第4話

 こってりデミグラスソースのビーフシチューをとろとろ玉子のオムライスに合わせるのなら、チキンライスかバターライスか……それが問題だ。


(……チキンライスで)


 無難な選択である。


 シルガが作る料理はあの世界――異世界の料理ばかりだ。

 この世界の食事情はあの世界に比べると良くない。かどうかはわからないが、少なくともシルガはあの世界で食べたものほどに、美味しさを求めた工夫に富む料理をこの世界で食べたことがなかった。貴族の食卓なら話は別かもしれない。


(なんであの世界の俺はあそこまで食事にこだわっているんだろうな……)


 あの世界の自分は他人を自宅に招いて宅飲みするのが大好きで、働いて稼ぐようになってからというものカネと情熱を注いで料理に没頭し休日を潰していた。味にこだわりはないとかなんとか言っていたが、十分こだわりすぎているぞとツッコミを入れたくなるほどだ。おかげ様でレパートリーはかなり多いし味もまあまあ再現できている。興味なくても作るのであればそこそこ最善を尽くす性質なのである。

 シルガは眠っている間、別の世界の別の自分と感覚を一方的に共有する、そんな生活を十数年……22歳で途切れてからは断片的だが ずっと続けている。精緻な魔道具を作りたいという自分の心に正直になり、モノ作りの才能を持つ自分の魂を取り込むという暴挙に出た結果、今の自分の魂を見失うかもしれないというリスクに見舞われているのだ。にもかかわらずその生活を中断できないのは異世界で学ぶあの世界の学問が結構おもしろかったためだ。あの世界の自分は読書や勉強……そういうものに興味がなく、いいところで本を閉じるのでそのへんはシルガを苛立たせたが、たとえ異世界のものであっても常識や礼儀作法を学べたことは役立った。


 シルガは作り終わったチキンライスを深皿の上にドーム型にして盛りつけた。温めたフライパンにバターを投入すると、やわらかなミルクの匂いが香ばしく変化して出来上がりへの期待を煽った。つやつやの溶き卵をたっぷりとフライパンに流し入れ 中火で熱しながら菜箸で混ぜて厚みを持たせ、半熟のままとろとろとライスを覆う。贅沢にビーフシチューをかけたら生クリームを少したらして出来上がり、だ。栽培している香草で簡単に作ったサラダと一緒に並べて準備は整った。


(よし。普通に、嫌味なく、衛生的かつ安全を訴え…… …  って難しいな)


 シルガは他人に食事を勧めたことがなかった。そもそも他人を何かに誘ったことがない。


(いや、異世界の俺は人を誘って飯食ってた。大丈夫だ)


 そう、たとえばこんな感じだ。


 ―― 先輩、駅前にできた店の隣りの道からちょっと入ったとこにあるショボい店、美味いですよ。一緒行きません?


 ―― え、マジで。じゃこの後な。


 ―― ごちそうさまです!


 ―― 何で俺がおごるの確定なんだよ、飯時狙っておまえんち押しかけるぞ。


 ―― あ、お土産まで頂くなんて。さすがに心苦しいですね。あざーっす。


 ―― かわいい後輩だなほんと!


      



「…………毒は入ってない。よければ、どうぞ」


 あの世界の常識は役に立たないこともある。

 慣れない言葉を選んで声をかけると、青年の騎士らしい精悍な顔がわずかに驚きの表情を見せた。


「あ、気を遣って食べなくてもいい。それはそれで俺の昼飯になるだけだ」


 この騎士が少し油断してうとうとしてくれさえすればいいのだ。食事がだめならお茶とかココアとか飲み物くらいは愛想で受け取るかもしれないし、それもだめなら強硬手段をとればいい。その場合は引っ越し確定だが。


「……いや、 ありがとう」


「あ、ああ」


 シルガは意外にもあっさり受け入れられたことに拍子抜けした。

 青年が食堂の方へ移動するのを躊躇しているのを感じたので、拍子抜けついでに少し欲張ってみることにした。


「騎士殿が食事している間、俺が代わりに怪我人をみていようか?」


「それは有難いが…… いいのか?」


「別にここで食べても問題ないんだけど。少し休んだ方がいいかと思って」


「何から何まで世話になりっぱなしだ。治癒薬も……疑って悪かった。感謝してる」


「速やかに出て行ってほしいんだ。そっちだってすぐに戻らないとまずいだろ。怪我は……だいぶ良くなったみたいだな」


 シルガはさりげなく怪我人に近づき、青年に食事に行くよう促した。


「頼む」


「ああ。しばらくゆっくりしてくれ」


 是非ゆっくりしてきてくれ。なんだったら少し寝ていてもいいくらいだ。

 この部屋は食堂とは続き部屋になっていて、普段からドアを閉めないので物が散乱している。これをわざわざ退けてドアを閉めてはさすがに不自然で怪しい。青年がこの部屋から出て怪我人を任せてくれたとはいえ 完全に意識を離したわけではないことはシルガもわかっている。この状態で魔力を使ったらすぐに悟られてしまう。


