第18話
早朝、白狸亭の中庭に剣を打ち合う音が響くのを、起きたばかりのシルガはぼんやりと聞いていた。ジスという名の竜騎士は普通に馴染んでしまった。今日もアスレイヤとふたり、朝から仲良く剣の稽古だ。
(アスレイヤが俺より早起きしてる)
のろのろと身支度をしながらここ二日間の騎士を思い返してみる。
たぶん今は同僚になっているジスという青年は…… 騎士で、騎獣は竜。隙の無い身のこなしで剣を振るう姿は凛々しく、魔法も巧みに使いこなす。しなやかな筋肉で覆われた鍛えられた身体を思うとおりに動かす姿は優雅であり、かつ生命力にあふれて美しい。シルガは今まで他人の顔の美醜など気にしたこともなかったが、何よりジスは顔が良かった。それは二日程過ごしてようやく気付いたことで、改めて見た時の顔の良さに衝撃を受けたものだ。彼の佇まいと相俟って表情がいちいち様になっている。
(何だあいつは。少年の憧れの的みたいな奴だな)
剣に加えて魔法も一級なんて反則である。
(正式な学府で修めた魔法を教わる方がアスレイヤにとって良いことのはずだ)
このもやもやした気持ちはなんだ、嫉妬か。
「……って、友達を取られた子供か俺は」
二人の間に何らかの取引があったのだろうが、この件に関してシルガは部外者である。雇い主であるアスレイヤの決定におとなしく従うしかないし 否を言う理由もない。何故ならジスは、ノランデーヴァとティウォルトの間に政治的ないざこざが起きない限りは信用できる身分である。
アスレイヤの身分や置かれている状況をシルガは何も知らない。わかっていることといえば、護衛をいつの間にか消されるくらいには悪意にさらされていることくらいだ。シルガの他に保護者がいるのは望ましいことである。
(とりあえず朝食を作ろう)
静謐な朝の空気の中、ひとり階段を降りる。冷蔵室の扉を開けると満たされたミルク缶が鎮座していた。
(くっそ……あざとい。俺をミルクで懐柔できると…… できるけど)
ジスは午前中をアスレイヤと仲良く稽古して過ごし、午後は竜と一緒にルーンシェッド大森林へ遊びに行っている。竜騎士の仕事はどうしたんだとうっかり聞きそうになるのを抑えて知らぬ顔で流している。どうせあの件で――怪我人を抱えて帰還したあと何かあったんだろう。余計なことには首を突っ込まないでおくのだ。
わざわざシルガが聞かなくてもジスの方から話してきたことによると、古代竜の遺した結晶をなんとなく探して暇をつぶすつもりだったらしい。暇つぶしであの辺りを探索するなんてやめてもらいたいが もう好きにしてくれという心境だ。魔瘴噴出孔の密集地帯はルーンシェッド大森林の やや南寄りの、ほぼ中央部に位置している。砦に駐屯する竜騎士には未踏の森であるらしいので、シルガは自作の地図を渡して地形や出没する獣、採取ポイントなどを出来るだけ詳細に説明しておいた。何かあったら割と寝覚めが悪いからだ。そもそも魔瘴地帯に気軽に遊びに行くんじゃないと言いたいが あの辺に勝手に家まで構えて住み着いている身ではそれも言えない。
ジスは昼食後に出かけ、夕食前には白狸亭に戻ってくる。その都度シルガと地図を確認し、追加事項があれば書き加えていく。俯瞰の視点が入ってくるのはなかなか興味深く、以前から気になっていた場所やらを 空からの様子を尋ねては そのうち探索しようと予定に入れた。毎度何かしら食材を獲ってきて納めてくれる上に シルガの空き時間が増えたので、食卓が一段と華やかになっている。今となっては大切な食材提供者だ。
とにかく色々と隙が無かった。
じゃがいものポタージュとバケット、アスレイヤの好きなミートパイ、チーズとベーコンを包んだオムレツとサラダ、ウインナーも焼いてみた。シルガ手製の燻製類だ。デザートはワッフルに果物とアイスクリームを添える。二人は昼まで中庭で稽古しているので、朝から高カロリーでも何も問題ないのだ。
ヨーグルトと果物とミルクを攪拌してジュースにしたり果物と野菜を絞ってみたり……時間が出来た分あれこれしているうちに飲み物の種類も豊富になっている。今度は炭酸水を自作しようかと考えているところである。湧水を汲みに行ってもいいけど、少し面倒なところにある。
食後に出す予定のココアに砂糖とミルクを入れて温めると、香ばしい甘い匂いが漂ってくる。
