ただひとつの輝き
ただひとつの輝き -Ⅰ
薄暗い部屋の中は少し埃っぽかった。荷物で塞がれかけた窓からわずかに入る光が、埃をちらちら照らしている。
「あんた、まーた若い娘さんを部屋に連れ込んでんのかい。しかもそんな、いいとこのお嬢さんみたいな別嬪さん、二人も」
部屋の外からは、しわがれているけれど威勢のいい婦人の声がした。
「あなたも十分別嬪ですよ、マダム」
階段を昇る音とともに、甘い声の調子いい台詞も聞こえる。
「よっく言うよ、この若造は。こんなしみったれた傾きかけの下宿にお嬢さんをお誘いしたって、盛り上がるもんも盛り上がらんだろうに。そもそも、この前連れ込んだ子も部屋にいるはずじゃないかい? 修羅場だけは勘弁しとくれよ」
「ほんと、口の達者なバアさんだ」
入り口の扉が開く。建付けが悪いのか、ほとんど蹴破るような勢いだった。
「……連れ込まれた覚え、ないんだけど」
入ってきた人物をねめつけて、うんざりした口調でリザは言った。
「酷いなあ、宿を提供してあげてる家主に向かって」
「下宿の家主は、今のおばあ様でしょ」
入り口に立ったままのダニエルは肩をすくめた。いつものように口喧嘩ほどでもない言葉の応酬を交わしながらも、あの夜からずっと調子が出ない。
(コリンを置いてきちゃった。ニックさんにも、顔を見られてしまって)
リザは顔を覆う。こうしてため息を吐くのも、何度目だろうか。
ルイズ嬢の誕生パーティーに潜入した夜、もう一週間は前になる。
エリザベスは当初の目的であった、ブルーサファイアを破壊することに成功した。幼い少女に泣かれて、胸が痛んだけれど。
まさか今回の仕事で、ここまでエリザベスが追い求める真実への手掛かりが得られるとは思っていなかった。
『エリザベス』の過去に深く結びつきそうな二人と邂逅して。真実を掴むあと一歩のところでツケを払うかのように、ニックに追い詰められてしまった。
(コリンは無事なの?)
エリザベスは辛くも逃げ延びた。コリンが逃がしてくれたから。
そのまま尻尾を巻いて逃げたエリザベスは今、念のため自宅ではなくダニエルの元に身を寄せているのだった。
「どうぞお入りください」
この下宿に出入りする時のダニエルは、行商人スタイルを通しているようだ。けれど彼も、ニックと顔見知りになってしまった。格好はともかく、今までのように行商人として街角に立っているとは思えない。
「汚いところで失礼しますが」
「ほんと、あなたはもう少しいいところに住んでいるものかと思ってた」
リザが余計な茶々を入れても、ダニエルは微笑んで返した。
「居場所はいくつか確保してありますから、そのうちの一つにすぎません。さる伯爵夫人から、別宅を一軒いただいたこともありますし」
嘘を吐け、と言い切れないところが恐ろしい。
「……あの」
ダニエルにエスコートされ、背後からおずおずと客人が顔を出した。
リザはダニエルに案内されてきたその者たちを、ただ静かに見つめる。逸る気持ちを、押さえつけながら。
「まさかあなたたちの方から、来てくれるなんてね」
パーティードレスのような華やかさはない、地味な色合いの貞淑な仕立ての衣服。ごく控えめなアクセサリー。リザより少し年上に見える、若い女性二人組。
並んだ顔は、同じ顔。
「ソフィアさんとフィオナさん、だったっけ」
ソフィアはゆっくりとうなずいた。
緊張した面持ちは、先日エリザベスにひどく脅されたからか。
「座ったら? 私の家じゃないけど」
リザは自分の対面にある、古ぼけたソファを示す。ソフィアはちらりとソファを見ると、戸惑った顔をした。汚いところに座りたくないと、ふざけたことを言うのかと思ったが。
「こちらもお使いください」
