第10話

 冒険者活動を始めてから8日、続けて採取依頼をこなしていたので、本日はゆっくり過ごすことになった。少し遅めの朝食後、シルガは二人分のお茶を注いでアスレイヤの向かいの席に着くと、今までの出納帳と残金を出して見せた。といっても採取に必要な道具とかいろいろ、シルガの手持ちから結構な数を出しているので、ちょろ甘な帳簿だ。


「というわけで、資金繰りを君に任せようと思う」


「どういうわけだ」


「採取に慣れてきただろ。だから君は雇用主の最重要事項であるカネの管理をどうにかすべきだ。宿の手配にしてもそうだが、君の感覚……特に金銭感覚は庶民とは桁がひとつふたつ違う。ソロで活動するにしても必要なことだよ」


 アスレイヤはジャラジャラとやかましく音をたてる硬貨をいくつかつまんでしげしげと眺めた。


「……細かいカネだな」


「見慣れないだろうけど、主に使われているのはこれだ。普段の買い物はどうしてるんだ?」


「御用聞きに必要なものを持ってこさせる。俺が自由に使える金貨も用意されてる。個人的に欲しいものがあれば適当にそこから渡せば従者が持ってくるし、日常に必要な品は勝手に補充されるから気にしたことはないな。支払いはどうしてるのか知らないが、邸の会計からまとめて出てるはずだ」


 金貨ときたか。

 ティウォルト国内の流通貨幣はいちおう定位貨幣のルトだ。特殊で精緻な魔術式の組み込まれたルト貨幣は庶民にとって最も身近な魔道具ともいえる。もちろん銀貨や銅貨などの本位貨幣も使えるが持ち歩くにはだいぶ重量がある。まとまった決済や高額の取引はだいたい金貨でされる。辺鄙な場所なら本位貨幣が喜ばれるとはいえ、ルト貨幣は普段の買い物に便利なのだ。


「貴族だなぁ。けど将来は領地運営するんだろ。君がお金のことを把握できるようになれば、明細に記載された支出金や商人との取引値が適切なのか判断する助けになるよ」


 アスレイヤはルト硬貨を掌に載せて珍しそうに見ながら無言で首肯した。



************



 それで今、二人は白狸亭に併設してある道具屋にいる。カウンターでは店主が暇そうに新聞を読んでいた。この道具屋は店主のこだわりもあってなかなか良心的だ。シルガはルト貨幣についてざっと説明したのち、アスレイヤと品物の値段を軽く見て回った。


「毒や胞子を採取するための道具は値が張るものが多い。ひと通り採取したから何が必要かだいたい把握できてるかな」


「もちろんだ。俺だって買い物くらい一人で出来るぞ」


「君が慣れるまで俺が予算を決めるから、復習がてら必要なものを購入してくれ。依頼内容と報酬を考えて、できるだけ経費を抑えたいとこだな」


 自信に満ちた顔をしているアスレイヤを横目に、シルガはわざと やりくりできないこともないギリギリの予算を組んだことに胸が痛んだ。明日受ける予定の依頼の束と金を渡すと予想通りの反応が返ってきた。


「明日の予算がこれ……だけ、だと!?」


 薬草採取の報酬が1件で20~40ルト、毒草や胞子なら50~100ルト程度だ。大雑把に宿代が2人分で1日100ルト、食費は30~40ルト、洗濯代やお湯代など細々とした出費が10~20ルト……で、採取に必要な経費は1件あたり だいたい15~30ルト、報酬の3割未満に抑えたい。アスレイヤがもう少し慣れるまでは無理だろう。これらの出費はシルガ一人なら実はゼロに出来てしまうが、それは主旨に反する。


(しばらくは零細企業の社長の気持ちを味わってもらおう)


 同じ用途に使う物でも組み込まれた魔術式や使われている素材で使いやすさや値段が違う。限りある予算の中で適切なものを選ぶのは意外と難しいものだ。最も投資すべきところと切り捨てるところを判断しなければならない。


