第9話

 ルルカ砦は現在、ここ数十年でまれに見るくらいには殺伐としていた。


「ジス・ガルファフス!出ろ」


 魔術師の家を発ったあと、ルクスとエルメを無事に砦に連れ帰るなりジスは身柄を拘束された。そのまま砦の独居房に押し込まれ、同じような尋問を繰り返し受けたのち謹慎処分となったわけだが、特に理由も聞かされず理不尽なことこの上ない。

 階段を上がって外に出ると陽の光がまぶしい。離れたところにいたアトラトが気付いて駆け寄り、ジスに紙を渡した。


「休暇……3週間……長っ。 何だこれ」


「休暇申請が受理されました、と」


 いやだから何でだ。

 ジスには出した覚えのない休暇申請だ。


「デュランは?」


「休暇」


「フランジは」


「休暇」


「リッタとシーグル」


「休暇」


「……どうなってんだ」


「竜騎士長がさ、これくらいしかしてやれなくてスマンな、って」


「で、お前は」


「留守番……。そっちに情報流さないといけないし」


「禿げそうだな」


「何てこと言うんだこの野郎」


 二人は並んで歩きながら近況を話した。


「今回わかって良かったのは、カレリスとエルメがつがいになってたことだな」


「えっ、あいついつの間に」


「エルメ置いて来なくてホント良かったなお前……」


「道理で……。野郎ムッツリか」


 乗り手と似るらしい、とうっかり言いそうになったのを飲み下してアトラトは話を変えた。


「お前が連れ帰ったルクスもエルメも無傷だし魔瘴汚染もそこまでないし……上層部と貴族連中は、噴出孔の群れとか魔化した巨大竜とかアホかって空気になってる。肝心のルクスがあれだしな。それで今は……お前の勝手な行動で竜と竜騎士を危険にさらしたとか責められてるところだ」


「面倒くせぇな」


「俺は当事者じゃないし、詳しくわからないから報告してないが、お前が精霊を見たってことも言えるような雰囲気じゃなくなってる」


「ああ、あれな。たしかに精霊だった。後で不利になるから竜騎士長には報告しとく」


「俺達ですら魔瘴汚染が結構ひどかったんだ。ジス達が無傷で帰還できたことが奇跡的だってことはわかるよ。……あの後何があったんだ?」


「あの後……」


 魔術師との約束がある。だがアトラトには話すべきだろうか。

 ジスは少しの間 逡巡して口を開いた。


「…………飯が美味かった」


「はぁ――……」


 盛大なため息を隠す気も失せ、アトラトはすっかり呆れかえりつつも親切な苦言を寄越した。


「それ、日記よりひどい伝説の報告書を更新するからやめとけよ」


「あれはわざとやったんだ」


「わざとじゃない方が上回って酷いじゃねーか」


 わざわざ時間を作って来たのだが、答えるつもりのなさそうなジスにそれ以上聞くのを諦めて仕事に戻るべく別れた。少し歩いたところでアトラトは まだ言ってなかった言葉に思い至った。


「あ、そうだ。……ジス!」


 声を張って呼び止めるとジスがゆっくり振り返る。


「無事で良かった。お前の悪運の強さは頼もしいな」


 ジスは友人の言葉に軽く片手を挙げて応えた。口の端を片方だけ上げて笑う様は、見慣れたアトラトにはめちゃくちゃ悪い顔をしていることがわかるが、顔の良さがその全てを打ち消していることに感心する。これには毎回感心しているのでもはや何も言うまい。

 思い返してみると、帰還してすぐ理不尽な目に合ったというのにジスにしては大人しかった。いつもなら不機嫌だけで周囲が震え上がるくらい威圧していただろうに機嫌も悪くなかったのは何故だ。


(飯が美味かったというのは案外……言える範囲の事実なのか?)


