第17話
掌が温かい。この感覚には覚えがある。
魔力不足で倒れた時は、言葉の少ない不愛想な養い親が 俺の指を包むようにして手を握っていてくれた。俺は自由になる親指と人差し指の先で彼の親指をゆるく握り そろそろと魔力を吸い上げた。普段俺を化物だとか呼んではしょっちゅうひどい癇癪をおこす養い親のあの人は、この時だけは静寂に包まれていた。音とか声とかそういう物理的なものではなく 纏う空気が凪いでいたのだ。
――きっと、過去の傷を見るような目で俺を見てる、はずだ。
それがどういう類の感情なのかはわからなかったが、彼の静寂が続けばいいと祈っていた。
********
やたら陽射しが明るい……と思ったら昼でした。
「惰眠を貪ってしまった」
それはいいとして、どうやって宿に戻って来たのか。これが問題だ。
スッキリした頭でシルガが部屋を見回すとローブが掛けてあるのに気付いた。
「……」
(ま、いいや。それよりアスレイヤに欠勤の詫びを入れておこう)
あの騎士は責任を果たしてくれたとは思うが、アスレイヤはいちおう雇い主なのだしその辺はきちんとしなくては。
シルガは身支度を整えながら腑に落ちない点を考えた。
どうやって宿に戻ったか、なのだが、やはり自力では戻ってないと断言できる。となればあの騎士がシルガを担いで戻ったことになる。しかし常に単独で探索するシルガは万一に備え、意識を失うようなことがあれば自動で結界を張る術式をローブに付与してあるのだ。他からの助けがない前提の付与なので、外部からの接触をひたすら弾き、認識阻害効果もある結界が長時間維持されるはずだ。
(まさか物理で叩き壊したんじゃ……ありそうなのが怖い)
それにしても、ミルクのために妙なことになったものである。何故ああまでしてミルクに拘ったのかわからない。冷静に考えると謎な心理状態だ。欲に目がくらむというのは こういうことかもしれない。
(これじゃアスレイヤに偉そうなこと言えないな)
ルーンシェッド大森林に配属される竜騎士なんて関わるもんじゃなかったと、シルガは自分の行動が愚行とよばれるものだったことをしぶしぶ認めることにした。
普段通りきっちりとローブを着込み、向かいの部屋の戸を叩いてみたが返事がない。階段を降りて食堂に行くと店主がいたので軽く挨拶をした。シルガは店主がいつもより椅子の背を倒してクッションを挟んでいるのが気になった。
「腰、どうかしたのか?」
「ちょっと打ってね、イタタ……」
「治そうか?」
「有難いけど年寄りの自己治癒力なんてしれてるさね、無駄になっちゃ悪い」
またこれだ。
シルガは治癒魔法の認識がズレているのを感じた。
(一度、治癒に関する魔法書を探して読んでみる必要がありそうだ)
アスレイヤが見せてくれた学院の教科書は入門書くらいの位置づけだ。治癒に関する記述は身体強化の延長程度にしか書かれていなかった。治癒は命に関わるものだから そう気軽に教えるようなことはしないんだろうと勝手に納得していたのだが、そういうことでもなさそうである。医療に関わる魔法だから研究はされているはずだ。それとも医療に関してだけは、あの世界の近代医療みたいなものが採用されているのだろうか。
(魔法薬と普通の薬とあるわけだからその可能性もあるのか)
シルガは打ち身用の湿布薬を収納鞄から取り出して店主に見せた。
「少しは楽になると思う」
「この湿布薬も、うちに卸してくれるんならぜひお願いしたいとこさね」
「こんなんでよければ。今度ギルドで許可取ってみるよ」
店主の服をめくり上げると痣が広範囲に広がっていた。強く打たれているものの骨折はしてない絶妙な力加減が窺える。
(……変な形だ)
「竜にやられて」
訝しむ空気を読んだのか、店主が言った。この辺りに竜なんか出たら大騒ぎだし 竜にやられてこれだけで済むわけがないのだが、言われてみれば痣の形が竜の尾の先を思わせる。思い当たる竜といえばあの騎士の騎獣なので、やはり彼が自分を宿まで運んだのだとシルガは納得した。
「そうなのか。ちゃんと飼いならされてて良かった」
「……あの青年とは知り合いかね」
「知り合いって程でもないが……って、どの青年だ」
「真っ黒の、彼。ジスといったかね。うちの宿のお客さんさね」
「そういえばそんな名だった気がする」
シルガはあの騎士の名前を覚えてなかったので、気まずい思いをする前に知れたのは助かった。手当を終えた店主が一息つくのを見計らってシルガは本題に移った。今日はまだ一度も姿を見てない。
「アスレイヤは、 ……もしかして凄く怒ってるかな」
「かなり」
