ただひとつの輝き -Ⅱ

 リザの言葉に、ソフィアが口元を指先で覆う。

 リザが『硝子の蜃気楼』であると理解しても、その身がどのような扱いを受けていたかまでは思い至らなかったのだろう。

「あの……」

「それで、パパと会ったことがあるって話だけど、その時に『魔法の泉』のことを知ったの?」

 余計な同情の言葉をかけられる前に、リザは質問を投げかけた。戸惑いながらも、ソフィアはすぐに受け答えた。

「あ、ええ、はい。私たちもブライトマン先生に『魔法の泉』の力を見せていただきました。とても不思議な、忘れ難い経験です。だから」

 ソフィアが膝の上で拳を握る。スカートの上等な生地に皺が寄って乱れた。

「私はフィオナが昏睡した時に、『魔法の泉』を思い出して」

「フィオナさんは、落馬事故に巻き込まれたって聞いたけど」

「二年ほど前だったとお聞きしましたが」

 エリザベスの問いに加えて、情報を仕入れてくれたダニエルが言う。

 パーティー以降、情報収集活動は控えめにしているようだが、ダニエルは双子のことをできる範囲で調べていてくれた。

「はい。私とフィオナと母と、保養地に行った時に馬で遠乗りに出ました」

 世界の違う話だな、とリザは思う。父――ジャンとの生活は豊かで満ち足りていたとは思うけれど、贅沢なものではなかったし。ロレンス家は裕福だったけれど、何も与えられなかった。

「その時に、天気が急変して。足場は悪くなるし、母の馬は、雨が嫌いな子で。母は愛馬の制御を誤ったんです。それで母自身と、並走していたフィオナが巻きこまれて落馬して」

 記憶に苦悩するように、ソフィアは目をつぶった。


「母は落ちて、ぬかるみで背中を打つだけで済みました。けれどフィオナは運悪く、暴れた母の愛馬に踏まれて、顔、が」

 潰れてしまいましたと、絞り出すようにソフィアは言った。

「フィオナはお医者様が懸命に治療してくださったおかげで、その時は命をつなぎ留めました。けれど目は覚まさなくて、顔だって元のようには戻らなくて」

 リザの胸がかすかに痛む。一度は敵であると認識しかけた相手だけれど、それでも壮絶な経験を知れば憐れむ気持ちがあった。

「母はみるみる憔悴して。自分のせいでフィオナを酷い目に合わせたと、自分を責め続けました。このままでは母まで倒れてしまうと思って、一度フィオナと引き離すことにしたんです。フィオナを保養地で療養させて、私と母は家へと帰って。けれど母の状態はますます悪化して、すっかり心を悪くしてしまった」

 そうして心を追い詰めたのは、母親だけでなく。きっと、ソフィアも。

「母の記憶は混乱していました。落馬事故のことも思い出せなくなって。フィオナは保養地に一人で遊びに行ったのだと思い込んでしまった。母はフィオナが、元気に帰ってくるのだと信じていたから、だから、私は」

「『魔法の泉』で自分の複製を作って、それをフィオナさんだという事にしたのね」

 ソフィアは頷いた。俯いた顔からぱたりと雫が落ちる。

「私たちは瓜二つ。周りはしょっちゅう私たちを見間違えたし、お互いがお互いのふりをして、母をからかったりもしました。フィオナの姿は写しようがありませんでしたから、だから私を複製して」

 涙をこぼすソフィアを、フィオナは無表情で見つめる。

 ダニエルが無言でハンカチを差し出した。


「確認するけど、『魔法の泉』はオスカーが持っていたのね?」

 ソフィアは受け取ったハンカチで目頭を押さえながら、リザの問いに答えた。

「はい。ブライトマン先生がずいぶん前に家庭教師をお辞めになっていたことも、エレクトレイから離れられたことも聞いてはいたのですが。それでもロレンスおじさまにお願いして、繋いでもらうしかないと思ったのでお訪ねして」

 ダニエルが頷きながら言う。

「ロレンス氏は奥方様が亡くなってからしばらくのち、人との交流を避けるようになったみたいですね。奥方様が流行病に倒れられた頃からその向きがあったけれど、よりその傾向が強くなったと。使用人も大幅に減らしています」