 あの後 何者かが食事を振舞ってくれたということなら、その何者かはルーンシェッド大森林に、それも夜に、居たということになる。高濃度魔瘴地帯のど真ん中に住んでいる可能性もある。それはそれで大問題だ。しかし、いくら疲れていたとしてもあのジスが、怪我人と魔化寸前の竜がいるのに よくわからない不審人物の出した食事を素直に食べるだろうか。加えてあのご機嫌さ。その何者かはもしかすると……


(……美人、だったりして)


 アトラトはそっと目を閉じて何も聞かなかったことにした。




 騎士と竜騎士では、竜騎士の方が序列が上だ。というのも竜騎士は、ノランデーヴァ国王家と人ならざる古の霊獣との契約が未だ有効であり、竜を使役するという強力な特権を他国に知らしめることができる存在であるからだ。ノランデーヴァで騎士を目指すものは皆、最終的に竜騎士になることを目指していると言っても過言ではない。

 竜騎士の資格を得るためにはまず既定以上の魔力を保持しその扱いに長けていなければならない――つまり、騎士だけでなく魔術士として士官しても遜色ないことが最低条件である。その上で推薦を受け、各騎士団長と議会、そして王家の承認を受け竜騎士に叙任される。しかし最終的には竜に受け入れられなければ形だけの竜騎士になり、その状態が長く続けば騎士に戻されてしまう。


 日々鍛錬に励むノランデーヴァ国の騎士の、ほんの一握りだけが掴むことが出来る竜騎士の位階。そんな中で、やたらと竜に好かれる男……それがジス・ガルファフスだった。


 ジス以外の第二捜索隊が帰還し報告を受けた竜騎士長は、ルクスの身柄を確保しているジスが帰還途中で力尽きることを考慮し、通常業務で巡回する範囲だけでもと竜騎士を見回りに出すことにしたのだが、魔瘴濃度が高すぎてそれも断念せざるを得なかった。結局、ジス達の帰還を待つほかなかったのだ。

 どこから聞きつけたのか瞬く間に噂話が砦を駆け巡った。話好きの騎士達のおかげで情報伝達速度は高い。が、正しい情報かどうかは、この場合あまり重要ではない。

 ルーンシェッド大森林に現れた巨大な竜が魔化を起こして暴れまわるのをジスが倒してルクスを救出した。死の際に竜が放出した瘴気に巻かれてそのまま行方がわからなくなっている……きっと帰還は絶望的だし、たとえ戻ってきたとしても命はないだろう。ジスもここまでか――……といった感じで、積み重なった嫉妬に呼ばれた仄昏い喜びと 心からの哀悼を以て話されていたのだが、朝日を背に、ルクスを担いで普段通り戻ったジスに、砦の騎士達は戦慄した。が、それと同じく凄まじい興奮にルルカ砦は沸いたのだった。


 ジスはルルカ砦のほとんど全ての騎士達の英雄的存在となった。

 現金なもので、散々好き放題言っておきながら、自分たちの畏怖と憧れの対象であり誇らしい存在である人物となったジスを不当に扱う上層部と特権階級への不満が ルルカ砦の空気を殺伐としたものにしているのである。




*********




 ジスは周囲から向けられるうっとうしい視線に辟易しつつ宿舎へ向かった。報告ついでに文句を言おうと思っていたが、竜騎士長の草臥れ感に気を削がれて苦情は半分ほどに留まった。ジスが精霊について報告すると、竜騎士長は頭を抱えてしばらくの間あーだとかうーだとか唸ったのち、わかった、とだけ絞り出した。

 デュラン達は帰還後1日を待機日として魔瘴汚染の様子を見たのちそのまま2週間の休暇に入ったということなので、ジスが独房にいたのが10日だから……もうすぐ戻ってくるだろう。