ダニエルがソファの横に椅子を並べて置いた。ソファは一人がけだったから、ソフィアは自分たちのうちどちらが座るか悩んだのだろう。ソフィアはリザと真正面になるソファに自分が座ってから、フィオナ――とされる者――に傍らの椅子を示した。
「ありがとうございます」
優雅にスカートの裾を捌いて、姉妹は椅子に座る。思いつめた表情のソフィアと、相変わらずぼんやりとしたフィオナの顔がリザの前に並んだ。
「まず大事な質問。どうして私がここにいるってわかったの?」
リザはニックに顔を見られている。ニックに家の場所を教えたことはないが、それでもリザはエレクトレイで暮らし始めてから、ずっと同じ場所に住んでいる。ダニエルのように住処をいくつか用意したり、場所変えをしたりはしてこなかった。だからダニエルに匿まわれるような状態になっているのだ。
リザの現在地がどこかに漏れているとしたら、悠長におしゃべりしている場合ではない。
「フィオナが、あなたのいる場所がわかると言ったので」
「……私たちは、呼び合うから」
俯いて、リザと視線を合わさないままフィオナが言った。
ぼそぼそとした声に思わず眉根を寄せる。睨んだようにでも見えたのか、ソフィアはフィオナの前に手をかざして守るような仕草をした。
「あの、フィオナに危害を加えないと約束していただけますか。もしご了承いただけないなら、私は何も話しません」
「……この間は悪かったわよ。頭に血がのぼってたの、ごめんなさい」
危害と言われればあれは間違いなく攻撃であり、悪意のある脅迫であり、取り返しのつかないことをする寸前だった。
確かに今までモノは壊し続けてきたし、それらだって取り戻しようもないし、罪の重さを比べても仕方ないかもしれないけれど。
(生きているものとそうじゃないものは、やっぱり違うよね、パパ)
だからこそ自分と、目の前のフィオナが、いかに異質かもわかっている。
「私だって、人じゃないように扱われるのは嫌」
「……あなたも『硝子の蜃気楼』なんですか」
ソフィアの窺うような目つきに、リザは目を伏せて答えた。
「そう。私はエリザベス・ロレンスという人物から、『魔法の泉』を使って複製された者」
深く呼吸をする。己の正体を自ら人に話すのは、これが初めてだった。
「フィオナさんが私の居場所を掴めたんだから、そういうことね。私も『硝子の蜃気楼』の気配……呼ばれるって感覚なんだけど、わかるから」
リザの答えに、今度はソフィアが息を吐いた。
「私たちはエリザベスさんの友人でした。元々亡くなった父が、彼女のお父様と交流があって」
エリザベス・ロレンスの父親、オスカー・ロレンス。
その存在がちらつくだけでかき乱されそうだけれど、リザは黙って続きを聞いた。
「私たちの方が年下でしたけど、よくしていただきました。エリザベスさんの家庭教師であった、魔法使いのブライトマン先生にも何度かお会いしたことがあります」
リザは胸元のブローチを掴む。ダニエル以外の口から父のことを聞くのも、初めてだ。
「あなたには、もう一度言っておくけど」
リザはまっすぐソフィアを見つめた。
「私のパパは、そのブライトマン先生。ジャン・ブライトマンこそが私のただ一人のパパよ」
「えっと、つまりあなたはエリザベスさんと一緒に、ロレンスおじさまの娘として育てられたわけではなく。ブライトマン先生の娘として引き取られた、という事かしら」
「……最初からパパの娘として生きられていたら、どんなに幸せだったか」
星のように輝く、蜥蜴の石。
あの小さく冷たい世界で、父の残してくれたこの輝きだけが希望の欠片だった。
だから私は、蜥蜴の娘。
「私はずっと、ロレンス邸の屋根裏に閉じ込められて過ごしていた。パパはエリザベス・ロレンスの訴えを受けて、私をあの場所から連れ出してくれたの」
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