怪盗の娘 -Ⅴ
昼下がりの公園。泉のほとりで、少女はサンドイッチを頬張る。
きちんと足先を揃えてベンチに座って、膝の上には新聞紙を広げて。スカートは走ったら足に絡みそうな長さだけど、上半身を覆うのは丈の長いマントではなくて上品な仕立てのケープだ。
ハムの塩気とルッコラの辛味の組み合わせを堪能していたら、銀杏並木を歩く人物に気が付いた。
降るような黄色い落葉の中を、背筋を伸ばして歩く人。
エリザベスの宿敵とも言えるかもしれない、警察官のニック・ドーソン。
エリザベスにとってというよりは、彼にとっての宿敵がエリザベスなのかもしれないけれど。
長い足でずんずん歩いて、路肩に立っていた少年に声をかける。少年とのやり取りの後、銀杏並木に戻ったニックは胸に新聞を抱えていた。新聞売りの少年が頭を下げる。今日は押し付けることはないかもと思いながら、少女は膝の新聞紙にサンドイッチを置いた。ニックがこちらに気づくとも、限らないし。
「こんにちは」
「……ごきげんよう」
限らない、と思った数秒後に。少女の方に向かって手を振る、ニックの姿があった。
「先日はどうも」
そう言われ、先日とは彼の顔面にスリングショットを決めた夜のことだろうかと、一瞬身構えたが。
「新聞を頂いて、ありがとうございました。今日は自分で買いました」
「……いいえ。むしろゴミを押し付けたみたいで」
公園で逢った時のことかと、胸をなでおろす。
むしろあんな、油やらたまごペーストがこびりついた古新聞でごめんなさいと、申し訳なく思いつつ。
「買いそびれていたので、助かりましたよ」
にこやかにニックは言う。先日の別れ際の印象だって、決していいものではなかったはずなのに。
「そう言っていただけると。私、帰り際の態度、悪かったのに」
「あれは自分が調子に乗っていたから、呆れられたのでしょう。一方的に熱弁をふるってしまいましたし」
いい人だな、と思う。善良だと信じる人間には、善き人だ。
「目、痛そうですね」
少女は自分の目元を、指先でとんとんと叩きながら問うた。ニックの左目、ちょうど瞼のあたりが腫れていた。
「先日、仕事で負傷しまして。いや、お恥ずかしい」
紫色に変色した瞼を、ニックはそっと抑える。
「目はきちんと見えていますの?」
「はい。視力の方には全く問題ありません」
「それなら良かった」
少女は心から安堵した。なんて自分勝手だろうと思いながらも、失明なんてことになっていたら落ち込まずにはいられない。痛々しく腫れた瞼を罪悪感とともに見つめていたら、ニックはぱっと顔をそらした。
「あ。凝視しちゃって、ごめんなさい」
「いえ」
照れたように顔を背ける仕草。彼にしてみれば不名誉な負傷だろうから、まじまじ見つめたのは良くなかったか。
「えーっと……。あの、そうだ。あなたは、その、学生さんですか?」
話題を変えるように、ニックが切り出した。
これは身元確認、ではなく、きっと単なる世間話だ。
「いいえ。学校には通っておりません。父の仕事を手伝っていますの」
嘘ではない。けれど真実からも少し遠い。
「お父様のお仕事を?」
「雑用ですけれど」
これは嘘。一番当たり障りのないことを言っただけのこと。
「親孝行な娘さんだ」
感心したように言って、ニックが笑う。
孝行者、なのだろうか。本当に。
父の名のもとに、怪盗になった。
親孝行なのか、親不孝なのかはわからない。
それでも怪盗エリザベスは、己の探し求める真実にたどり着くまで。
善良な正義の者をかわし、幾重もの障害を越えて。
夜の闇の中を、駆け抜けていくのだ。
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