 アトラトは何も言わなかったが 待機日明けにジスの処遇を巡ってデュラン達が抗議しまくった挙句、竜騎章を返上しようとしたり叙任時の剣を叩き折ったりなんか色々騒動があったらしい。アトラトとジスがここにいる以上はそこまで不穏なことはしないだろうから、休暇をとらせて一旦まとめて黙らせておこうということだ。そういう経緯でジスも長期休暇の恩恵に与ったのかもしれないが本人にしてみれば考えるだけで暇でしかない。一人だけ貧乏くじを引かされたアトラトに譲ってやりたいくらいだった。


(今まで休暇みたいなもんだったのに3週間も何しとけってんだ。結局のとこ、ひと月の謹慎処分じゃねーか)


 まあ名目が休暇なぶん竜騎士長が頑張ってくれたんだろう。

 ジスは最低限の荷物をまとめ、寝台に仰向けに寝転んで休暇をどう過ごすかぼんやりと考えた。ふと古代竜の濁った眼を思い出す。死ぬ間際にきらりと輝きを取り戻した、物言いたげに揺れたあの大きな眼。


(――魔術師の目と似てた)


 どのへんが……と問われると説明に困るが、そうだ似ていた。

 魔術師が羽織っていたあの特殊なローブは 人物の特徴を認識しにくくしたうえに、顔全体に黒く影を落として相貌を塗り潰すという徹底ぶりの優れものだが、唯一、目だけが認識できた。


 独房の中で思い出されたのは、あの不思議な魔術師のことだった。容貌が目以外わからないので、声と所作からしか魔術師について得られる情報源は他にない。もう少し会話をすればよかったのだがそれどころではなかったのが惜しまれる。独房で一人、考える程に不審な点が湧いてきた。

 まず、エルメのことだ。魔術師の家を出ると、魔化寸前で飛ぶのも危うい状態から一転して健康そのものになっていた。ルクスもそうだ。ひどい瘴気汚染で朝まで持たないどころか今現在も元気に活動しているようで実に結構なことである。魔術師曰く”所有者なしの空き地”に建てられたこぢんまりした家の周辺から魔瘴がきれいに消え去っているのも謎だ。


(魔瘴汚染が軽くなっていたことと魔術師は何か関係がある)


 巨大な竜について尋ねれば古代竜だとさらりと答えがあった。ということは魔術師は、ノランデーヴァもエルドランもティウォルトも関係なくルーンシェッド大森林を、おそらく単独で探索しているに違いない。気配を消すのが上手いのも納得だ。家中に無造作に転がっていた高価な素材、”回復効果”とだけ分類された治癒薬――のようなもの、それに加えて武器や魔道具が散乱していたが散らかっているというわけでもないことから、きちんとしてはいるが割と雑な性格をしていることが窺える。


(それに、飯が美味かった)


 食事の美味しさに気をとられて警戒が緩んだのは不覚だ。デザートも用意されているとは罠もいいとこだ。見たことのない料理はどれもすばらしくおいしかった。そう心から言ったのだが、件の魔術師には心底どうでもよさげに流されてしまった。


 だが、ジスの心をざわつかせるのは魔術師の目だ。

 魔術師の薄いグレーの瞳はどこか色褪せたような印象で、魔化して正気を失った古代竜の虚ろな目と重なった。ジスが腕を掴んだ瞬間、双眸にさっと色が乗った。文字通り、キラリと色が変化したのだ。

 そんなことを考えていると あることを思い出した。


(古代竜が遺した結晶でも探してみるか)


 暇だし。

 ルーンシェッド大森林を探索しておけば身体もなまらない。暇つぶしには良さげだ。


「足が要る……」


 軍属の竜を勝手に乗り回すのは言語道断である。しかしジスはやたらと竜に好かれる男なのだ。


(野生の竜をどっかで拾って行けばいいな)


 ほとんど帰ることのないジスの邸の裏山なら、竜の掴み取りよろしくいくらでも拾えてしまうだろう。普通に危険区域だけど。


 ついでに邸のじいさまがくたばってないか見に行くことをジスは休暇の予定に入れた。


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