指先の勇気 -Ⅲ
怪盗仕事で、こんな街外れまで来たことなんてなかった。
それはそうだろう、この辺りにはお宝のあるような家なんてないだろうし。
今日はいつもと、事情が違う。
エレクトレイ市内を見渡せる丘陵地に、エリザベスは参じていた。
市街地を一望する美しい景観、広い土地。けれどエレクトレイの街は、この丘まで広がらなかった。地盤が悪く土地の造成に不向きだったのと、人口と街の規模が釣り合った結果らしい。市街地が大きく発展する前には丘の上に住んだ者もあるが、その者たちも街が活気づくにつれて丘を降りたようだ。丘の上にいくつか残された家屋敷や建物も、ほとんどが空き家となって朽ちるのを待っている。
「寂しい場所」
吹き抜ける寒風に、足元の枯草がざわめいた。街中と違う寒々しい風景に、少しだけ背を震わせる。眼下に目を向けても、夜を迎えたエレクトレイに灯る明かりは慎ましかった。今日は満月だから、月光を遮るものの少ない丘の方が明るいかもしれない。だけどその冴え冴えとした光が、かえって冷たかった。
「でも街よりちょっとだけ、星が近いみたい」
少しだけでも、空に近いから。
(私にとっての星は、いつだってパパだった)
だけど本当に、遠いお空のお星さまになっちゃうこと、ないじゃない。
星の代わりに胸に輝く琥珀に触れて、街に背を向ける。
吹っ切るように振り向いたその先には、森が黒々と広がっていた。丘の広い土地の中では、ほんの一部分である木の集まり。それでも夜の暗がりの中で見れば、闇が濃くて不気味な森だ。
あの暗がりの中に入っていって、果たして無事に仕事をこなせるだろうかと思案していると。
ひとつ、ふたつ、みっつ、と。
森の中から、小さな明かりが漂ってきた。即座にその場に伏せる。こちらの姿は枯草に紛れて、まだ距離もあるから見つからないはずだ。
漂う明かりは、三つのランタン。
ニックを始めとする警察官たちが、森の周囲を警戒している。
彼らは通常よりずっと人数が少ないのに、標的の家に張り付かず距離を取って警護に当たっていた。エリザベスが家に近づく前に捕えようとしている可能性もあるけれど、森のどのあたりから入り込んでくるのかもわからないだろうに。
(警備を断られたんでしょうね)
エリザべスの標的は贋作だ。持ち主は後ろめたい事情を抱えているケースもある。必ずしも警察に頼る者たちばかりではなかった。
エリザベスには自身の行動を、世に知らしめるという目的がある。
『硝子の蜃気楼』の所有者とエリザベスの間だけで、怪盗事件が小さく終わってしまっては意味が半減してしまうのだ。だからエリザベスは贋作の所有者だけでなく、警察にも盗みの予告を打つことにしていた。
今回は目的が『硝子の蜃気楼』ではないから、目立つ必要はない。警察どころか標的のある家にも、予告の必要はなかったかもしれない。それではコソ泥か強盗と一緒くただと言われても、その方が安全だし。エリザベスには目的はあっても、怪盗の美学なんてものはないから。
それでも大衆の大半が味方に付いているうちは、下手なことはしない方が良いだろう。いつもと違うことをして、妙な勘ぐりをされても面倒だし。
「まあいつもと、違うことをしようとしてるんだけどね……」
森のざわめきにかき消されるような小声でつぶやく。
本当に、自分がそれをする必要があるのか。警察にタレこむだけで良かったのではないか。
だけどどうしても、今回の『標的』に心動かされてしまった自分がいた。
明かりの動きに注意して、エリザベスは森へと接近する。這いずって森までの距離を詰め、低い姿勢から徐々に立ち上がっていく。完全にニック達の死角に入ったあたりで、森の中に飛び込むように一気に走った。
飛び込んだあたりは真っ暗だったが、少し先に目標は見えた。そこは切り開かれているのだろう、天頂から注ぐ月光が、建物を照らしている。
切妻屋根の、古い平屋の丸太小屋。いつからここに建っているのだろうか。長い間風雨にさらされた小屋はずいぶんと痛んでいるようだが、造りは頑丈そうだった。
