怪盗の娘 -Ⅲ

 怪盗から標的に送り付けられたカードに記された予告日は、月のない夜だった。

 わざわざ予告状なんてものを寄こして、警戒を強めるのも警察を呼ばれるのも、捕まるリスクが増すだけだということはわかっている。

 けれど騒ぎを大きくして世間の注目を集めるのは、必要なこと。

「パパ」

 胸元に留めた、琥珀のブローチに触れる。本物か細工かはわからないが、黄金こがね色の輝きの中に蜥蜴を閉じ込めた石。

 大切な、パパの形見。

 纏ったマントをしっかりと肩に巻き付けて、フードを目深に被った。

 夜の闇の中を駆けるのは、いつだって勇気がいる。

「私もパパみたいに、魔法使いなら良かったのだけど」

 お守りの琥珀をぎゅっと握りしめて、怪盗エリザベスは夜の帳が降りた街へと飛び出していく。

 視界の端に映る煌びやかな光は、酒場のあたり。酔客たちの乱痴気騒ぎに背を向けて、閑静な住宅地の方へと走る。

 頭上に並ぶ小さな灯りの街路灯は、心強いより侘しい。闇に紛れて走る自分には不利なのに、夜がもっと明るければと思ってしまう。

 暗い夜を越えるのは、寂しいから。

 標的である屋敷の塀を見上げる。一本の庭木の枝が、街路にまで張り出していた。注意深く周囲を伺い、塀から庭木へと登る。葉陰に身を隠しながら、屋敷の様子を確認した。

 一番明るい玄関に、複数人の警察官。彼らに囲まれるように立つ、身なりの上等な紳士はこの屋敷の主人だ。バードウォッチングという名の偵察で、オペラグラスの中に見た姿。神経質そうな顔つきの初老の男で、今日は隣に夫人はいない。どことなく憂いを帯びていた妙齢の美女は、お宝のようにどこかに隠されているのか、それとも。

 屋敷の周囲に散るランタンの位置を把握する。玄関に裏口、バルコニー、窓辺。人一人が入り込めそうな開口部には、全て人が配置されていた。

「本当に、パパみたいに魔法が使えたら良かったな」

 枝から身を乗り出して、塀に足をかける。風が木の葉を揺らして大きな音を立てた。近くで警戒にあたっていた警察官が顔を上げる。

 もう見つかったって構わない。


「怪盗星蜥蜴の娘、怪盗エリザベス、ここに参上!」

 だって、追いかけっこを始める時間だから。

「出たな怪盗エリザベス!」

 足元で吠えたのは、先日公園で顔を合わせたあの警察官だ。背が高くて、歩き姿が綺麗な熱血漢。名前も調べた。

「ニック・ドーソン」

 彼の吹くホイッスルに、エリザベスのささやきはかき消される。笛の音を合図に、エリザベスは細い塀の上を駆けた。

 警察官の彼、ニックは、走る時も綺麗な姿勢で走る。陸上競技のことなんて、エリザベスは何一つ分からない。けれどニックは他の警察官たちより飛び抜けて、必ず先頭を走ってきた。現場で一番歳若そうに見えるから、体力もあるのだろう。

 けれどエリザベスも、すばしっこさでは負けていない。塀を駆け、警戒に当たる人員がわずかに途切れた辺りで、庭に飛び降りる。

 駆けながら、エリザべスは首元のスカーフを外した。細長く畳んだスカーフの真ん中に腰のポーチから出した石を置いて、生地の両端を握る。エリザベスはスカーフを握った腕を、思いっきり振り回した。

 円を描いて振られたスカーフから石が飛び出し、勢いをつけて高く飛んでいく。石は屋敷三階の窓に命中し、ガラスを叩き割った。

 パパだったら、魔弾の一つでも放つんだろうな。

 この世界に存在する魔法使いは、もう数少なくなっている。父がエリザベスに語ったところによると、星蜥蜴とて身一つで使える魔法は簡単なものくらい。星蜥蜴が世間の注目を強く浴びたのは、魔法を使うからという側面もあった。だけど娘の怪盗エリザベスは魔法なんて使えないから、大衆の興味を惹きつける華々しさなんて、本当は持ち合わせがない。


