真実の欠片 -Ⅲ
(あんっの、色ボケクソ野郎!)
招待客がぎりぎり立ち入ることのできるエリアの、細い廊下にある窓。三階にあるその窓越しに外の様子を確認したリザは、暗がりに見つけたそれに頬をひきつらせた。
主人の供をした侍女や従者の待機部屋と大広間を繋ぐ廊下は、宴もたけなわである今、
(私は一体、何を見せられてるんだろう……)
建物の裏に位置する窓、その眼下で、男女がいちゃいちゃする様を見せつけられている。こっそり二人きりのお喋りを楽しむなんて段階じゃない。ぴったりと身を寄せ合う男女の、男性の方は言うまでもなくダニエルだ。遠目に見ても、殴りたくなるくらい色気が駄々洩れている。
(相手は、パーティーの招待客ではなさそうね)
夜の闇に溶け込みそうな黒い衣服に、浮かび上がる白いエプロン。きちんとまとめた髪にはレースのキャップを被っている。
ダニエルの両腕におさまっているのは、ルイズの子守メイドだった。
お世話すべきお嬢様を放っておいて、こんなところでよくもまあ、と思ったが。それを自分が言って良いものかと、リザは若干申し訳なく思った。
色事に耽っているように見えて、ダニエルは自分の仕事をこなしている。怪盗エリザベスが標的に接近しやすいように、彼女をルイズから引き離したのだろう。その気もないのに、乙女心を虜にして。
(だからって、あなた方が盛り上がってないとは言ってやらないけど)
夜会用のドレスと違って、喉元まで襟の詰まったメイド服。ほんのわずかに覗く彼女の首筋に、抱き合ったダニエルの鼻梁が触れている。
人様の情事を覗き見るような趣味などない。怪盗として忍んで行動していても、こういう場面に出くわすことは滅多になかった。決して免疫があるわけではないリザには、若干刺激の強い光景だ。
メイドの背中に回された手が、撫でるように腰のあたりへ。見ているリザの方が恥ずかしくなってきて、思わず目をそらしそうになったその時。
「……何?」
随分いやらしい手つきだと、湧き上がる羞恥とともにダニエルの手元を眺めていたけれど。メイドの腰を探っていたダニエルの手には、いつしか鍵が握られていた。メイドがポケットにしまうか腰に吊るすかしていた鍵を、ダニエルはひそかに失敬していたようだ。
メイドの首筋に埋めていた顔をそっと上げて、一瞬、ダニエルがリザの方に視線を送った。あれだけ情熱的な抱擁を交わしていた男の冷静な瞳に、思わずぞくりとする。同時に、もう怪盗仕事は始まっているのだと気を引き締め直した。
ダニエルが近くの茂みに、静かに鍵を隠す。
密着していた体をゆっくり放すと、ダニエルたちは寄り添いながら茂みから離れていった。
リザも急いで階下へと降りる。人のいない廊下は駆け足で、玄関を出る時は優雅な足取りで。羽織るもの一つ持たず外へ出て行くリザに、案内係の従僕が声をかける。つとめて冷静に、笑顔で首を振るとそれ以上は特に問いただされなかった。強引に押し入るより幾分自由かもしれないなどと思いながら、誰もいない屋敷外周を小走りに進んでいると。
まあるい明かりが、闇に浮かび上がった。一瞬、呼吸が止まる。
「ニックさん……?」
半球レンズを嵌め込んだランタンを下げた、ニックがそこにいた。
「リザさん。どうしたんですか、こんなところで」
「えっと……ニックさんこそ」
答えに詰まって、つい尋ね返す。
「俺は警備で、外を見回っていたので。リザさん、そんな恰好じゃ寒いでしょう。なんだってまた外に」
リザは曖昧に笑う。
荷物になってでも、ケープを受け取ってくるべきだった。それなら会場の熱気にあてられて涼みに来たとか、帰りがけに星を眺めていたとか、まだ取り繕いようもあったはず。こんな真冬に防寒もせず外に飛び出してきたなんて、暑がりだったとしても不自然だ。いっときすれ違うだけの人ならまだしも、知り合いと真正面から向かい合って、見逃せるようなものでもないだろう。
「その、弟を探していて。弟は人混みが苦手だから、心配で慌てて探し回っていたものだから。寒いどころではなくて」
ちょっと苦しいかと思いながらも、他に言い訳も思いつかない。
「それは心配ですね。一緒に探しましょうか?」
ニックの純粋な善意に、胸を痛めつつリザは首を振る。
「いえ、大丈夫です。ニックさん、お仕事中でしょう? それにダニエルが一緒にいると思いますし」
心配をかけないよう連れの名を出すと、ニックはわずかに眉を寄せた。
「ダニエル、さんというのは、先ほどお会いしたお連れの」
「そうです。彼はこういう場に慣れてますし」
