第5話
あの一件以来、特に変わったこともなく日々が恙なく過ぎていた。
(そろそろ納品しないとな)
シルガは棚に並んだ怪しげな色の薬品を見て思い出した。
回復薬や魔道具その他素材などは個人が勝手に売買してはならない。国が認定した機関で鑑定を済ませてから――その際には鑑定手数料という名の税金がかかる――の売買でなければ闇商品の取引にあたり、見つかれば罰金または禁錮刑に処される。鑑定の際に各種免許を提示すると、その免許が持つランクが商品に付与され より高値で取引することが出来る。信用への対価というやつだ。もちろんシルガは免許はおろか身分証すら持っていない。つまり取引価格は最低ランクであるのだが、材料はタダみたいなものだし手間も趣味である魔道具製作の延長にあるので取引に不満はなかった。何より顔と名前を聞かれることなく身分証を要求されずに現金収入が得られることはちょっと切実に有難いのだ。
『冒険者ギルド エークハルク支部』
シルガのお気に入りの認定機関はここだ。なんといってもユルい。近くにはエークハルク城砦があり、ティウォルト国 王立辺境警備騎士団が駐屯しているのにこのユルさ。というのもそこがベルメロワ辺境伯領だからだ。
長く領主を務めるクアトラード家はその武勇と忠誠を以てティウォルト王家に仕えてきた。しかし、よく訓練された私兵、長い歴史を持つゆえに培われた領主と領民の信頼関係、領地の豊かさ、戦となれば固く結束し命を惜しまず戦い抜く領民の性質、クアトラード家に代々受け継がれた勇猛さ……頼もしい辺境伯ではあるが煩わしくもある。
ティウォルト王家にとって幸いなことに ベルメロワ辺境伯領を治めるクアトラード家は、西に接するルーンシェッド大森林の魔瘴対策と、北に位置するシエカート公爵領への警戒、この二つに奔走しなければならない。任せきりにしたいところだが、魔瘴地帯は国の手を入れねばならないのでとりあえずエークハルクに城砦を置いた。そういう事情から、実際仕事に追われているのはクアトラード家がケヘランに構えたケヘラン要塞の私兵ばかりで、エークハルク城砦に駐屯している騎士団はかなりお役所仕事なのである。そしてその管轄にある準国家機関、冒険者ギルド エークハルク支部 は、その体質をきちんと継承していた。
*****
「あーはい、治癒薬、その他。えーと…… 大丈夫ぽいですね~。可、と」
「手数料のご精算はあちらでお願いします。次の方どうぞー」
朝早くから並んだというのに今回の待ち時間はかなり長かった。普段よりも賑わっているギルドを少し不思議に思いながら シルガは渡された木札を持って精算カウンターへ進んだ。ここから更に待つことになるわけだ。シルガは待ち時間にギルドの様子をなんとなく観察して暇をつぶしていた。にぎやかな冒険者達の話し声はどこか遠い世界の出来事のように思えるのだ。
(依頼状が多いな)
ギルドの賑わいの割には掲示されている依頼状がたくさん残っている。普段なら初級から中級クラスの依頼はすぐになくなってしまうのだが。
「あーあーこりゃだめだ。しばらくは迷宮に取られちまうな」
「薬草採取の依頼なんか請け手が全然いねえ。治癒薬の需要は爆上がりだろうに……ストックどのくらいあったかな」
「そっちはまだいいよ。害獣が野放しになっちまうとうちみたいな農場はやられっぱなしだ。騎士様が討伐してくれるわけもねぇし困ったもんだ」
「領主様に陳情書を出すしかねえかなぁ」
話し声が大きいので聞こえてしまうのは仕方ない。
(へぇ…… 薬草採取と害獣討伐か。流しで連れて行ってくれるなら行くんだけどな)
冒険者ギルドで依頼を受けるには身分登録が必須だ。ただし、冒険者が個人で雇用する傭兵に関しては身分登録を必要としない。しかし、傭兵ギルドに所属している者であれば依頼料も高額になり、冒険者に雇われるよりも実入りの良い仕事がいくらでもあるわけで、結果的に身元の不確かな質の良くない者を雇うことになるのだ。彼らは『流し』と呼ばれている。
この『流し』達はギルドの依頼を受けた冒険者に雇われて小金を稼ぐ者もいれば、好き勝手に危険地帯や魔瘴地帯へ入り狩と採集を行う者もいる。国が魔瘴地帯への立ち入りを禁じていても魔瘴地帯全体を封鎖することはできないため 必ず抜け道があるのだ。後者の『流し』に関しては、途中で命を落としても気付かれることはほぼないうえに、彼らの取引に応じると物によっては闇商品の取引にあたる。
(そう考えると俺の薬品ってあれだな……闇商品にあたるのでは?)