(なんてことだ。無断欠勤はせめて3回まで許してもらえないだろうか。そういえば解雇条件とか決めてなかったな。突貫で作った気の抜けた証文だから穴だらけかもしれない)
「魔術師殿に、じゃなくて、真っ黒の彼に対してね」
追加された情報は思いがけないものだ。しかし容易に想像できる……
「……なんだか不穏だな。ところでアスレイヤは今、どこに?」
「朝から二人で仲良く出てったよ。剣持って」
止めてほしかった……
「まあ、大丈夫でしょう」
まあ、大丈夫だろうとは思う。思うが、
「どこへ行くか言ってたか?」
「ウィッツィの湖さね」
「様子を見てくる」
呆れたような視線を感じたが、シルガは無視して転移した。
「……そうほいほい転移魔法なんて使うもんじゃないさね」
*******
不利益をもたらして利益を得る、または利益をもたらして利益を得る、それは有象無象のひとつにすぎないいち事象で等しく
だがそうではない。全てのものは等しくない。生命の数だけ特別なものがあるのだということを今では理解している。自分とあまりに関係なさ過ぎて、あの世界の自分と共有した時間がなければ それに気付くことはなかっただろう。
しかし利益とは何者なのか。利益の前では恐怖も嫌悪も倫理も正義も取るに足りないものになることをシルガは身をもって理解したものだ。
シルガにとってアスレイヤは得体のしれない存在だった。
日に日に何かが積みあがっていくのがわかる。かつて精霊と契約をしたように、利益を得ただけ差し出し均し、等しく尊くどうでもいいものに落ち着けることが出来ないでいる。水を注げばそれ以上に湧きだし溢れて謎の泉が出来上がる。何を差し出しても足りないように思うのだ。正直なところ、恐怖すら覚える。
端的に言うと、アスレイヤは存在するだけでシルガの利益だ。何物をも凌駕する利益を、利益だけをひたすらもたらす、利益そのものが具現化したような存在にいつの間にかなってしまった。
この感情を知っている。あの世界の自分が教えてくれたものだ。
たぶん好きなんだろう。幸せであってほしいと思うくらいに大切な存在だ。
転移先ではいい匂いが漂っていた。こんがりと肉が焼ける匂いだ。二人は竜のそばで昼食にするところだったようで、アスレイヤが不機嫌そうな顔をして火の面倒を見ている。シルガがゆるい認識阻害の魔法を使って遠目に様子を見ていると、あの騎士と目が合ったので来るように合図した。
「なんのつもりだ、騎士殿」
「ジスって気軽に呼んで構わないぜ」
「そうか、まずは礼から。宿まで運んでもらったようで、ありがとう。放っといてくれても構わなかったが助かった。手間を掛けさせてすまなかったな」
本当なら聞きたいことがあったが藪をつつくようなことはしたくない。掌に温かさを感じたあのとき、あれはもしかしたらこの騎士のもので、無意識に魔力を吸い上げたかもしれないのだ。
「俺の方こそ、悪かった。ちゃんと埋め合わせはするつもりだからそう邪険にしないでくれ」
「アスレイヤと何かあったらしいな。もし害するようなことがあれば今度こそ、殺すつもりでやるからな。……とはいえ護衛がいるからそう手は出せないだろうけど」
「護衛?」
「貴族には付いてるだろ、護衛が。俺の索敵に掛からない程には熟練者だ」
シルガの言葉に騎士は少しの間逡巡し、
「熟練つーか……」
いないんじゃねえの、と溢した言葉に、シルガは思わず索敵魔法を広げた。ぶわりと突風が過ぎたようにシルガの魔力が草木を揺らしていく。
「……いない。いやでもまさかそんな。かなりの手練れという可能性もあるし」
「あれに掛からない奴なんて、そういないぜ」
騎士の言うことはそうかもしれない。だがシルガはそれ以上に信じたくなかった。護衛がいるのかいないのか、それ以外はもはや些末事だ。今すぐはっきりさせないと気が済まない。
(本気で索敵しよう)
いきなり黙り込んだシルガにジスは声を掛けたが全く反応しない。どうしたものかと困惑していると、ふと気配が無くなった。そこにいるのにいない、ジスは奇妙な不気味さを感じて凝視した。魔術師の魔力が霧状になって空気に溶け込み、存在自体が融合しているのではないかと錯覚する。まるでこの一帯が魔術師の身体の一部になったかのような精緻な索敵魔法だ。
「ひとり、距離は歩いて20分程、釣りをしている男」
「さすがに護衛じゃないだろ」
「そうだな」
言葉では肯定したが、まだ納得できてないのはジスが見ても明らかだ。何故そこまで信じたくないのかジスには理解できなかった。
「だが俺の索敵が完璧とは言い難い。 ――精霊!」
――― なに、