(困ったな……。隙がない)


 あの青年は竜騎士の中でもかなり手練れの部類にあたるんじゃないだろうか。だいたいルーンシェッド大森林を任されるような竜騎士なんてほとんど実力でのし上がった奴らの集まりなんだから本当に関わりあいになりたくない。勝てる気がしない。


 そうは言っても怪我人の魔瘴汚染はこのままでは改善の見込みがなかった。治癒薬の効果で回復はしたものの、身体に取り込まれた瘴気の量は自己治癒力で無害化できる範囲を大幅に超えている。生物にとって魔瘴は毒だ。このままでは余剰分の瘴気が身体を汚染して朝には命を落とすだろう。大気中に漂ってる状態なら防御することはできるのだが、身体に入り込んでしまった魔瘴は本人の自己治癒力で無害化するほかどうにもできないものらしい、ということをシルガは詐欺教団のおかげで最近ようやく理解できたのだった。


( ……?)


 シルガは青年の警戒がこちらから外れたのを察した。


(なんだかよくわからないが今なら隙だらけだ。いける)


 怪我人の手を掴んで魔力の流れを探し 自分の身体の魔力と繋げて魔瘴を吸い上げる。普段よりも慎重に、魔力が動いているかもわからないくらいには制御できている。ほんの少しずつだがその分時間をかけて確実に瘴気を取り除けばいい。シルガは怪我人の様子が徐々に良くなっていくのを見ながら自分の身体が重たくなっていくのを感じた。


 何故かはわからないが、シルガは魔瘴を身体に取り込み魔力を使って中和することができた。それもほんの生まれたばかりの赤ん坊の頃から、だと思われる。その代わり――これも推測だが――魔瘴を取り込み中和すると、身体が著しく消耗しまるで化物のような見た目になってしまうのだ。もしかしたら元からなのかもしれないが。シルガの魔法がまだ未熟な頃は、自動空気清浄機のような あの世界の家電的役割をほとんど強制的にこなしていたため、常に自分の身体の中で魔力を消費している状態だったのだ。魔法の才能があったことが幸いしてか、取り込む魔瘴の量をある程度 制御できるようになったし、今では遮断することもできるのでずいぶん楽になったものだ。今まで消費した魔力量が多すぎて回復が追いつかないのか、やはり元からなのか、シルガの外見は「呪われた子供」と言われていた当時と同じく異様なままだ。瘴気の中和がもたらす影響についての検証は、本腰を入れて研究すればすぐに結果が出そうだが そこまでやる気が出るほど興味がない。なんか必要に迫られたらやるかもしれない。そんな感じだ。


(……このくらいで十分か)


 シルガは怪我人から手を離して繋げていた魔力を切った。この様子なら もう心配はなさそうだ。食堂の方に視線を向けると青年はちょうど食事を終えるところのようだ。


「怪我人の様子なんだが……だいぶ安定したように思う」


「……夢中で食ってた」


 シルガが声をかけると青年はばつが悪そうに言った。


「すげぇ美味かった、ありがとう。ご馳走様」


「それは良かった。――で、怪我人なんだが、確認してくれ」


 これで精霊との契約は果たしたと言ってもいいはずだ。そういうことなので速やかに帰ってもらおう。シルガは青年に怪我人の様子を見に行くよう促し、そのまま片づけを始めた。そして重要なことに気付いたのだった。


「デザートを忘れるとは」


 いったい何のためにアイスクリームを作っていたんだ? 特に理由もなく作り始めたのは確かだな。


(ま、いいか。一応勧めてみよう)


 暖炉で温まりながらアイスクリームを食べるのは贅沢な気分になるし、いいかもしれない。

 外に出ると精霊が相変わらずのんきに漂っていた。2頭の竜に心配げに見つめられたシルガは心配ないと短く答えてアイスクリームを器に移し、家の中に戻った。辺りは薄く雪が積もっていた。




「甘いものが嫌いでなければデザートもあるんだが」


「……嫌いじゃない」


 自分でも唐突に声をかけている自覚はある。それでもきちんと答えてくれるこの青年はきっといい人なのだろう。と、シルガは思った。青年にアイスクリームの器を渡して自分はお茶を入れることにした。今から帰還するなら何か温かいもので一息ついてからの方がよさそうだ。

