にも先輩にも夢見すぎだと馬鹿にされていたあの企画がエンジニアのトップは認めてくれていたのだ。
「じゃあ異動なんて必要ないじゃないですか。何ですかそれ」
「……それは」
「プロジェクト責任者になったのは俺じゃない。篠宮だ」
「え? でも決定打は高木さんの推しなんじゃ……」
ああ、となつのは息を呑んだ。
高木の推しで決定したなら当然責任者は高木のはずだ。
それなのにいざ決まったのは篠宮で、リーダーは篠宮が面倒を見ていた新卒のなつの。
そして高木はバックオフィス行きになった。
(手柄を横取りされた、ってことだ)
「それが普通か。馬鹿にして手柄を横取りして昇進するのがお前らの普通か!」
「違う! 違いますよ!」
「言ってろ。魔法アプリなら俺の馬鹿な考えが勝つ」
高木はポケットからスマートフォンを取り出した。
「それは?」
「見てろ」
そして呆然と立ち尽くしていた、ここまで連れて来てくれた男にスマートフォンを向けた。スマートフォンの上に赤いアーガイルのような模様が浮き上がる。
男はぎょっとしたが、声を出す前にその姿は消えた。
「え!?」
「消えた!」
「くく。どこに行ったと思う」
「……まさか」
高木はにやりと笑った。
神隠し。
瞬間移動。
それはなつの達がこちらに来た手段で、地球へ帰れる手段だ。
「こいつの行先は地球。魔法を超える魔術をプログラム化すれば世界間移動が可能だ」
「……待ってよ。でも、地球に戻ったら」
「死ぬな」
びくりとなつのは震えた。次スマートフォンを向けられアプリを起動されたら――
その考えが行きつく前に篠宮にぐいと手を引っ張られる。
「走れ!」
「え!? あ、は、はい!!」
なつのと篠宮は部屋から逃げ出した。
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