第32話 最強の男

 全身薄汚れ、髪もガサガサになり、右手は松宮の頬をひっぱたこうとしている。頭に装着しているヘッドライトがまぶしい。


「え? お兄さん? お兄さんなのか?」

 勢いよく松宮は半身を起こしたが、全身の痛みで肩に手を当てながら再び倒れた。

「もちろんお兄さんだよ。わざわざ眼鏡もかけてあげたんだから、ちゃんと見えてるだろう」

「また落としてたか。ところでみんなは? ん? これはお札か?」

 仰向けの松宮が顔のすぐ横に札が落ちているのに気づいた。


 札は横になっている松宮を囲むように四枚置かれていた。

「これはさわりだ。文字どおり、怨霊か何かに触られたんだろう。あの状態では思考も身体もままならなかったはずだ。祓っておいたんだが、気分はどうだい?」

「それは文字通りじゃないだろう」ツッコミだけは忘れなかった。

 

 その様子なら大丈夫だな、と桜紗は立ち上がり手を差し伸べた。

「全身は痛むが、頭の中はすっきりしている。何から何まで……ありがとう、ございます」

 そう言って手を取る松宮の左腕の変色は消えていた。

「ございますとは、らしくないな」と桜紗は目を丸くしてニヤリとする。

「そんなことはない、いや、そんなことより、どうやってあの状況から助かったんだ? 他のみんなはどこに行ったんだ?」


 それはおいおい話すよ、と桜紗は言って山の上方を指差した。

 上方の闇の中に白い光が動いていた。「さざめは気づいたんだな」

 言って、それよりもここで何があったのかを優先した。

 松宮はこれまでの経緯を話すが、黒い化け物に掴まれたあとの記憶が曖昧になっていて、最後に覚えているのは強い光と、何かが覆い被さってきたような気がすると言った。


 それだけで桜紗は納得したようにうなずいた。

「なるほど、それで、か。では行こう。この札、このまま使わせてもらうよ」

 そう言って桜紗は四枚の札を地面から剥がすと黒のセダンへ向かった。

「ああ、私のポシェットから取ったのか。いいよ、持っていたのも忘れてた」



 横転したはずの車は起こされていて、シートを倒した助手席に加賀島が寝かされていた。

「我々の着ているこの袴は、念を込められた糸が使われていて、ある程度、霊から身を守ってくれる。障りぐらいはなんともないが、物理的な攻撃には普通の服と変わらないんだ」

 そう言って、桜紗は気を失ったままの加賀島の胸に手を置いた。


 加賀島を心配する松宮に、桜紗は「だが、本当に頑丈だよ。命に別状はない、が、加賀島はここでリタイアだな」と。

 松宮の説明と加賀島の状態、車の損傷から、桜紗には加賀島が松宮を車から守ったのであろうと、おおよその見当がついていたが、それを口にはしなかった。


 桜紗は四枚の札を車に貼りつけて新たな封印を施し、「さて、三人が心配だ。私はもう行くが松宮さんはどうする? 車にいた方が安心だが」

「当然行く。体ももう問題ない」

 と松宮は自身の胸を叩いた。

「だろうね」

 と桜紗は松宮の右足首に視線を落とした。わずかに震えていた。


 二人は立ち木に車体をめり込ませて沈黙している白いミニバンから、使えそうな物を物色して森の中へと入って行った。

「三人一緒で、無事ならいいんだ、がっ?」

 斗南たちの安否を口にした松宮の目の前を影が横切り、仰け反った拍子に尻もちをついた。


 すぐにそれは始まった。豪切たちを襲った草木が、同様に松宮たちに迫る。

「うわあっ」声をあげて怯む松宮の目の前で、襲いくる樹枝が、目に見えない壁でもあるかのように弾かれて方向を変えた。

「また木か」桜紗が飽き飽きした目でめ回す。

「お兄……か、髪の毛が真っ白に——」

 すでに変貌している桜紗を見て、松宮は声を詰まらせた。


 絡みつくはずの草が二人をさける。

 樹枝が見えない壁に弾かれて二人には届かない。


「こんなものは子供だましだよ」




 ぽたり——ぽたりと落ちた血液が、荒れ地に点々と印をつけている。

 山の中腹にある、あきらかに人工的に開かれた場所で斗南たち三人はくずおれていた。

 ここまでの道のり、やはり意思を持ったように襲いかかってくる草木を退け、傷を負い。ようやく抜けることができ、ここに辿り着いたからだ。


 豪切が右手の甲に突き刺さった枝を抜くと、生血なまちはツーっと小指をつたい、ポタリと落ちる。しなやかだった長い黒髪も、ところどころ切り落とされていて見る影もない。それは紫桜も同様だった。

「く……はっ」短く息を吐き、辺りを見回した。

 どうやら何かの広場のようだ。

 中央付近の伸びた草からいくつもの木片が見え、その先に道は続いていた。


「外に、連絡できないですかね? みんな傷だらけですよ。もう、このままじゃ……」言って、思い詰めた表情の斗南が顔を上げた「……あれ? 何か見えますよ」話も途中で斗南は立ち上がり、さらにその先の木々の隙間に白い光を向けて、よろめきながらも駆け出していた。

「待て、斗南殿!」と豪切と紫桜が慌ててあとを追うが、木片の散乱する場所で足を止めた。


 これまでとはまるで違う異質な気配。紫桜も言葉なく後ずさる。

「何だ……ここは?」

 豪切がしゃがみ込み地面に触れる。散乱する木片を見る限り、あの土蔵の裏手にあった場所によく似ていた。

「視てみますか?」紫桜が言うのと同時に、前方で斗南が叫ぶ。興奮しているのが手に取るように分かった。

「豪切先輩! 紫桜さん、ここです。夢に見たのはこの場所ですよ」


 その声に誘われて二人はそこを離れた。

 突然、ざあっ、と一陣の風が三人の体に冷たい空気を吹きつけ過ぎていく。

 ざざざざざ、と樹木の葉が一斉にそれに応える。

 斗南は空を見上げた。


 厚い黒雲が流れ、月明かりを浴びた洋館がその姿を現した。

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