エリザベスは木の間をぬって小屋に近づく。今は警察の姿が見えないけれど、これだけ木が生えていれば身も隠しやすい。慎重に近づきながら、小屋の様子を観察した。
古い丸太小屋はまるでお化け屋敷のようにも見えたけれど、明らかに出入りの跡があった。入り口への導線は草も生えずに道になっていたし、切ったばかりの薪も積んである。窓には厚いカーテンがかかっていて、室内に明かりが点いているかはわからない。けれど時折物音がして、人の気配を感じた。ずっと住んでいる者がいるのか、それとも空き家になっていたところに、誰かが入り込んで使用しているのかまではわからないけれど。
(上からも見ておいた方が良いかな)
開かれた小屋の周囲は、それでも木々が茂っていた。もっとも小屋に接近している木に登る。
標的がある場所はわかっていた。けれど侵入経路をどうするか、エリザベスは決めかねていた。
小屋を観察した限り、目的の部屋には窓がない。前回の地下室も窓はなく、侵入口が限られていた。けれど情報屋が内部まで入り込んで、詳しい状況を掴んでいてくれたから何とかなった。今回は大きなお屋敷ではないから、小屋の中に侵入してから迷うことはないだろう。しかし正面突破で標的のある部屋まで行ったとして、追い詰められて逃げ場がなくなる可能性が高かった。
この小屋に宝を隠している者は、間違いなく真っ当な人間ではない。
情報屋だって、内部まで入り込むことはできなかった。元々純粋な腕力では、大の大人や男には数段も劣るエリザベスである。警察以上に何をしてくるかわからない人間を、相手にするのは怖い。
「あれ?」
見下ろした屋根の上に、様子の変わったところがあった。
真ん中のあたりに、板を打ち付けた部分がある。雨漏りでも塞いだのだろうか。
だけど、もしかしたら。
木の枝伝いに屋根へと降りる。
もしエリザベスの予想が外れたとしたら、余計な時間を費やすことになる。けれど当たれば、ここが突破口だ。
『硝子の蜃気楼』のように、今回の標的は呼びかけてくるわけではない。だけどエリザベスは、自分の直感に賭けた。
足を踏み外さないよう慎重に歩く。屋根の傾斜が緩いのが幸いだった。到達した目的地点で膝をつくと、まずは呼吸を整える。
「よし」
エリザベスは大振りのナイフを取り出すと、屋根と板の間、釘を打ち付けてあるあたりに刃を突っ込んだ。テコの原理で板をこじ開けようと、力を込める。板も釘も痛んでいるようで、しばらく奮闘していたら強固なそれも緩んできた。指を差し入れる隙間ができたところで、力任せに板を引きはがす。
現れたのは、四角い小さな天窓だった。
「……なんてこと」
エリザベスは顔を歪めた。天窓にはさらに鉄の面格子が取り付けられていた。けれど苦々しく思ったのは、鉄格子を突破するのが面倒だったからではない。
「あんまりじゃない、こんなの」
この強固な牢獄に、囚われている者の身を案じたからだった。
エリザベスは頭を振った。打ちひしがれている場合ではない。
いつ気づかれたっておかしくないのだ。早く鉄格子も外してしまわなければ。
板で塞いでいたからか、ガラスは嵌っていなかった。この檻のような鉄格子を外してしまえば、あとは標的に手を伸ばすことができる。
鉄格子を締め付けているねじに、ナイフの刃先を立てた。力を加えて、ねじを少しずつ緩めていく。溶接していないどころか、ねじ止めさえ甘い。板と二重で塞いでいたから、それで十分だと思ったのかもしれないが。ずいぶんと雑な、素人仕事だ。
「こっちとしては、助かるけ、どっ」
ねじが外れたので、鉄格子を引っぱる。重量があって錆びついていたものの、あまり労せずそれは外れた。
小さな四角い穴に、月光が降り注ぐ。
「こんばんは」
中を覗いたエリザベスは、笑顔で今夜の標的に挨拶をした。
真っ暗な屋根裏部屋に差した、青白い月の光の中に。
一人の小さな少年がいた。
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