真実の欠片 -Ⅷ

『硝子の蜃気楼』。

『魔法の泉』なるものが生み出す、怪盗エリザベスが追いかける贋作。

 フィオナが――一人の人間が、贋作だって?

 追いつかない頭と震える膝のせいでふらふらしながら、コリンはエリザベスの元へ歩み寄った。話しかけたら自分たちが仲間同士だとばれるという事にさえ、もう考えが及ばなかった。

「エリザベス、もう僕、何が何だかわからない。『硝子の蜃気楼』って、『魔法の泉』って、いったいなんなの?」

 エリザベスはコリンの方を一切振り向かずに言った。

「『魔法の泉』は、パパが持っていた魔法の鏡のこと。魔法がかかったその鏡は、姿を写し出したものを複製することができる。そうして複製したものを、『硝子の蜃気楼』と呼んでいたの」

 魔法の硝子板から生まれた、蜃気楼のような存在――『硝子の蜃気楼』。 

 コリンは並ぶ二つの顔を見比べる。

 双子という存在。生まれる前に分かれて、一人が二人になったというのなら、それは別々の人間で。

 では一人の人間として生きる存在が、複製されたとしたら。それはどういう存在だ?

「まさかオスカーは、『魔法の泉』を手放したって言うの? 今の所有者はあんた?」

「違う。私はロレンスおじさまから鏡を、『魔法の泉』を借りただけ。『魔法の泉』は、おじさまのもの」

「『魔法の泉』の本当の所有者はパパよ!」

 烈火のごとくエリザベスは激昂した。鬼気迫る形相で、ソフィアの胸倉を掴む。


「言いなさい! あいつは今、どこにいるの!」

 ソフィアの胸を掴んでない方の手を、さらにフィオナに近づける。けれどソフィアは恐怖からか声を失って、ただ首を振った。

 そうこうしてるうちに、部屋の中に警察がなだれ込んでくる。

「役たたず!」

 エリザベスはソフィアを突き飛ばし、そのままフィオナの顔面を鷲掴みにする勢いで手を伸ばした。ソフィアが悲鳴を上げる。

「いや」

 フィオナが言った。

 ソフィアと同じ顔で、ずっとソフィアの影に隠れるようにしていたフィオナが。小さな声で、それでも自らの意思で、抵抗をした。

「……っ」

 エリザベスはフィオナも突き飛ばした。ソフィアに折り重なるように、フィオナが倒れ込む。

 コリンを引き寄せて、エリザベスは窓辺へ走った。スカートの下からナイフを取り出して、窓を開け放つ。


「エリザベス!」

 夜の闇を裂くような声。

 隣の部屋のバルコニーから、ニックが身を乗り出していた。上半身を精一杯に乗り出して、こちらに腕を伸ばす。

 エリザベスは先に行かせようとしていたコリンを引き戻した。背後の警察官たちとニックを見比べて、エリザベスは窓の外に乗り出す。窓枠に足をかけて、ニックに向かってナイフを振りかざした。

 銀色の刀身が明かりを弾いて、空を切って。

「あっ!」

 ナイフを掴んだ腕を、ニックが受け止めた。エリザベスの腕に対してあまりに大きな手は、細腕をへし折るのではないかという力で獲物を捉えて離さない。強く掴まれた痛みからか、緩んだエリザベスの手からナイフが落ちる。

「離し……」

「離すか」

 エリザベスが漏らした声を、ニックは完全に拒否した。拘束から逃れようと身をよじったエリザベスの体が、大きく傾いだ。バルコニーのない窓の外に、体が投げ出される。

「エリザベス!」

 コリンはエリザベスの体にしがみつこうとした。けれど助けは間に合わず、伸ばした指先はエプロンの腰、結ばれたリボンにかすっただけだった。

「リザぁ!」

 落下していくエリザベスの腕を、ニックは離さなかった。ニックの手に捕えられて、三階の高さでエリザベスの体が宙ぶらりんになる。エリザベスはもがきながら、右腕を繋ぎとめているニックの手を、左手でこじ開けようとするも。