「……あの、大変失礼なことを聞くと思うのですが、その」
はっきりとした物言いの彼には珍しく、ニックは言葉を濁らせる。リザが首を傾けると、ニックは再度口を開いた。
「ダニエルさんは、本当にリザさんの婚約者ではないんですか?」
さっきみたいに、咄嗟には否定の言葉が出なかった。その問いの真意がどこにあるのか、知りたいという思いが先行する。
自分たちのやり取りは、やっぱり怪しかったのだろうか。
(それとも何か、もっと別に理由が)
ダニエルがリザの婚約者で、困る理由が、あるとしたら。
ニックはためらうように視線をそらし、言った。
「その、あの方、リザさんではない女性と大変親しくしていたので……」
「あー……」
そういうことか、と知らず緊張していた肩から力が抜ける。
ニックはダニエルが婚約者を放って、よその女性にうつつを抜かしているのかと心配してくれたのだ。ただそれだけのこと。
「いいんですよ。あの人、そういう人だから」
「いや、そういう人って……そういうもの、ですか」
納得のいかない顔をして、ニックは黙り込む。
「失礼します」
「あ! リザさん、そっちは」
挨拶して屋敷の裏へと向かおうとすると、ニックに呼び止められた。慌てた様子だったが取り直して、落ち着いてニックは続ける。
「そんな暗いところに、小さな子が行ったりはしないですよ。寒いですし」
確かにあてもなく子どもを探していたとしても、探し場所としては適当ではない。時間のロスにはなるが、一度屋敷の中に引き返すか。けれど鍵もさっさと回収してしまいたいし、ダニエルが子守りメイドをいつまで惹きつけていられるかだってわからない。
「俺、建物の周りは見てきましたから。弟さんみたいな子はいませんでしたよ」
口調は落ち着いていたけれど、どこか作ったような笑顔。
「……色ボケクソ野郎はいました?」
いっそ穏やかに微笑んで、リザは口汚く尋ねた。ニックが目を見開く。
「弟を探しているなんて、嘘です。本当は、浮ついた婚約者をとっちめに行くところですわ」
現れた方角からして、ニックはダニエルの密会を目撃した可能性がある。それでリザを慌てて引き留めた。
ダニエルも目立つような真似をしてくれるなとは思ったが、彼にとっては仕事のうちだし。ニックだって顔見知りになってしまったからには、目についてしまったのだろう。
「先ほどは恥じらいから、婚約者ではないと言ってしまいましたけれど、そういうことですので。彼がお痛をしてるのはわかっていますから、止めないでくださいね」
あれが婚約者なんて、嘘でもごめんだけど。
その嘘をニック相手に通すのは、少しだけ胸が苦しかったけれど。
「……わかってるなら、止めはしませんけど」
いつもみたいに真面目くさった、ニックの顔。
「付き添うぐらいはできます」
リザは微笑みを崩さず言った。
「警察って、不貞行為まで取り締まったかしら」
思わず意地の悪いことを言った。リザを気にかけてくれたのだろうけど、その優しさはリザの心を掻き乱すから。
「ただ、リザさんに傷ついてほしくないだけです」
彼はあまりに、真っすぐだ。
そもそもダニエルが知らぬ女性と親しくしていたのだって、ニックは黙っていたって良かったのに。きっと告げ口とすら思っていなくて、素直に口にしてしまったのだろう。そのくせ、浮気現場に近づきそうになったリザのことは、傷つけまいと止めようとして。
(馬鹿正直な人ね)
初めて面と向かって言葉を交わした時からそうだ。
実直で、不埒な真似が許せなくて。
「痴話喧嘩なんて、醜態をさらしたくありませんから。どうか一人で行かせて下さいな」
この人の誠実さに、引き止められてなんかいられない。
「あなたはあなたの仕事を忘れないでくださいね、警官さん」
私も、自分の仕事をしに行くから。
走り出したリザを追いかけてくる足音はない。顔見知り程度の少女がこれから迎える修羅場をとりなすのも、不道徳な男に説教するのも、彼の仕事ではないのだから。
彼の仕事は、怪盗エリザベスを捕まえること。
むき出しの肩が寒かった。
姿を隠す厚いマントがないから。
いつもはマントを羽織って飛び出せば、それを自分の中の合図として『怪盗エリザベス』になっていた。今日はずっとドレスだから、どこで気持ちを切り替えればいいか分からなくて。
「私は、私のなすべきことをやるの」
変わったとすれば、ニックを振り切って来た今だ。
怪盗エリザベスは、暗がりを駆けていく。
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