(こっちにはチョコレートってあるんだろうか。紅茶はあるからコーヒーはあるかもしれないな。貴族の食事情……どころか一般家庭の食事情もわからないのはけっこう不便なもんだ)
一応カカオは存在している。あの世界でチョコレートを味わってからというもの、たまに無性に食べたくなって割と必死に探したものだ。ちなみに米もある。だがあの世界のものほど美味しくはない。品種改良という 人の努力の偉大さを思い知らされたものの一つだ。
(時間系の魔法を付与して錬金釜を作れば品種改良もなんとか…… アスレイヤは米とパンならどっちが気に入るかな)
おいしい米を入手出来れば食の幅も広がる。味噌や醤油なんかの調味料類は一度作ったきりだ。こんなことになるんだったらもう少し食に情熱を注いでおくんだったと、シルガは少しだけ悔やんだ。
*******
シルガは基本的に異世界の料理しか作れないので、アスレイヤ達には馴染みのないものばかりだ。食べ物として受け付けられないものがあるかもしれない。そんな心配をよそに次々と料理が消えていく。こうきれいになくなると作った甲斐もあるというものだ。
「ご馳走様、……今日も、おいしかった」
「うん……? どうしたんだ、改まって」
「べつに! 美味いから美味いと言っただけだ。俺は ちゃんと、いつも美味しいと思ってるからな!貴様こそ もう少し何かないのか」
「たしかにそろそろメニューに変わり映えがなくなってきた頃だな」
「そうじゃない、魔術師殿。アスレイヤは」
「おい、余計なことを言うな」
朝に相応しい新メニューを考えるべきだろうか。
「俺もご馳走様。毎回美味くて感動してるんだ。ありがとな」
「わしも。おいしい食事をいつもありがとう」
「そうか、それなら良かった」
なんだこれ…… 謎の労いラッシュだ。
困惑して視線を彷徨わせていると、ふと合ってしまったジスの目が親しみを持って微笑んでいるのに気付いて更に困惑した。店主もだ。いたたまれなくなってきたので、シルガはここから離れる口実を探した。
「そうだ、アスレイヤ。デザートの後に甘い飲み物だが、ココア飲むか?」
「ココア?」
シルガはお茶と温めたココア両方と人数分のカップを運んで置いた。アスレイヤにココアを注いで渡すと素直に受け取ってくれた。
「! 何だこれは……すごくおいしい」
一口飲んだ途端にアスレイヤの目がキラキラ輝いた。こういうところが微笑ましいのだ。
「チョコレートを作った時に出来る副産物だな」
「ちょこれーと……とは何だ?」
……何だろう。
「黒っぽいこげ茶色をした……スパイスみたいな…… なんか種を発酵させて砕いて焙煎して色々取り除いたり混ぜたり練ったりして作る手間のかかる菓子だ。砂糖やミルク、ココアバターを入れて固形にしたものが一般的なチョコレート。刺激物だから動物に与えると毒になることもある。食べすぎると鼻血が出るという都市伝説を持つ」
だんだんチョコレートが何者かわからなくなってきたが、この世界にはないようだ。もしくはティウォルトでは知られてないか。シルガの微妙な説明に ジスが怪訝な顔でつっこんだ。
「それは本当に菓子なんだろうな」
「うんまあ。古くは精力剤……媚薬とされてた歴史がある。薬としても使われていたけど時を経て変遷し誕生した洗練された菓子だよ。興奮作用があるらしい」
「……」
何故かみんな黙り込んでしまった。
「ゴホン……まあいい。午後は毒壺に行くからな」
「アスレイヤ、疲れてないか? 午後の活動は休みにしてもいいよ」
「疲れてない。一昨日も午後は休んだばかりだ」
「そんなに焦ることないのに。何かあるのか?」
「べつに、ただ……レイブラッサムが」
レイブラッサム。なるほどそういえばそうだ。
「もう花が散って実がつき始める頃さね」
「レイブラッサムは自衛のために攻撃してくるけど、十分対応できると思うぜ」
「場所がな……この辺だと毒耐性が割と必要なとこにあるんだ。周囲の獣も毒持ちだし」
生温い視線をひしひしと感じる。過保護だろうか。過保護な気もする。
「よし、じゃ……午後はレイブラッサムを見に行こう。毒耐性が続くようなら採取も片付けてしまおうか」
「絶対だぞ。貴様は午前中を好きに過ごして暇を潰しておくがいい!」
「素直にゆっくりしてろって、言えよ」
「うるさい」
なんだか仲が良さげだ。これはきっとあれだ、戦うことで友情を深めるやつ。戦闘狂のような物騒な人達にありがちなやつだ。
(俺もアスレイヤと戦うか?戦えばいいのか?)
