祝宴の陰 -Ⅱ

「今回はまた随分と、派手にやったようですねえ」

『神の都』の件から、十日ほどのち。

 リザの元を訪れたダニエルは、相変わらず他人宅のソファで悠々くつろいでいた。とはいえ今回は強引に上がり込まれたわけではなく、仕事の話をしに来たので追い返すわけにはいかない。

 今の季節、街頭で商売する彼の傍らで長話はつらいし、かといって適当な店では店員と他の客の目がある。どこにあるかも知らないダニエルの自宅に連れ込まれる――というのはあまりに言葉が悪いけど――のは、さすがに怖いものがあるし。若い娘の家に男が尋ねてくるのもそれはそれで問題かもしれないが、元々この家はダニエルに紹介されて借りたものだ。ここで話すのが一番マシだろう。

「警察のニックさんも、しばらくはサンドイッチを買いに来てくれませんで」

「やっぱり怪我が酷かったのかな……」

 ガラスに切り裂かれた衣服に、肌。思い出すと、あの夜の腹の底が冷えるような感覚が蘇ってくる。

「てっきり『サンドイッチがまずいからでしょ』とでも言われると思ったのに」

 覇気がないなあ、とダニエルは肩をすくめた。

「本当に、あなたの店が見限られただけなら良いんだけどね」

「残念ながら、それはないようで。昨日久々にお見えになられて、買っていただけましたよ。あちこち包帯を巻いてましたが、足取りはしっかりしてましたね」

「そう……」

 とりあえずニックは、長期間寝込むとか、外を出歩けないとかいうほどの重傷ではなかったようだ。けれどしばらくダニエルの元へ来なかったというからには、その間通勤していたかはわからない。つい先日、ようやく復帰できると笑っていたニックの顔が脳裏に浮かぶ。

「天敵が大人しくしているほうが、エリザベスも助かるでしょう」

 それはそう。その通りなのだけれど。

「あの人、正義感と使命感の塊みたいな人よ。怪我を押しても、立ちはだかってきてもおかしくないもの」

「ニックさんが元気な方が、張合いがありますか?」

 自分でも持て余す心の内を、茶化すようなことをダニエルは言う。

「張り合いとか、そんなのじゃない。ただ、お仕事ができないほどの大怪我をさせてしまっていたら、さすがに心苦しいだけ」

「心苦しいですか」

「……甘いっていうなら、それは認める」

 裏渡世の仕事は、甘い考えでいたら足元をすくわれるって。そう忠告したいことくらいわかるから。

「まあ、あなた本当は、怪盗なんて物騒な生業に向かない人なんですよ。それを亡き父親への思慕と、意地で自分を奮い立たせている」

 意地悪なことを言う。

 けれど実際、怪盗として夜の闇の中を駆け、追い回されるのが怖くないわけはなくて。毎回、父への想いを勇気に変えて、怪盗に挑んでいる。

「だって突然パパがいなくなってしまった世界で、その先どう生きていけばいいかなんてわからなかったんだもの」


 その時、コリンが二人分の紅茶を運んでやってきた。重たそうな茶器を抱えて立ちすくんだコリンから、エリザベスはさっと盆を引き取る。

「お茶を淹れてくれたのね。ありがとう、コリン」

「……リザ」

「大丈夫」

 深刻な話の最中に入室したと思ったのか、不安げな顔をするコリンにリザは笑いかける。

「あとは自分でやるから、コリンはお部屋に戻って好きなように過ごしてて良いよ」

「僕もここにいちゃだめ?」

 問いを笑顔で流して、コリンの肩をそっと掴む。さりげなく体の向きを変えて、コリンの退室を促そうとしたところ。

「どうぞ、いて下さい」

 リザに確認もなく、ダニエルは笑顔でコリンの同席を許した。抗議してやろうかと思ったが、コリンもコリンで、さっさと愛用のクッションを引き寄せて絨毯に座り込んでしまった。