「採取瓶だが……これはどうだ。3本で1ルト、随分と安いぞ」


「安物買いの銭失いという言葉、ご存じ」


 たまに店主が口を挟んでくる。

 ここ数日アスレイヤに慣れさせるために使わせた採取瓶は、初心者でも使いやすく安全に採取できる1本5ルトの高級品だ。しかし依頼一件につき最低10本は必要だ。


「だったら何故売ってるんだ?」


「熟練者にはそれで足りるさね。そこの魔術師みたいな」


「俺が使う分はそれでいいよ。そうだアスレイヤ、君の手持ちがなければ治癒薬も買っておこう。明日からちょっとした獣も狩る予定なんだ」


「ようやく討伐依頼を受けるんだな!」


「いや、素材集め。でも討伐もそろそろ受けるよ」


「治癒薬ねぇ……。必要なのかね、魔術師殿」


「ソロ活動を前提に考えてる。アスレイヤは好戦的な狂戦士だから後衛の魔術師とか集めるのちょっと難しいと思う」


「俺が いつ 狂戦士になったんだ」


「坊やの独り立ちを手伝っているんなら、魔術師殿の収納鞄だとか色々、ふつうは手に入らないんじゃないかね」


 店主はちらりとアスレイヤの剣に視線を向けた。


「そうかもしれない」


 店主がアスレイヤの剣を手に取って見たそうにしているのを知らん顔で流した。この店主は何かと目ざとい。


 シルガの持ち物――主に魔道具は無免許の自作品なので市場に卸すことは出来ないが、高性能な品ばかりである。

 無免許の自作品を売買することはどの国でも法律で禁止されている。正式な国家資格を取らなければ商品としての魔道具を作ってはならない。たとえば、地方独自に古くから伝えられた薬だとか家庭の医学だとかそういう類のものは、国家資格を持つ鑑定士によって薬効をきちんと確認されれば、正式な調合資格を持たない製作者でも卸すことが出来る。鑑定士が効果を確認できる薬品類とは異なり、魔道具は組み込まれた魔術式を解析するのが難しいのだ。


「でもま、俺が作ったやつだし……貴族ならもっと良いの買える」


「わしは見たことないがね、もっと良いの」


 もともと収納鞄はシルガの魔力節約のために作ったものだ。空間魔法で倉庫を作ることもできるが、慢性的な魔力枯渇状態にあった当時は出来る限り魔力を削りたくなかった。長いこと改良を重ねた結果、魔法で作る異空間倉庫とまではいかないがまあまあの出来栄えになった。ちなみに今は魔力枯渇状態ではない。常に身体を巡っている保有魔力はわりと多いし生きるのに必要な量は確保できている。しかし、身体が欲している魔力量が更に多いので不足している状態なのだ。同じ量の水でも 入れる容器の大きさで少なく見えるあれだ。


「おい、選んだぞ。確認しろ」


 シルガは明日こなす予定の依頼書と商品を入れた籠をアスレイヤから受け取って不足がないか確認した。一番安い治癒薬一つと保存袋やスポイト、初心者用の採取瓶数本と、徐々に慣れていく予定なのか微妙にランクを下げながら必要なだけ選んでいる。失敗した時の予備までは予算がなかったか。


「うん、上出来だ」


 アスレイヤはシルガの言葉に満足げに頷くと籠を店主に持って行った。なんだかんだで楽しく買い物をしているようで良かった。何事も楽しめるのは才能の一つだ。

 シルガは会計を済ませた荷物を受け取り収納鞄へ入れ、午後の予定をどうするか考えた。せっかくの休日だからアスレイヤは一人で過ごしたいかもしれない。


「今日は休みだし、昼飯は君だけどこかに食べに行くか?」


「……べつに。貴様が作ればいい。要らん出費は抑える方がいいんだろ」


「食事は今まで俺の自炊で結構辛抱させてたからな。そろそろ外食とか、華やかな店が恋しくなる頃じゃないか」


 この宿にも初めは散々文句を言っていた。今はぶつくさ言うことが少なくなったが、貴族の暮らしが普通だったわけだから不便に感じていることに変わりないだろう。食事だってきっと色々と我慢しているはずだ。


「ふん!俺はカラアゲが食べたいんだ!あんなに油を使う料理のどのへんが辛抱だ、貴様は贅沢だぞ!」


 アスレイヤに贅沢とか言われた……


「わしもカラアゲ食べたい」


「厨房の持ち主も ああ言ってるぞ」


「君がストレスに感じてないなら別にいいんだ。じゃあいつも通りで。店主、今日も厨房を借りていいか?」


「お好きに」


 今まで食費は削らず、足りない食材――主に食用油や調味料なんかはこっそり召喚して使っていた。これらの食材はルーンシェッド大森林で採取したものから自作したので、かかるのはシルガの手間くらいだ。昔、散々ひもじい思いをした身としては成長期の少年の食事をケチるのはなんか嫌だったのだ。


(今はアスレイヤもいることだし食事に凝ってみるか)


 異世界の自分ほどまでいかずとも色々作ってみよう。なんだったらアイスクリーム製造機を作ってもいい。この年頃の貴族の少年なら甘味が恋しいだろう。

 シルガは暇な午後にアイスクリーム製造機とパイ生地を作ることにした。パイ生地なら甘味にもメイン料理にも使えるし高価な材料はバターだけだ。バターも自作出来るから、ミルクを買うかルーンシェッド大森林にちょっと行って採ってくるか、選択肢がある。


(菓子を作るなら砂糖がたくさん要るな)


 とりあえず家にあるのを召喚して、無くなったら暇をみてこっそり大森林へ採りに行く。足りないものは自作すれば金もかからない。こんなことだからちょろ甘な帳簿になっているのだが。