言葉こそそっけないが、二人の間には兄と弟みたいな親しさがある。
(うん、俺も…… そのうち戦おう)
シルガは湧き上がるもやもやしたものを払拭すべく、そのうち戦うことを決意した。
空いた時間が増えたので、シルガは色々と作っていた。一昨日はジャム、昨日はクッキー……を作りながら、魔道具の構想を練っていた。アスレイヤの魔力制御の訓練において重要な魔道具である。
ルーンシェッド大森林の家に一度戻って物色したが良さげなものは得られなかった。無いなら新たにつくればいいのだ。ということで、白紙の本を持ち出してきた。もちろんただの本だが、結構な出費だったのを覚えている。庶民にとって紙はまだ貴重なものだ。
魔力制御なんていうと難しそうだが、人は意外と自然にそれと似たようなことをしているものだ。たとえば絵。今にも動き出しそうな躍動感あふれる絵、上手いとは言い難いが愛嬌のある絵。巧拙様々だが、愛着や情……いわゆる魂込めて描かれたものはなんとなく心を惹くものがある。
魔力を練って思うとおりに形を持たせる。それは職人が物を創り出すのとそう変わらない。もっと言えば、訓練されたジスみたいな騎士が思い通りに身体を動かすのと同じことだ。魔力とよばれる自分の生命力を、なんとなく自然と操るのではなく、ほぼ完全に自分の支配下に置く。その訓練である。
(まずはセキュリティー設定から)
この本はアスレイヤ以外の者の魔力には反応しない。魔法展開式に気付かれて勝手に解析されたり取り上げられたりしないように出来るだけシンプルな図形の集合体で展開式を構築する。ぱっと見、図形と絵が描かれたただの本になる予定だ。
(この本は、使い魔シリーズにしよう)
使い魔は全部で31種。虫や小動物から少し手強い獣までの幅を持たせた初級編だが、1体だけ強力なのを捻じ込んでおくことでモチベーションを上げさせる。使い方は簡単で、描かれている図形通りに魔力を流すだけ。うまくいけば自分の魔力を獣の形に実体化することが出来る。アスレイヤの制御の出来栄えによって魔力形成された獣の活動範囲が広がるように設定する。
大きく分けて、第一段階は平面で動く。第二段階は命令できる。第三段階は本の上に実体化して現れ動く。第四段階はアスレイヤの周辺を動くことができる。第五段階は実体化した獣の能力値がより本物と近くなる。
(完璧だ!これなら楽しく訓練できるぞ)
少なくとも今のように、シルガから一方的に魔力を奪われるよりは断然いいだろう。方針が決まってしまえば、あとは細かい設定を書き出して組み込んでいくだけだ。魔道具作りの作業に没頭するのは やはり楽しい。
物を作って、それだけ。それだけで十分に楽しめていたし、それがシルガの今までで、これからも続くはずだったものだ。けれど今は何か違う。作った先……そう、先があるのだ。
ずしり……と、重たげな音をたてて胸のあたりが軋む。
(まただ。何だ、これは)
奇妙な感覚だ。魂を取り出されるかのようだ。流れ落ちる水が石の形を浮き出すように滑る、シルガの脳裏にそんな場面が過った。
曖昧にしておきたい。なにもかもぼやけた世界でいてほしかったのだが。
シルガは自分のそんな願望なんて知りたくはなかった。
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