材料となる薬草その他、すべて
(……材料を売買したわけじゃないからセーフ)
治癒薬の需要が上がって不足がちなら普段より少し高く買い取ってもらえるかもしれないな、と シルガはぼんやりと期待した。
「なんで俺が最低ランクの薬草採取で、あいつは討伐依頼なんだ!」
怒鳴り散らす少し高めの少年の声が、離れた位置にいるシルガにもはっきり聞こえた。見たとこ14~15歳の少年達が騒ぎを起こしているようだ。どの子もどことなく品の良い身なりをしている。
「そう言われましても、いえ……学院の生徒様は、御成績を確認してからふさわしい依頼を紹介するようにと承っておりますのではい、その……」
(学院の子達か。薬草採集、楽しいのに……)
幼い頃から戦いに備えて鍛錬することはベルメロワ領の貴族の子弟に課された義務である。冒険者ギルドには14歳から登録することが出来るので、学院の冬期休暇中にギルドで依頼を受けて実戦での経験を積むつもりなのだろう。
「ああ!?無礼な奴だ。この方があんな奴に劣ってるって言いたいのか?」
「俺達が誰なのかよくわかって言ってるんだろうな」
「滅相もございません、はいあの、決してそういうことでは……」
「そういうことでないんなら、俺達もこの、討伐依頼を請けるのにふさわしい実力があるってことだな」
「今ならいくらでも依頼状があるって聞いたからわざわざ来てやったんだぞ、ひれ伏して感謝しろよ」
そう言って少年達は討伐の依頼状を奪い取って去っていった。
「また…… …… エインダール様も…… …… 」
「…主様…ご子息に…… ……」
しんと静まり返っていたギルドに徐々に賑わいが戻り始めた。声を潜めて囁かれる噂話を聞き流しつつ、シルガは周りの大人達が彼らを止めなかった理由を察した。あの少年達にもしものことがあれば責任を追及されるのは対応した職員だろうから渋るのは当然だ。だが、実際に何かあって取り返しのつかないことになったら実害があるのは少年達自身だ。それも厭わず わざわざ討伐依頼を請けるなんて。
(ベルメロワの領民は子供の頃からバトルジャンキーなんだな。怖…… そういえばこないだの竜騎士もそんな感じだった。物騒な人の多いことだ)
結局、その日の貴重な午前の時間はまるごと待ち時間へと消えてしまった。シルガは鑑定料を支払って薬品類を受け取ると、それらを収納鞄にしまっていそいそとカウンターを離れた。自然と足取りも軽くなるというものだ。目指すは唯一の得意先、『道具屋
「……ひと月ぶりかね」
「そうかもしれない」
シルガは見積もりを出してもらうためにカウンターに薬品類を並べた。ふと陳列棚を見遣ると、前回シルガが納品した治癒薬が売れ残っている。
「迷宮が現れたの、ご存じ」
「ああ、冒険者はみんなそっちに掛かりきりらしいな。で、治癒薬はいつもより色を付けてくれるんじゃないかと期待してる」
「わしも本当はね、普段の仕入れ値を不満に思っていたんだよ」
「このランクだと相場だろ」
「今回はいい口実が出来たというわけさ。こんなもんでどうかね」
示された法外な値段にシルガは思わず声を荒げた。
「馬鹿げてる!いくら需要の割に品薄だからって、いったいいくらで売るつもりだ。ぼったくりもいいとこだ、悪徳だ!」
しかし店主も負けてなかった。