「私を屋根裏に閉じ込めるようになったからね。人目を気にするなんて、ろくでもないことをしてる自覚があったんでしょうよ」

 投げやりなリザの言葉に、ソフィアが唇をかみしめた。

「で、オスカーにはあっさり会えたの?」

「お手紙でお伺いを立てて……何年もご無沙汰していましたから、お返事もいただけるかわからなくて。でも、少し間は空きましたけれどお返事をいただいて、お会いすることができました」

「それはいつ頃の話?」

「えっと、フィオナが事故に遭ったのが大体二年前で、それからしばらく経ってからのことですから……一年半くらい前でしょうか」 

「……それって」

 年月を数えて辿り着いた答えにリザは声を上げかけ、けれど一度飲み込んだ。

 自分の考えに確証はない。しかしダニエルの顔色を窺えば、彼も眉間に深く皺を寄せていつになく真剣な表情をしていた。

 ジャンの友人であったダニエルは、彼とリザが共に暮らし始めてからの三年ほどの時間と、リザが怪盗エリザベスになってからのあらましを知っている。

「なにか……?」

 黙ってしまったリザを前に、ソフィアが困惑した声を上げる。確証はなかったけれど、リザは頭を整理するためにも己の考えを口にした。


「オスカーが『魔法の泉』であなたを複製することを許可したのは、パパをおびき出すためかもしれない」

 瞬きすら忘れたように、ソフィアは目を瞠る。

「パパは私を保護した後、住む家も街も変えた。自分の存在や痕跡には常に気を配って、他人に掴ませないようにしたの。だからオスカーは私を取り戻そうにも、パパの居場所がわからなかった」

 いくらエリザベスの頼みだったとしても、ジャンのしたことは誘拐として訴えられてもおかしくはなかった。けれど一方で、オスカーは長年に渡って一人の人間――に近いもの――を監禁状態にしていたのだから、然る場所へ被害を届け出ることもできなかったのだろう。

「だからオスカーは『魔法の泉』を使って、『硝子の蜃気楼』を世間にばらまくことにしたんだと思う」

「『硝子の蜃気楼』のうち、最初の何点かはロレンス氏が所有していた品だったとジャンから聞いています。だから裏には、ロレンス氏が絡んでいるのだと気づいていた」

「だからパパは、怪盗星蜥蜴として『硝子の蜃気楼』を壊すことを決めたの」

 オスカーが後ろめたさからか回りくどい方法を選んだように、ジャンもまた絡んだ事情の複雑さに正攻法はとらなかった。

 怪盗星蜥蜴。

 怪盗という荒唐無稽で無茶苦茶な、世間を混乱させ罪を犯す存在になってでも、『硝子の蜃気楼』を世の中から消していこうとして。

 そしてまた、リザのことも守り通そうとした。

「主にエレクトレイで『硝子の蜃気楼』が出回って、パパは怪盗稼業に奔走したけれど、原因であるオスカーの元にはパパは直接出向かなかった」

「原因であるロレンス氏を叩けば、確実に元を絶つことはできたんでしょうけどね。鏡は割ったはずなのに、どうして『硝子の蜃気楼』が生まれるのかも気にしていましたし。でも、自分とロレンス氏が直接顔を合わせれば、リザさんの居場所を知られる危険が高まるからと。万一でも、自分がロレンス氏の手に落ちるようなことは避けたかったようです」

 素人に有効な尋問ができるとも思いませんけど、とダニエルは持論を加えた。それはきっとジャン当人にも言ったのだろうけれど、ともかくもジャンは安全を優先したようだ。

「……先ほど、私が私自身を複製するのを、なぜロレンスおじさまが許可したのかという話になりましたよね」

 青ざめた顔で、ソフィアが言った。

「私がロレンスおじさまに頼んで、私自身を『硝子の蜃気楼』にしたのが、一年半より少し前のことです。そのすぐ後に、ロレンス邸では不審者が事故死している」

「……やっぱり」

 リザは頭を抱えた。

「パパを殺したのは、あの男」






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