「……もう」

 勝手なことを。とはいえさすがにのけ者にするような真似は良くなかったと、リザも気持ちを切り替える。

「で、今度のターゲット宅だけど、侵入の手筈はどのように整えるのが最良?」

 次の標的と定めた『硝子の蜃気楼』を所有するのは、さる商人の屋敷であった。商人とはいえ三代かけて成り上がった富豪で、財産と上流への繋がりを着実に築いている。

「今回は、一週間後にそちらの屋敷で開かれるパーティーに潜り込めるよう、工作をしました」

「パーティー?」

 華やかな単語が気になったのか、リザよりも先にコリンが反応した。

「そう。商家の愛娘、ルイズ嬢の誕生パーティーです」

「ちょっとちょっと、なんでわざわざパーティーの時になんか侵入しなくちゃならないの。いくらなんでも目立ちすぎるし、人様のお誕生日を台無しにする趣味なんてないんだけど」

 語気を強めて問い詰めれば、ダニエルは涼しい顔で答える。

「今度の標的は、ブルーサファイアのネックレスですよね。粒の大きな、ロイヤルブルーの非常に高価な代物です。それをルイズ嬢の誕生日プレゼントとして贈られるのだそうで」

「誕生日の贈り物が贋作なんて呆れちゃう」

「知人の方が所有しているネックレスと寸分たがわぬものを、ルイズ嬢がどうしても欲しいとわがまま申したそうですよ。ルイズ嬢のお父上が知人の方に相談したところ、本物を譲っていただけたわけではないけれど、同様のものが入手できるよう計らってくれたと」


「……それ、知人の方が『魔法の泉』に通じてるんじゃない?」

 量産型のネックレスなら、『魔法の泉』なくとも同様の品は手に入る。けれど今回の標的であるブルーサファイアは、間違いなく『硝子の蜃気楼』で。それを仲介したというならば、ルイズ嬢の父親よりその知人の方が『魔法の泉』により近いはず。

「知人の方も、自分がブルーサファイアを購入した宝石商と、繋いだだけかもしれませんがね。とにかくネックレスは、ルイズ嬢の誕生パーティーの場にて、初めて贈られると。それまでは銀行の金庫にて厳重に保管されているので、パーティー当日が一番近づきやすいんです」

「贈られた後日にお邪魔すれば良いじゃない」

「ネックレスを身に着けるのは、パーティー当日だけという約束なんだそうですよ。パーティー後にはまた金庫に逆戻り。いくらあなたでも、銀行の金庫はハードルが高すぎるでしょう。俺もさすがに手引きできませんし」

 確かに個人宅と大勢の市民の財産を預かる銀行では、セキュリティのレベルが違う。銀行の金庫に収められたとなれば、手出しはできないと考えたほうが良い。

「せっかくのプレゼント、どうして金庫にしまっちゃうの?」

 足元からコリンが投げかける。ダニエルに視線を向けられると、少し緊張したように背筋を伸ばした。

「ルイズ嬢は、あなたと同じくらいの歳のお嬢さんなんですよ。まだ日常的にアクセサリーを身に着ける年齢ではありませんし、それに普段は寄宿学校に通っておいでですから」

「小さな子でなくても、普段使いするものじゃなさそうね。学校にだって持ち込めないでしょうし。そもそも十歳そこそこの子に宝石なんて、贅沢だこと」

「望み通りプレゼントしてあげるのが、お父上精一杯の甘やかしというところでしょう。立派なレディに成長するまでは、大切にしまっておこうということみたいですね」

 ダニエルは面白がるような口調で、リザに問うた。

「どうします。パーティー潜入が嫌なら、ルイズ嬢が宝石の似合うレディに成長するまで数年、チャンスを待ちます?」

「……やるわよ。数年先のことなんて考えられないもの」

 数年後の未来なんて。

 それこそルイズ嬢のように、手厚く守られた者に約束されるものだ。

「あなたと俺で、招待客として紛れ込めるよう手筈を整えました。よろしくお願いしますね」

「げ」

 優雅に微笑まれ、エリザベスは思わず仰け反った。









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