真実の欠片 -Ⅵ

 それとも、まさか。

 コリンの胸が早鐘を打つ。

 まさか怪盗エリザベスの素顔が、知られてしまっているとでも言うのだろうか。

(でも怪盗を、『さん』付けで呼ぶのもおかしい気がする)

 ソフィアはスケッチブックに見つけた肖像を、一体誰だと思ったのか。

 コリンはからからに乾いた喉に、唾を飲み込んでから尋ねた。

「あの、僕のねえさんに、似た人がいるんですか」

 彼女はリザと名乗るけど、コリンの知らないどこかの『エリザベスさん』であってもおかしくはない。その人をソフィアが知っていても。

「いるというか、いたの。もう亡くなってしまったのだけれど」

 コリンでは全く答え合わせはできないけれど、今、何かの符号が重なろうとしている気がした。リザの肖像が、ソフィアの辿る記憶が、欠片が集まって。

 コンコンコン、と部屋の扉をノックする音がした。

「マリィかしら」

 ルイズが入り口を振り返る。施錠していた鍵が滑らかに回る気配がして、かちゃりと錠が落ちる音が響いた。

 扉の向こうから、気配を消してただ静かにメイドが現れる。存在を主張しないのは、影に徹するという使用人の本分なのか、それとも。 

「あら、マリィは?」

 己の子守りメイドではない者の登場に、ルイズは目をぱちぱちさせる。大きなレースのキャップを目深に被ったメイドは、わずかにこぼれた金の髪から、琥珀色の瞳をのぞかせていた。

「彼女は奥様に用事を頼まれております」

 メイドは無駄のない動きで、内側から再度鍵をかける。

「お嬢様」

 呼びかける声は、コリンにとってどこまでも美しい。

 コリンの手元のスケッチブックを覗き込むルイズの背後に、メイドはそっと近づいた。

「ネックレスの留め具に御髪おぐしが絡んでいますよ」

 メイドはルイズの豊かに波打つ髪を、うなじのところで搔き分けた。白く細い首に、ネックレスがかかっている。

「髪を引っ張ったら嫌ぁよ。痛くしないでね?」

「ええ、痛くはしませんわ」

 ルイズの髪一本から慈しむような手つきで、ネックレスに触れて。

「でも……ごめんなさい」

 メイドから漏れたその謝罪はささやかな声で。コリンには聞こえたけれど、ルイズには届いたかどうか。

「虚像よ無に帰れ」

 ルイズの胸元で、青い光が弾けた。大きなブルーサファイアも、連なったプラチナのチェーンも、細かな破片となって飛び散った。


「……怪盗エリザベス、参上」

 いつもと違う黒い衣服とレースのキャップを纏った怪盗は、いつもよりずっと低い声で宣言した。

 目と口をこれ以上ないくらいに大きく開いて、ルイズが絶叫する。

「パパっ、パパがプレゼントして、くれたっ! 私の、私のために、宝石の、ネックレス……」

 スケッチブックに、大粒の涙が零れ落ちた。

「やだあああ返してええええ!」

 わんわんと声を上げて、ルイズは泣き叫んだ。

 結局エリザベスの手助けらしい手助けもできなかったコリンですら、罪悪感に苛まれるほど。

 この取り返しのつかない罪と、痛みから救えるのなら。コリンはリザのために、贋作を描いたっていいと思っていたけれど。

(宝石は、無理だよ)

『硝子の蜃気楼』は絵画だけじゃない。怪盗エリザベスの罪は、ひとつふたつどころではない。

 まるで星のようにきらめいて舞う破片の名残を見つめて、エリザベスは痛みをこらえるような顔をした。

 ルイズは何度もパパ、パパと自身の父親に助けを求める。彼女の父親は、騒ぎに気付けばきっと娘の元に駆けつけ、抱きしめ、悪人にすら果敢に立ち向かうに違いない。

(でも、リザの大好きなパパは、どんなに泣き叫んでも二度と駆けつけてきてくれない)

 けれどそれが、何の免罪符になるだろう。

 エリザベスは星蜥蜴のために怪盗をしていると言っていた。でも彼女は、そのために非情に徹することなど、きっとできない。

 コリンはリザが優しいことを知っている。


「エリザベス……」

 突然の出来事に硬直していたソフィアが、声を震わせて言った。目の前で巷を騒がす怪盗の奇術を目撃したのだ、無理もないとコリンは思う。

 けれどソフィアの震える唇は、想像もつかなかった言葉を口にした。

「あなた、ミス・エリザベス・ロレンスなの?」

 コリンの知らぬ名で、ソフィアは怪盗を呼ぶ。

「……その名を、知っているの?」

 ソフィアと同じく、エリザベスが声を震わせた。

「ねえ、エリザベスさんなの? ミスター・オスカー・ロレンスのご息女の……」

「私のパパは、ジャン・ブライトマンただ一人よ!」

 エリザベスの剣幕に、ソフィアだけでなくコリンも慄く。

「あんな奴が父親だなんて、冗談じゃない」

 エリザベスは怒りに燃えた目で、ソフィアへ詰め寄った。

「オスカーは今、どこにいるの」

「えっ、待って、なに、なんなの。だって、エリザベスさんは亡くなったはずじゃ」

 問いに応えられず、ソフィアはただ混乱している。

「そう、そうね。エリザベス・ロレンスは五年近く前に死んでいる。それでも、彼女と同じ顔の私が存在する。……あんたは『魔法の泉』を、知っているの?」

 エリザベスに重ねて問われて、ソフィアは目を見開いた。

「怪盗エリザベス……まさか、あなた」

 突然、ソフィアが傍らのフィオナに飛びついた。抱きしめて、エリザベスから守るように。

「違う、違うの! この子はフィオナ、フィオナなのよ!」

 入り口の扉の向こうで、騒がしい声がする。施錠された鍵を破ろうとする音が、がちゃがちゃと耳障りだった。いまにも警察が突入してきそうなのに、コリンはどうしていいかわからない。

「来ないで!」

 つかつかと迫り来るエリザベスを制止しようと、ソフィアは火傷跡の残る右手を突き出す。エリザベスはそれを見て、腕に抱えられたフィオナのぶらついた右手を見て、言った。

「ああ、そういうこと。宝石を砕いたっていうのに、どうりでいまだにいるわけだわ」

 冷たく言ったエリザベスは、自分の手のひらをフィオナに突き付けた。

「知ってること、全部吐きなさい。でないとこの子、砕くわよ」

 いよいよ顔色を失ったソフィアは、それでも腕の中の片割れを離さなかった。

「この子、『硝子の蜃気楼』でしょう。あなたの複製――偽物ね」








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