第42話 体現——豪切

 深夜、ふと目を覚ました。

 今夜は来るだろうか。八枝子は立ち上がり鉄格子を掴む。

 隔離されて一年近く、最近は男たちが現れない夜もあった。現れたとしても、二人だったり、一人の時もあった。

 このまま飽きられれば、儀式と称して殺されるのだろう。

 もちろん死については幾度となく考えた。しかし、死は選ばなかった。

 死ぬのが怖かったから。復讐を誓ったから。何度も何度も反芻思考はんすうしこうを繰り返した。

 そのうちに、どうでもよくなった。

 

 呪詛による身体の変化はそれほど進んではいないが、あの清楚で健康的だった八枝子は変わり果てていた。

 

 不意に、ごりごりと岩の擦れる音を立てて、目の前の通路の、突き当たりの壁がズレていき、男が二人入って来た——。




 ——監禁場では、体の自由がきかずに横になっていた豪切が思考だけを巡らせていた。

 壁に掛けられた燭台の蝋燭がチラチラと灯っているだけ。昼なのか、夜なのかは分からない。酷い臭いだけは分かった。

 牢屋の扉が開くのかどうかは、立ち上がることすらできないので確認はできていない。

 どうやら階段から一番奥の牢屋に囚われているようで、これは夢か幻覚なのだろうが、あまりにもリアルだった。


 この状況がなんなのか、一つの結論は出ていた。

 思考はできる。見る限り、服装はもちろん、身体も自分のものだ。

 しかし体は勝手に動き、自由にはできなかった。

 そして心の中に、にわかに湧いてくる邪悪な感情。この感情は自分のものではない。

 きっと、わたしはいま、八枝子自身になっているのではないか、と。


 体が急に起き上がった。牢屋の鍵を確かめたかったが、意に反して鉄格子を掴む。理由もなく、不安と憎しみの感情が湧いてきた。

 豪切はただ、鉄格子の冷たい感触を確かめていた。


 不意に人の気配を感じる。

 見ると、ごりごりと岩の擦れる音を立てて、目の前の通路の、突き当たりの壁がズレていき、男が二人入って来た——。


 その手に持つカンテラの灯りで、隔離場はさらに明るくなり、男たちは牢屋の前でそれを置いた。

 もう片方の手に、無精髭の男は六十センチほどの角材とロープを、大柄な男は斧を持っていた。


 容姿から、この二人の男たちは当時の村の人間だ。

 豪切は言葉をかけるが、まるで聞こえていないようで、男たちは一様に不気味な笑みを浮かべている。


 無精髭の男が顎をしゃくる。

 その合図に大柄な男がかんぬきを外し、無精髭の男は牢屋に入るとすぐ、角材とロープを放り投げ、当たり前のように豪切の両腕を掴み、押し倒した。

「な、なんだ? なにをする!」


 大柄な男はニヤニヤと薄笑いを浮かべ、トントンと斧の柄を肩に当てて眺めている。

 この異常な状況に豪切は抵抗を試みるが、体は思うように動かないままだ。


「まさか、八枝子はなにも抵抗しない気なの?」


 なにか、言葉を発しているはずの男たちの声も聞こえない。

 鼓動だけが、激しく体の内を突いてくる。


 無精髭の男が覆いかぶさり、袴を力まかせに破り捨てる。

「ああああ、なにをする! いや、やめてぇ!」その叫びは頭の中でしか響かなかった。

 豪切の、すらりと長い足は傷だらけで所々血が滲んでいるが、男はかまうことなく両膝を掴むと舌なめずりをして、おぞましく笑い、その足を開いていく。

「いやだ! やめろ、いやあああ!」それでもこの体は抵抗しようとはしなかった。


 体を舐め回される嫌悪が、憎悪に変わっていくのが分かる。

 それにもかかわらず、両手で大柄な男も誘い、立ち上がった。

 跪いたまま腰に手を回す男は、恍惚とした表情で見上げている。

 顔をゆがめる豪切だったが、その手は大柄の男の胸を撫でて、つっと指でなぞる。

 何かを叫び、腰から手を離した無精髭の男が、興奮しながら自信の帯を緩め始めた。

 

 その時だった。

 体が二人の間をすり抜けた。駆け足で牢屋の扉を出る——。

「八枝子は、男たちを油断させて逃げるつもりだったのか? そうだ! 逃げろ!」


 だが、鉄格子の間から伸びた大柄な男に、その長い髪を掴まれてしまった。


 再び牢屋に引きずり込まれ、腹を、顔を殴られ、床に叩きつけられた。

 肩で息をしながら、無精髭の男が不機嫌そうな顔で顎をしゃくると、大柄な男が斧を手にした。

 

 先ほどとは打って変わり、力の限り暴れ、抵抗する。

 だが、あまりにも非力だった。


 無精髭の男が馬乗りになり、右腕を押さえ、ロープで肘から下をきつく縛り上げる。

 ぎりぎりとした痛みがはしる。

「なにをする気だ?」

 大柄な男が斧を振りかぶる。


「まさか——」


 斧が振り下ろされる。

 

 だんっ!


 同時に悲鳴をあげた。

 豪切の右腕は手首のすぐ上から切断され、血液がばしゃりと、不潔な石床を染めた。

 恐怖と怒りで震える。頭の中がどす黒い殺意で満ちていく。湧き上がってくる。

「あああああ、きさまら! ゆるさない! 殺してやる! 殺してやる!」


 激痛で意識を失いかける。

「幻覚ならば、早く覚めてくれ……」


 それでもなお、無精髭の男は笑みを浮かべて覆いかぶさって来た。

「鬼畜どもめ……」


 がりんっ


 無精髭の男が右耳を抑えながらのたうち回る。

 気がつくと、男の耳を噛みちぎっていた。口から吐き出し、転がる耳に気を取られた大柄な男の横をすり抜けた。

 豪切はそのままカンテラを奪い、牢屋を出て抜け道を行く。

 水車小屋を出て、駆ける。追ってくる者はいなかった。

 ロープで縛られているとはいえ、右腕からの出血は完全には止まっていない。

 出血と痛みで意識を失う前に——。


 逃げろ! 八枝子。

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