 アスレイヤのリクエストに応えて昼は唐揚げにした。厨房の一部を店主に借りているので店主の分も作っている。シルガはこれからの料理を考えて、厨房を使いやすいように改造したり魔道具を置いていいか尋ねた。


「わしがカネを払って頼んだわけじゃないから、問題ないさね」


 ということなので、さっそく着手だ。店主は肘掛椅子にゆったり座って見物することにしたようだ。

 まずオーブンだが、これは今ある物に魔術式を組み込んでとりあえず良しとする。ついでに魔法で磨き上げれば新品みたいにピカピカだ。手入れに時間を取りたくないので自動洗浄機能も付けておいた。地下の保存室に水系統の魔術式を刻めば冷蔵室と冷凍室の出来上がりだ。竈は薪で焚くのを残しておいて、魔力で火を起こすものを追加し、パン窯にも魔術式を組み込んだ。温度調節機能が加わったので使いやすくなった。全体的に汚れているので厨房丸ごと魔法で清掃し始めたとこで、


「今日は店休にしようかね」


 という店主のつぶやきに、シルガは白狸亭の酒場を閉めざるを得なくなったことに気付いたのだった。


(発酵器とかホームベーカリーがあれば時短できるな。いちいち地下に行くのもだるい。冷蔵庫作ろう)


 そのうちフライパンや鍋も使いやすく改造する。色々と脱線したがパイ生地とアイスクリーム製造機を作るのが当初の予定だったことを思い出したシルガはそっちを優先することにした。ちまちました作業を始めると、離れて様子を見ていたアスレイヤが傍に寄ってシルガの手元をじっと見つめた。


「貴様は、簡単に魔道具を作るんだな」


「そうかな、結構神経使って作ってるよ」


「魔法もだ。息を吸うように魔法を使う」


「そうだな」


 息を吸うように魔法を使えるようにならなければ息を吸えなくなっていただろう。魔法の才能があったから、つまり、たまたま生き延びている。


「…………そのローブ…… 何故ずっと、一度も顔を見せないんだ」


「うん……?どうしたんだ急に。俺に興味持ってくれたのか?」


「……そうだ」


 アスレイヤが素直だ。これはこれで困った。どうしたものか……


「顔も名前もわからない俺を雇うと決めたのは君だ」


「名乗るつもりもなければ顔を見せるつもりもないということか」


 硬い声色にシルガが顔をあげると、真剣な表情のアスレイヤと目が合った。いつもの冷たく刺すようなまなざしではない、どこか縋るような頼りなげな子供らしい真剣さにシルガは面食らって言葉に詰まった。


「……今は、君の冬期休暇限定の臣下、ピホポグラッチウォーリア2世。それじゃだめかな」


 ようやく絞り出した声は掠れていた。思いのほか動揺していたらしいシルガに気付かずアスレイヤは視線を落としてポツリと言った。


「ふざけた名前を言えば貴様が名乗ると思ったんだ」


「うん」


「もっと考えて名前をつけたのに!」


「俺は気に入ってるよ。ピホポグラッチウォーリア2世」


「1世はいない」


 ふふ、と小さく笑いがこぼれた。


「このローブはなんというか俺の問題なんだ。君を嫌いだとか信用してないってことじゃない。俺にとって他人に姿を見せることは少し……いや、結構 かなり……勇気がいる」


「俺は見た目をバカにしたりしない」


「それでもなんかほら、今までがな…… 端的に言って、怖いんだ」


「…………そう、か。わかった」


 アスレイヤはそれきり、黙って作業を見るだけになった。興味ありげに熱心に見ているのでふと気づいた。そういえば魔法に関することはよく話を聞いてたな。


「ひょっとして、君は魔法をもっと使えるようになりたいのか?」


「……俺は、魔力量が少ない。使える魔法がほとんどない」


「え……学院の先生は君の魔法に関することで何か言わなかったのか?」


「何も。あまり興味なさそうだったから、向いてないんだろう。だから物理でいくことにしたんだ」


 それで狂戦士を目指すことにしたのか……


「物理でいくにしても身体強化なんかの魔法は必須だ。君みたいな戦い方なら尚更……じゃ、今日の夜から君の魔力も伸ばせるように訓練しよう」


「伸ばせるのか?」


「ああ、伸びしろがある。それと魔力制御を練習すれば省エネで魔法が使えるようになるから頑張ってみよう」


「しょう……?」


「ただし、すごく疲れるけどな」


「そんなの全然問題ない」


「よし、それはとても楽しみだ!」


「なんで貴様が嬉しそうなんだ」


 アスレイヤの魔力量を伸ばすのと魔力制御の練習を同時にこなすことができる効率の良い方法がある。それはシルガにとっても利のある、まさに相互扶助のすばらしい方法だ。


(疲れるのはアスレイヤだけだけど育ち盛りだから問題ない。食事をしっかりとって良く眠れば大丈夫)


 明日から食後のデザートも用意しよう。


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