祝宴の陰 -Ⅲ
「レディ一人でパーティー参加なんて、目立ちますからね」
嫌がられるのも構わず、ダニエルは自身がパーティーに同伴する理由をもっともらしく付け加える。
「そもそも、招待客になりすます必要はないと思うのだけど。ルイズ嬢には悪いけど、強引に乱入しちゃえば良いじゃない」
「誕生日を台無しにする趣味はないのでは?」
やはり愉快そうに意地悪いことを言うので、リザも吐き捨てるように返す。
「贈り物を破壊する時点で、もう何やっても一緒よ」
「パーティー会場は人でいっぱいです。パニックを起こした群衆は危険なものですよ。それに招待客が結託すれば、あなたを捕まえるくらいのことはできてしまう」
「うーん……」
確かに、大人数を相手に大立ち回りするのは分が悪い。予告を打って自ら警察を招いているけど、いつも全力で振り切っているのだ。警察の他に、さらなる怪盗捕縛要員が追加されるのは避けたい。
「パーティー中でも警察の目をすり抜ける自信があるなら、予告状を出しても構わないでしょう。そこはあなたのこだわりですから。けれど屋敷内に侵入する時は招待客として、正面から堂々と。ひと仕事する時はなるべく混乱する事態を避けつつ、がベストかと思いますね」
怪盗の予告は、本当はエリザベスにとっての『本来の敵』へ向けたもの。その敵と『魔法の泉』に近づくために、己の存在を主張する。
「標的と警察には、いつも通りご挨拶しておきたいけど……。だけど私、ニックさんに顔が割れてるからなあ」
一緒に難しい顔をしていたコリンが、ぱっと顔を上げる。何事かと声を掛けようと思ったが、かち合った視線はすぐにそらされた。コリンは無言でクッションを抱きしめる。
「警察官と仲良くしたりするからですよ」
「悪かったわね。でも顔だったら、サンドイッチ屋のあなただって……」
そこまで言って視線を向けた先に、紳士然としたダニエルの笑顔が浮かぶ。
きちんとした仕立てのカジュアルスーツに、整えた髪。
くたびれた衣服を着て、深く被った鳥打帽でぼさぼさ髪を押さえつけた行商人と比べたら。その面影を重ねるのは難しい。
「……私も化粧とかで化けられるといいんだけどな」
ダニエルだって、人相が思い切り変わっている訳では無い。けれど服装に髪型に、立ち居振る舞いから言葉使いまで細部にこだわって変化する彼は、いくつもの顔をもっている。それは一朝一夕で身につくものでは無いだろうが、エリザベスだって対策しないわけにはいかないだろう。
「化粧とヘアセットは引き受けましょう。夜会用のドレスと合わせたら、年齢を二、三歳盛ることくらいはできます。とはいえあなたは素顔でも、黙っていればひとかどの淑女に見えますから。普段の姿と大きく差は出ないでしょうね」
「黙っていればは余計」
「リザはいつだって綺麗だよ?」
何も疑う余地なんてない、というような表情と声でコリンが言う。リザは思わず目いっぱいに頭を下げて、低い位置に座るコリンと額を合わせた。
「もう、コリンって本当に良い子!」
ぐりぐりと頭を撫でまわす。コリンは、わ、あ、というような、言葉にならない声を発して慌てふためく。
「単純と言うか、なんというか」
「褒められたら嬉しいもの」
乱してしまったコリンの髪を整えながら、リザは言った。
「やっぱりニックさんをごまかすのは難しそうね」
「ニックさん、今回は警備につかないようですよ」
「へ?」
大事なことをさらっと言われて、リザは間の抜けた声を上げる。
「エリザベスに大怪我を負わされたので」
「大怪我って……だって出歩いてるんでしょう」
ダニエルは己の額を、指先ですっとなぞる。
「額に受けた切り傷が酷いんだそうで。縫ったと言っていましたよ。受傷の時期から見て、パーティーの頃には抜糸は済んでいると思います。けれど腫れが引くのにもう少しかかるでしょうし、見るからに痛々しい状態でしょうね」
「そんな」
小さくはない衝撃が、リザの胸を打った。
傷を負わせたのは自分だ。それでも逃げるしかなかったのもわかっている。そう言ってくれたコリンが、不安げにリザの膝を掴んでいた。
「よくニックさんと一緒に売り場に来てくれる先輩警官さんが、『おめでたい席に、見るからに怪我人がいると台無しだから来るな』と忠告されていました。額の目立つところだから、ガーゼも包帯もふさわしくないと判断されるでしょう」
「私の、せいで。好きで怪我したわけじゃないのに」