 ふと青年の方を見るとすでに器は空になっている。下げようかと考えていたら目が合ってしまった。青年はやはり何だか微妙な表情をしていた。


「器を下げても構わないか?」


「ああ、ご馳走様。どれも美味くて驚いた」


「それは良かった。すぐに帰還するよな?お茶でも飲んで温まって行ってくれ。今お湯を沸かしてる」


「ありがとう」


 シルガはぼんやりと火を眺めた。こんなふうに他人に料理を振舞ったのは初めてかもしれない。美味いと言われたこともなかったように思う。だが美味いもの、の基準とは何なのだろうか。美味いといわれるものの基準が明確に数値化されていない以上、個人の感覚、主観に大きく依存しているあてにならない評価だ。かといって美味いものの基準を数値化するための要素が何なのかわからないし、もしかしたらその要素自体が主観そのものかもしれないが、物を構成する成分だけ美味いものとしての基準をクリアしただけでは美味いという感覚にはならないようにも思う。この時点ですでに主観だ。美味いものは確かに存在するが、明確に存在することのできないあやふやな何かであるからしてそういうとこはなんか精霊とかそういう類のものと


「魔術師……殿、は」


「うん……?」


「ルーンシェッド大森林の巨大な竜について何か知ってるか?」


「ああ……コダイ様。寝てただろ、起きたのか?」


 起きたのならきっと、ろくなことにならないな。


「知ってるのか!」


 グッと腕を掴まれ、シルガが驚いて青年を見ると思ったより近い距離に顔があることに再度驚いた。青年の質問の意図がよくわからないが聞かれたのでとりあえず答えることにした。


「古代竜の、コダイ様。俺が勝手にそう呼んでるだけだ」


「古代竜だったのか…… 魔化を起こした」


「え?起きたのか。それでここまで退避してきた、と」


「いや、倒した」


「え? 一人で?」


「まあそうなる… けど、魔化した割には やけに理性的だった……意図的に止めを刺されたような」


「起きたのか……見たかったな」


 この竜騎士はたぶんやばいやつだ。

 そう結論付けたシルガは早々に会話を切り上げようとした。


「俺たちは、ルクス――そこの怪我人を探しに来てたんだ。あいつはおそらく噴出孔の移動に巻き込まれてかなりの距離を移動した。で、そのコダイ様の腹の中でかろうじて生きてるのを見つけた」


「へぇ… じゃ、コダイ様が起きたのはそのせいかもしれないな。竜は同族の、自分の庇護下にある者に対しては特に情を注ぐから。あの辺りは噴出孔が群れになってただろ、よく無事だったよな。あの銀色の竜がそっちの騎士を守ったようにコダイ様もあの竜を守ってたんじゃないか?」


「……なるほど」


 シルガがお茶を渡すと青年は受け取った。


(ずいぶん信用されたな)


 なんだか変な感覚だ。でもきっと、ローブをとって姿を見せたら例のごとく忌避されるだろう。シルガはそれを少し寂しく思った。がしかしまだ一番重要なことを言ってない。これだけは必ず承諾してもらわなければ。魔瘴地帯は一般の立ち入りを禁じているため、この場所がノランデーヴァの管轄域なら青年には報告義務があるのだ。


「ところで、実はここはノランデーヴァの管轄域でもないし、シエカート公爵領でもない」


「……あ? 嘘だろ……」


 青年が知らぬ間に越境していた事実に愕然としているのを流してシルガは続けた。


「協定を確認してくれ。ここは所有者なしの空き地になってるんだ。そういうわけだから、俺のことは報告しないでほしいんだ」


「魔術師殿には恩がある。そう望むならここがノランデーヴァの管轄域でも報告するつもりはない」


「ありがとう!それは助かる」


 意外にもあっさり承諾されたので思わず声が弾んでしまった。と同時に義理堅い青年に秘密を持たせることになるのは申し訳ない気もした。


「……そうだ、古代竜を倒したっていうのは報告するよな。倒したときに何か結晶みたいなのが出来たはずなんだ。それは回収したのか?」


「どこかに落ちてるはずだ。そんなもの探して回収するどころじゃなかったんでな」


「じゃ、見つけたら保管しておく。あまり期待はできないけどな。

 そういうことなんで、そこの彼が目を覚ます前に帰ってくれ。目撃者は少ないほうがいい」



 なかば追い立てるようになってしまったが上出来だ。

 シルガは白々と薄明りを迎えた空の彼方に消えていく竜騎士を見送りながら満足げに微笑んだ。

 精霊との契約も果たしたし、引っ越しの心配もない。法にも触れてない。


(上手くいってよかった)


 伸びをしてゆっくり息を吸い込むと、冷たい空気が清々しく肺を満たした。

 せっかくなのでこのまま起きて過ごすことにした。



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