ただひとつの輝き -Ⅲ

 指先に力がこもって、鉤のように曲がった指の間から髪が零れ落ちる。

「ずっとオスカーと直接顔を合わせることを避けていたパパが、どうして屋敷に乗り込んでしまったのか、それをずっと考えてた。ソフィアさんの話を聞いて分かった、人間が複製されたからよ」

「ジャンは『魔法の泉』を使って、生き物を複製することは絶対にしませんでした。巷に『硝子の蜃気楼』が出回ってからは、それを壊すことで対処してきましたが。とうとう人間を複製されて、いよいよロレンス氏自身を止める他ないと考えた」

「人間を複製したいというソフィアさんの願いは、パパを己の元へ引きずり出してやろうと考えを巡らせていたオスカーに、火をつけたのかもしれない」

 そうしてジャンはオスカーの暴挙を止めるべく、哀れな娘を盗み出した時ぶりに屋敷へと赴き――命を落とした。

 詳細な状況や直接の死因こそまだはっきりしないが、オスカーが関わっていないはずがない。

「やっぱり私は、愚かな選択をしたんですね」

 唇をわななかせて、ソフィアはうつむいた。

「人間を、自然の理に反するような真似をして造り出すことをしては、ならないって。そんなこと、頭ではわかっていたはずなのに」

「あなたはオスカーの企みとも、パパの死とも、何も関係がない」

 乱れた髪を直しつつ、リザは息を吐いた。冷静に考えて、この姉妹は事態の一部分にほんの少し巻き込まれただけだ。

「けれど人間を複製した行為は、愚かね」

 ソフィアも、本物のエリザベスも愚か者だ。『魔法の泉』を使って見せた父だって、浅はかだったのだろう。

「でも私たちの存在を、過ちだからって、なかったことにしないでほしい」

 最初からいなかったもののように扱われる痛みと孤独を、与えないでほしい。

 ソフィアは首を振った。


「この子はフィオナでなくて、私の複製だけど。でも、こんな身勝手な私に寄り添い、懸命にフィオナでいてくれようとしていて」

 造り物のフィオナが、凪いだ湖面のように静かだった瞳をわずかに揺らした。

 この子が感情に乏しいのは、最初こそ昔の自分のように、ソフィアや周囲の者にひどい扱いを受けているせいかとも思ったが。罪を犯した妹は、それでも紛い物の姉を守ろうとしていた。

 同じ『硝子の蜃気楼』でもリザとは何かが違うのかもしれないし、何かが欠け落ちているのかもしれない。それくらい、自分たちは不確定な存在だった。

「もし本物のフィオナさんが回復して目を覚ましたら、この子はどうするつもりなの」

「本物のフィオナは、亡くなりました」

 悲しい結末を、双子の妹は静かに語った。

「意識の戻らぬ状態では、長くは保つまいとはお医者様にも言われていました。その日がいつになるかは定かではなかったけれど、母の状態が悪くなる一方だから、フィオナが亡くなる前に複製を造って」

 結局それからほとんど日を置かず、本物のフィオナは亡くなったのだという。

「本物のフィオナをこの子と見送るのは、複雑な気持ちでした」

「……私は本物が死ぬの、悲しくなかった。けど、ソフィアが泣いてるのは、可哀想だと思った」

 偽物から見た、本物の死。その胸中に渦巻く想いはどれほどのものか、同じく複製品であるリザもよくわからない。リザは本物のエリザベスとは、ほとんど顔を合わせたことがないのだから。


「フィオナが亡くなってしまったら、ブルーサファイアを一緒に埋葬してあげようと思って、それでネックレスも複製したんです。あの子には本物を棺の中まで持って行ってもらって、遺された私たちは偽物のネックレスを使うことにして。フィオナが生きていることになっているのに、埋めてしまったなんて言えませんから」

 双子はパーティーの時、ブルーサファイアのネックレスを身に着けていなかった。主役のルイズに対する配慮だと思っていたが、そもそも本物は埋葬してしまっていたのか。

「でも結局、複製した宝石はルイズお嬢様にあげてしまったの?」

「本物は神の国に召された、フィオナだけのものです。死後の世界まで、フィオナが持って行ったんです。だから偽物を胸からぶら下げて笑っているのが、フィオナへの裏切りのように感じてしまって」

 渡りに船と、ルイズさんに押し付けたようなものです――そう、ソフィアは言った。

「目立つ宝石でしたから、私たちが身に着けなくなって不審に思う者がいるかもしれませんね。でももう、私たち偽りの姉妹はずっと綱渡りをしている。ネックレスひとつ、今更です」