「このあたりに俺達3人以外で人がいないか教えてくれ」
――― ひとり、つり、してる
「それ以外は」
――― いない
「そうか、それだけだ」
――― じゃあね
精霊が消えると同時にシルガは膝からがっくりと崩れ落ちた。
―― でもま、少しは懲りたでしょう。
いつかの店主の言葉が記憶の奥から這い出し、今現在の言葉のようにシルガの鼓膜を震わせた。
(少しは懲りたどころじゃない。あのまま放ってたらアスレイヤは……)
ウォーハウンドと対峙していたアスレイヤ。彼はもしかしたら、護衛がいないことを知っていたのかもしれない。
シルガはいてもたってもいられず瞬時に転移魔法を作動させた。行先はわかりきってる。
「冷静にな」
「ちょっと質問するだけだ」
ジスはシルガが消えた跡をだいぶ呆れて眺めつつ、あの剣幕で質問される釣り人に同情した。だがそれよりもなんというか。
「突っ込みどころが多すぎる」
ジスの呟きは風に紛れて消えていった。
シルガは気付かれないように気配を殺して転移した。少し様子を見るためだ。
(……あれは)
それを認識したと同時に、身体強化で一気に距離を詰め、問答無用で急所の首を締めあげた。
「がっ……! な、なに、」
完全に不意打ちされた男の目がシルガを捕らえた。
「おま、ピポポグラッチウォーリア……!」
「ピホポグラッチウォーリア2世、だ。グイーズだったな、説明しろ」
「せつ、めい」
グイーズの目が少し彷徨う。
「シマサギ4匹、オニニジマス2匹、グッ、」
「そうか、 ……死ぬのか」
「ま、った! ほん、の、冗談」
話す気はあるようだ。シルガの拘束が緩んだ隙に身を捻って逃れるあたりはAランク冒険者だ。解放されたグイーズはわざとらしく咳き込んで茶化すように言った。
「お~……こわ。兄ちゃんあんたそういう剣呑な目、するのな」
俺メンバー募集中だから、と続いた言葉をシルガは黙殺して話を促す。
「アスレイヤを知ってたな。目的はなんだ」
「俺はなんてーか、監査?してんだよ」
グイーズの話によると、冬期休暇中に冒険者活動をする生徒は学院が独自に調査するのだそうだ。きちんと護衛が付けられているかどうか確認し、場合によっては護衛と連絡を取り合い不正がないか取り締まる。しかし、そこは貴族である。自分の護衛にカネを握らせ都合のいい駒にする者もいる。
アスレイヤの護衛の不在は些細なことから発覚した。学院が調査した時点では確かにいたし、調査書のやり取りもあったのだが。それを調べていくにつれ、複数の生徒の護衛が消えてることが判明したのだ。
「学院からしたら責任問われるような事態はたまったもんじゃない。で、急遽秘密裏に護衛につくことになった俺は先任がいることに安心したわけよ、あの坊ちゃん自力でなんかやべーやつ雇ったもんだなって、感心してさぁ。ギルドで接触したのは単にあんたと話してみたかっただけで、子供を害するような奴じゃないってことくらいはわかったからさ、護衛は不要だって報告しといたわ。なんつっても人手不足でね」
「つまりアスレイヤの護衛が消えてたことは知っていたわけだ……何故黙っていたんだ。そもそも、ウォーハウンドに出くわしたアスレイヤ達をお前が護衛できてなかった時点で役に立ってないだろうが」
「うわー、やめてその通りなんで。でもそれは学院が俺を護衛に回したの、ちっとばかし遅かっただけだぜ」
「俺に話しかけてきた時点でお前が、アスレイヤに護衛がいないことを言っておけばこんなに腹も立たなかったんだ。それどころかさも護衛がいるようなことを……思い出すとむかついてきた、俺のうかつさにもイラつくけどな」
「護衛が消えてた件はちょっと、あのときは箝口令が厳しくてどうにも。で、これ……」
握り込んだ左手をグイーズが差し出したのにつられてシルガが視線を向けたその時。
「!!」
グイーズの左手から目を刺すような光が放たれ、そこかしこで破裂音が響いた。もうもうと立ち込めた煙がシルガの目を追撃してくる。目と喉と鼻の奥が微妙にしびれるが、毒ではない。むしろ毒ではないからこそ有効だ。
「げほっ、ゴホ、 この……」
シルガの視覚と聴覚を奪ったのは少しの間だ。それでも転移の魔道具を作動させるのには十分だったらしい。
「その魚は美味しく食べてやってくれよ。俺、兄ちゃんのそういう迂闊なトコ、好きになっちまいそうだぜ」
この魚達が、どんな手段を使ってでも美味しく料理して食わねば気が済まない呪いのアイテムとなった瞬間である。
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