「純粋にパーティーの招待客なら、怪我ぐらいで出席を遠慮してくれとは言われないかもしれませんがね。警備は代わりがいますから」
エリザベスを追う警察官の顔触れは、決まった者が二、三名。あとは現場によって変わる。
ニックはエリザベスが活動を始めてから必ずその場にいる一人だけど、それが業務上の任命なのか、彼のこだわりなのかはわからない。けれど組織の都合でニックの業務や立場が変化したって、何らおかしくはないだろう。
「……この世に代えがきく人間なんて、いるもんですか」
それでもニック・ドーソンという存在はこの世に一人であり。その唯一人に、職務を退けさせるほどの傷を負わせた事実は重い。
「ね、ねえ。なんで警察は、エリザベスがルイズお嬢様のネックレスを狙ってることを知ってるの?」
「え?」
突然のコリンの発言に、リザは目を丸くする。
重苦しい空気に耐えかねて声を上げたように思えたが、その内容は確かに気がかりだった。
「そういえば、私まだ予告してない」
予告状を出した後なら、パーティー以外の日にすればいいのではなんて、決行日を再考するようなことは言わない。
一瞬、ダニエルが警察に情報を流しているのかと考えた。もしくは勝手に予告状を出したか。
けれどダニエルから、パーティーに潜入しようという大事な提案を聞いたのが今で。ダニエルはすべてをリザに相談するわけではないけれど、それでも彼女に重要な情報を伝えないまま、出過ぎた真似をすることはない。怪盗をするか否かの決定権は、すべてリザにゆだねられている。
「怪盗エリザベスの活躍は、世間ですっかり有名ですから。贋作を所有している者たちは、いつ標的にされるかと警戒していますよ」
「事前に手を打とうと、予告がなくとも警察に相談してるってこと?」
「偽造品だと黙っている者は多いですけれど、正規の複製品の所有者などは警察に相談することもあるようです。贋作とは悪意あっての物とはいえ、広義に捉えると複製作品でも標的にされるのではないかと心配なんでしょう」
リザが狙う贋作は、『魔法の泉』から生み出された『硝子の蜃気楼』だけだ。けれどそんな裏事情を人々が知るわけもない。
「予告前なのに、すでに標的が警戒しているのはわかった。常に警察に警備を依頼するのは難しいけれど、パーティーの場にだけお目見えするネックレスならピンポイントだものね。お知り合いの方に頼んで手に入れた品なら、そっくりとはいえ贋作という意識はないのかもしれないし」
「ただでさえ高価なものですし、たくさんの来賓者がいらっしゃいますから、空振りでも警備を依頼する価値はあるでしょうしね」
「怪盗襲来を予測されたところに予告状を叩きつけるなんて、なんだか踊らされているような気分だけど……。そりゃあ同じような犯罪が続けば、誰だって対策はするよね。あなたの進言通り、パーティー当日に決行しましょう」
迷いを振り切って、覚悟を決める。コリンがまぶしそうに目を細めた。
「それにしても、想像以上に怪盗エリザベスは人心を惑わせてしまっているのね。いくら民衆が支持してくれたって、警察に相談するくらい不安になってる人がいるのは申し訳ないな」
「そんなの覚悟の上でしょう」
「わかってるけど。……そもそもは『魔法の泉』を悪用して、『硝子の蜃気楼』をばらまいている奴が悪いのだから……早くその正体に近づかないと」
「正体?」
エリザベスの真の目的を、コリンは知らない。
リザは見上げてきたコリンに無言で首を振る。
「……リザはあんまり、僕にお話ししてくれないよね」
ひどく寂しげにつぶやいて、コリンは俯いた。
「怪盗のお仕事は、私のわがままだから。仕事の上でダニエルには付き合ってもらってるけど、コリンが気にすることじゃないよ」
小さな丸い頭が、顔が見えないくらいに下を向いた。
秘密ばかりで、結局この幼い子のためにしてあげられることなんて、何一つないんじゃないか。
そんな後ろめたい思いが、リザの胸をかすめる。
「少しぐらい、話してあげてもいいんじゃないですか?」
口を閉ざすリザに、ダニエルが言った。
「あなただって、ジャンが突然帰らぬ人となって後悔したでしょう。あなたは多少、自分と彼を取り巻く色々な事情を聞いていたけれど。それでももっと話したかった、知りたかったという想いがあったでしょうに」
「それは……」
「怪盗星蜥蜴の死の真相くらい知りたいと、その想いもあって怪盗をしているのでしょう?」
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