「大人しくし、ろっ!」

 ニックは渾身の力でエリザベスを引き上げて、バルコニーの中に引きずり込んだ。二人揃ってその場に倒れ込む。

「リザ、逃げて!」

 大声で呼びかけるも、先手を取ったのはニックだった。仰向けに倒れたエリザベスに馬乗りになって、胸倉を掴む。

「あんなに小さな子を、泣かせてまで!」

 怒鳴りつけるなり、ニックはエリザベスの頬を叩いた。エリザベスが頭にかぶっているキャップをはぎ取る。

 金色の巻き毛がこぼれた。赤く腫れた頬にかかる髪、輝く琥珀の瞳。


「リザ、さん」

 ニックは声を上擦らせた。力なく横たわった怪盗の正体に、追い続けた警官は茫然としている。

「リザ!」

 隙のできたニックの背中に、一発。

 コリンは背後の警官から何とか逃れ、二人のいるバルコニーに飛び移っていた。手すりの上から飛び乗るようにして、ニックの背中を蹴っ飛ばす。

「逃げて!」

 そのままコリンは、ニックを背後から抱え込むようにした。小さな体で精一杯にニックを抑え込む。背後から引きはがされるような形になって、エリザベスを押さえつけていたニックの手が緩んだ。

 コリンの呼びかけと必死の抵抗に、一瞬自失していたエリザベスが我に返る。

「ごめんなさい」

 緩んだニックの手を振り払う。

「まだ捕まるわけには、いかないの」

 エリザベスはニックの下から抜け出した。コリンもニックの背中から飛びのいて離れる。

「コリン、この部屋の真下に張り出してる一階の庇、そこに降りて!」

「うん!」

 エリザベスとコリンは、揃って手すりを乗り越えた。バルコニー側に背を向けて、着地点を視界に捉えた、その時。

「うあ!」

 コリンの体は、強い力で後ろに引っ張られた。庇に着地したエリザベスが、コリンを見上げていた。エリザベスがコリンの足元より、下にいる。


「コリン!」

 下からエリザベスが叫んだ。

 コリンの体はバルコニーから飛び出す寸前に、ニックに捕らわれていた。

 ニックに背後から抱きかかえられるようにして捕らえられていたコリンは、エリザベスに向かって叫ぶ。

「行って!」

 エリザベスが首を振る。困惑した表情は、冷静さを失いかけていた。

 逃れられない腕から乗り出して、コリンは訴える。

「良いから行ってってば!」

 バルコニーに、一人二人と警察官が駆け付ける。エリザベスが向かったところで、もうコリンを連れて逃げることは不可能に近い。

 警官が手すりを乗り越える。庇の上に降りようとする警官の姿に、エリザベスは勢いよく身を翻し、地上へと飛び降りた。反射的な反応だった。

 エリザベスの体が勝手に動いたのでも、考えた上で動いたのでも、コリンはどっちでもいい。何度も振り返りながら去って行くエリザベスが、コリンを見捨てたかったわけではないことくらい、わかるから。

 コリンは己を拘束する腕に爪を立てた。

「って!」

 ニックの腕を思いっきり引っ掻いて、腕と足と頭と無茶苦茶に振って、全身で暴れる。

「君は」

 コリンを拘束していた腕が緩む。バルコニーにそっと下ろされた。

「リザさんの、弟さんか?」

 疲労と興奮で息を荒くしながら、コリンは答える。

「弟なんかじゃ、ない。家族だけど……弟は、嫌だ」

 弟が姉を守っても良いだろう。けれど、弟では満足できない自分がいるのは確かで。

「そうだな。本当は、贋作工房にいた子だな。怪盗エリザベスに助けられて、それで仲間……家族になった」

 その怪盗エリザベスの正体は、リザ・ブライトマン。

 それはニックだって、もうわかっている。

「そうだよ。それまで誰も、助けてくれなかったから」

 リザは星蜥蜴のことを、星のようだと言った。

 コリンは自分を救って慈しんでくれたリザのことを、太陽だと思っている。

 星よりももっと明るく照らして、温めてくれた人。

「お前なんかに、わかってたまるもんか」

 拒絶の言葉は、コリンからニックに対する宣戦布告のようでもあった。








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