「買値を上げて文句を言われるとは!いいかね、魔術師殿。物にはふさわしい値段があるんだ。価値ともいう。あんたがしてることは価値への冒涜だ。あの治癒薬をあの値段で売らざるを得ないわしの無念がわかるかね、目端の利く馬鹿に気付かれたら面倒なことになるのはわかりきってる、わしがどれだけ配慮してるか!」
「取引規定に照らせば普段の買値で何もおかしくない。色をつけるにしても常識の範囲で頼む」
「常識とな」
鼻で笑われてしまったんだが。
店主は深く椅子に腰かけ、ゆったりと背もたれに身体を預けた。
「この道具屋はわしの収集箱も兼ねているんだよ。需要のある定番以外 ここに置くのは一級品か、わしの気に入ったものか、だ」
カラン……と遠慮がちにドアベルを鳴らして少年が入ってきた。藍色の髪をした利発そうな少年だ。
「こんにちは、開いてますか?」
「ああ いらっしゃい」
シルガはそのへんの椅子に適当に腰かけて待つことにした。ぼけーっとするのは割と得意な方なのだ。店主と少年の話す声が遠く聞こえる。
「治癒薬を探してるんですが、なかなか置いてなくて」
「あんた方、生徒さん達が薬草採取の依頼を受けてくれれば解決するさね」
「はは……やっぱ花形は戦闘だから。しばらくしたらみんな採取依頼を受けるようになる気がします」
「ふん、お前さんもそうなるといいね」
「俺は、まあ……努力します」
店主は売れ残っていたシルガの治癒薬を指した。
「治癒薬ならそこのを持って行ってもいいがね。残ってるのはそれだけ」
「えぇー……と……」
「他が品切れだからここまで来たんじゃないのかね。いらないんなら別に」
「あ、いえ!買います!いくらですか?」
少年がカウンターで会計を済ませる様子を見ながらシルガはなんかどうでもよくなっていた。
(さっさと帰ろ)
再度ドアベルの音が鳴り終わるのを見計らってシルガは買取カウンターへ向かった。
「で、店主。買値のことだが」
「今回の納品も全部わしが買い取っていいのかね」
「ああ。もう面倒だからいつも通りでいいかなって」
「腹の立つことだ、まったく」
いつも通りの取引が一番ストレスなく進む。町まで来たついでに足りない食糧でも買うつもりだったがこのまま帰ることにした。立ち上がってドアへ進むシルガに店主が声をかけた。
「またよろしく。気が向いたらいつでも泊まりに来るといい。歓迎するよ、魔術師殿」
「……お気遣いなく」
ギリヨンのさびれた町はずれから少し出ると小さな森がある。この森はルーンシェッド大森林とつながっているが魔瘴濃度はかなり薄く、低ランクの冒険者や町の人が薬草や山菜を取ったり狩をしている生活に必要な森だ。
シルガが周囲に人がいないことを確認し、転移魔法の展開式を起動させた時だった。
「……何だ?」
風に乗って人の声が小さく聞こえた。よくよく聞いてみると子供の叫び声のようだ。冒険者ギルドに学院の生徒がたくさん来ていたのを思い出したシルガは、少年達がふざけて奇声を上げてるのだろうと思ったのだが……
(いや、あれほどのバトルジャンキーだ。気が昂って深追いしてるのかもしれないな)
あの年頃の少年達だ。高揚する気持ちを制御できずに調子に乗って 危険な魔瘴地帯に入っては大変だ。
シルガは展開式を素早く畳んで声の方へと走り出した。
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