 諦めたように、ソフィアは力なく笑った。

「皆さんからしたら、フィオナはまだ生きています。母や周囲の方々にとってのフィオナはこの子。私は本物のフィオナから、死を取り上げてしまった」

 一度はハンカチで拭った目元に、再び涙がせり上がる。

「葬儀は行わず、フィオナの埋葬は私とこの子とお医者様、フィオナの世話をしていたメイドが一人、あとは神父様が立ち会っただけです。お母様とフィオナを、ちゃんとお別れさせてあげることもしなかった」


「なんて悲しい、別れでしょうね」

 リザに攻める気持ちはなかった。ただ、自分も心残りな別れを経験していたから。

「葬儀に立ち会った者たちは、本物のフィオナが亡くなっている事実は墓場まで持って行くと言ってくれました。この子、偽物のフィオナが魔法の産物であることは知りません。ただ、偶然にも私たちと瓜二つの、天涯孤独の女性がいたなんて話、どこまで信じたかはわかりませんが」

 信じたのか、ソフィアを気遣っているのか、誰も触れたくなかったのか。いずれにせよ、偽フィオナのさらなる真実を知らない者では、ソフィアの真の協力者にはなりえない。

「いつか母に、真相を話す日が来るかもしれません。こんな状態、長く続けられるかもわからない」

 ソフィアひとり罪を背負い秘密を抱えて生きるのは、いかほどの苦しみだろうか。

「あの夜、怪盗エリザベスの正体が『硝子の蜃気楼』だと気づいて。このフィオナを破壊されるかもしれない恐怖と、真実を暴き立てられるかもしれない可能性に怯えました。けれど、この子のほかに人間を元にした『硝子の蜃気楼』が存在するなら、話をしてみたくなったんです」

「誰とも苦しみを分かち合えなかったのが、つらかったのね」

 ソフィアはこくりとうなずいた。

「とはいえ私は別に、あなたがた姉妹と理解し合いたいなんて思わないけど」

 勝手なことを言ってくれる、と思う。自分から罪に踏み込んだくせに、重荷を少しでも下ろしたいだなんて。リザが何をしてくるかだってわかったものではないというのに、こんな胡散臭い場所を訪ねてくるのも考えが足りなすぎる。

「……それでも色々、知ることができて良かった。話してくれてありがとう」

 愛想笑いもしない。慰めも口にしない。ただここまで来てくれたことに、礼を述べた。

 すん、と鼻を鳴らしてソフィアは言う。


「ロレンスおじさまには、この場所のことは伝えていません。あの方は『硝子の蜃気楼』が呼び合う性質を知らないようですし」

 魔法使いであったジャンは、魔力の気配を探ってオスカーが流通させた『硝子の蜃気楼』を探し当てていた。『魔法の泉』を所有していたとしても、魔力をもたぬオスカーでは、リザを感知することはできないのだ。

「ロレンスおじさまは、今、本物のフィオナを療養させていた別荘にいます」

 一瞬、リザの息が止まった。

 ずっと知りたかった、憎き男の居場所。

「あの男『硝子の蜃気楼』を餌に撒くくせに、元々いた屋敷から消えたんだもの。……やっと見つけた」

「ジャンはリザさんのために居場所を隠してましたけど、リザさん自身はジャンの死後、ロレンス氏の元に乗り込んで行ってやるという勢いでしたからね。実際、エレクトレイに家まで借りてしまったし。怪盗エリザベスをおびき出すような真似をするくらいなら、転居なんてすることなかったのに」

「人死にが出た屋敷では、心地悪いという事でしたが」

「ふざけてる!」

 リザはソファのひじ掛けを叩いた。

 そもそもお前が、お前が殺したのではないのか!

「ジャンの死について警察や周囲に下手に探られたくないから、屋敷を離れたという線もありますかね」

 リザの激昂に構わず、ダニエルが冷静に分析する。

「とにかく、その、住む場所を変えたいというご相談があったので。『魔法の泉』を貸していただいたご恩もありますし、フィオナが亡くなって空になった別荘を、ロレンスおじさまにお貸ししているんです」

「その場所、教えてもらえる?」

 リザの問いに、ソフィアはゆっくりとうなずいた。

「ソフィアさんは、オスカーを裏切ることにはなるけれど」

 彼女が嘘をついていないという保証はないが。

「裏切るほどの関係でもありません。それにこの子と同じ『硝子の蜃気楼』であるあなたの、少しでも助けになれるなら」

「……ありがとう」

 リザはソフィアの誠意に賭けることにした。

 保養地という事は、エレクトレイではない。

(ニックさんの、管轄外ね)

 ぼんやりと、浮かんだ。

 あの生真面目な警官と、そして。

「もう一つ、聞きたいことがあるのだけど」

 リザはソファから身を乗り出した。

「コリンがどうなったか、教えて」








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