「窓、三階の窓が割れたぞ!」

「上か!」

 警察官たちの騒々しいやり取りに、何人かはごまかせたかとそのまま地上を駆ける。まだ追ってくる足音と気配はあるから、早いところ屋敷内に侵入しなくては。

「止まれ!」

 裏口を見張っていた警察官に静止される。ここに立つ者にこそ、いなくなっていてほしかったと思いながら、スカーフに小石をセットした。 

「ごめん、ねっ!」

 今度は石を包んだまま、警察官の顔を目掛けてスカーフを振った。石を包んで硬くなった部分で、こめかみをぶん殴る。鈍い音がして、平衡感覚を失った警察官は地に膝を突いた。その隙に、警察官が背後に守っていた裏口へと手を掛けるが。

「武器を捨てろ!」  

 上階への攻撃に騙されなかったニックが迫っていた。ランタンをこちらに突き付ける。

 ただの石とスカーフという反論は、通用しないだろう。足元で悶絶している者の姿を見れば、確かに凶器だ。

「パパならもっと、うまくやったのに、なっ!」

 気合いとともに、再度スリングショットを放つ。顔目がけて放たれたそれを、ニックは上体を傾けて避けた。エリザベスはすぐに追撃の体勢に入る。スカーフに石を引っ掛けて、振り回して――それが放たれる前に。

 ガシャンという音とともに、ニックの手元の光が弾ける。エリザベスの、スカーフを握っていない方の手。素手で投げつけた石が、彼のランタンを撃ち落とした。

 地に落ちたランタンが、あらぬ方向を照らす。不測の自体に気を取られたニックの顔面を狙って、エリザベスは今度こそスカーフから石を放った。

「だっ!」

 鈍い音とともに、短い悲鳴。顔はどこも急所だから、女の力加減でもひやひやする。

 傷つけることに、心が痛まないわけでは無いから。

 けれど後ろめたさに捕まるようでは、本末転倒。エリザベスはさっと裏口に入り込んだ。


 裏口開けてすぐの所にある、細い階段を下っていく。追いかけてくるであろうニックが、地下ではなく上階へ向かってくれればいい。

 標的の在処は、警察にすら伝えられていないから。

 そのように『情報屋』から聞いている。

 警察すら知らない宝の隠し場所を、エリザベスは情報筋から掴んでいた。

 階段を降りきったところで、若い娘の悲鳴が上がった。地味な衣服の上にエプロンを掛けた女の子。その悲鳴にキッチンから飛び出してきた、恰幅のいいご婦人。

「お仕事の邪魔をして、ごめんなさいね!」

 地下は彼女達の領域、屋敷に仕える使用人の詰所だ。男性使用人達は警備に駆り出されているのか、残っているのはほとんど女たち。

「怪盗エリザベスよ!」 

「嘘、本物?」

「いやだ怖いわでも素敵!」

「馬鹿言ってんじゃないよ!」

 浮つく若年の使用人たちの言葉を声援ということにして、エリザベスは細い通路を駆ける。彼女たちが背後の通路を塞いでくれているお陰で、麺棒を振り回しているご婦人を押えられているし。

 エリザベスは通路の最奥にある酒蔵へと飛び込んだ。酒類を管理するのは執事の役目だから、勇気あるメイドがエリザベスを捕まえようとここに辿り着いたとして。

「きっと知らないでしょうね」

 ワインが並ぶ、扉付きの棚に手をかける。並ぶとりどりの酒瓶は綺麗だと思うけれど、エリザベスの目的は酒ではなくて。

 ごとんと、重たい音が響いた。

 酒を納めた棚が、壁の奥へと動く。内開きの扉のように稼動した棚の向こうに、入口が現れた。

 エリザベスは隠し通路へと滑り込むと、きっちり棚を元の位置に戻してから再び走り出す。

 大きな屋敷には大体裏の通路があって、主の目障りにならないように使用人が使うことが多い。けれどその者たちさえ知らない領域が、この裏道のある場所に存在している。

 ……とは、これも情報屋から掴んだのだけれど。

 隠し扉から離れて、二手に別れた道を右に進んだところで走るのを止め、壁に触れる。壁を伝うようにそろそろ進んだ。ここからは注意深く周囲を探っていかないと。

 薄い手袋越しに伝わる、壁の感触。

「……見つけた」






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