第31話 惨烈

 そんな斗南を見て豪切が言う。

「斗南殿、よく聞いて。今の奴はこれまでとは違う。何か、変貌を遂げている。ライトに照らされた時に出来た影、この脇腹に受けた衝撃、札を当てれば霊体そのものに影響があるはずなのに、直接触れた部分だけが破壊されるだけで、それもすぐに修復されてしまう。まるで不死の肉体があるかのように」

「それって……どういうことですか?」

「情けないけれど、私には理解不能よ。妖怪の類ではないかと目を疑ったわ。しかし、どう変わろうとも奴の狙いは君だ。だから、この先何があっても自分の身を一番に考えて。周りの心配はしなくていい」

「でも、何も出来なくて、僕は情けないですよ」

「それならばしっかり逃げればいい。戦うのは我々がやる。躊躇ちゅうちょして足を止めれば、その君を守る為に誰かが命を落とすかもしれない」


「すいません。こんなことになるなんて……先輩や紫桜さんもひどい怪我をして、松宮先輩にも何かあったのかも」

 斗南は完全に足を止めてしまった。


 豪切がため息をついて、斗南の肩に手を置く。力を込めて。

「きっと大丈夫。松宮殿もあれで、意外に強いのよ。それに、ふふ、何だか、松宮殿と兄様、似てると思わない? 自信に満ちた喋り方とか、くだらないダジャレを言うところとか……そんな二人が簡単に死ぬわけがない」

 斗南の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。その目はとても優しく、しかし憂いているようにも見えた。


「さあ登るわよ。言ったそばから足を止めないの……情けないのはわたしも同じよ」



 ふいに辺りの草木のざわめきが——まるで獣が這いずり回っているような音が近づいてくる。

 だが、姿が見えない。登る足を早めるが、あっという間にその音に囲まれてしまった。


 

 突然、草が足に絡みついてくる。紫桜はとっさに足を跳ね上げて引きちぎった。

 が、そこで気づいた。

「これは——さざめ様、追っ手は何者でもありません! この、草や木々です」

 紫桜が言い終えると同時に樹枝じゅしが三人に襲いかかってきた。


 八枝子の姿は見当たらない。

 しかし、四方八方からの攻撃に念唱を唱える暇はなく、容易には進めなかった。


 何度も転倒し、絡まる草を引きちぎり、ムチのように波打つ枝に打たれ、突かれ、裂かれながらも弾き返し振り払い、致命傷だけは避けている。

 

 しばらく行くと何かの鉄の棒、ガラス瓶、朽ち果てたロープ、進む足元に時折り人工物が落ちているのが目に入るようになった。

 やはり上にも居住地がある? 豪切が思うも、すぐに答えは出た。三人は森を抜けて、平坦な道に出た。

 追撃はないようだった。


 いまにも滑り落ちそうな斜面に廃屋が立ち並ぶ。

「こんな場所にも家を建てるものなのね。下からはまるで見えなかったわ」

 豪切が取り出した懐中電灯とヘッドライトの両方を使って周囲をさらに明るくする。


「ここではない。もっと上か」

 斜面に沿って流れ降りてくる——、


 怨念。


 ここまで来てようやく豪切にも、土蔵に入る前に桜紗の言った重い空気を感じることができた。

 

「そういえば、蔵……しえ、蔵の地下で何か視たんでしょう。あの取り乱しようは普通ではなかった。一体何を視たの?」


 照明を向けて上方の木々の間にうっすらと建物の屋根らしき影が確認できた。

 あれを目指そう、と建物と建物の間にある小道を抜け、石段を駆け上がる。


「学生である、お二人に話せる内容ではありませんが——」前置き、紫桜は重い口を開いた。

 あの監禁場は非常に凄惨な場所でしたと。


 毎夜のように行われる暴力。

 二、三人の男たちが日毎に立ち代わり、呪詛を受けて隔離された者をもてあそぶ。

 男ならば暴虐の限りを尽くし、女であれば陵辱の限りを尽くす。

 抵抗するものは歯を、指を、腕を、足を折り、切断すらする。

 

 恐怖で支配し、玩具のように扱う。

 地獄——生贄には人権すら与えられていなかった。


「私は、その時の男たちの狂気に満ちた笑顔が忘れられない」

 足を止めた紫桜は眉をしかめ、まぶたを閉じて自らの肩を抱いた。


 村人の男たちすべてがそうだったのかという豪切の疑問に、そうではない、とは思われると歯切れ悪く答えた。

 理由としては、男たちが口々に『蔵番』のことを気にかけていたという。おそらく、こういった行為を防ぐために、監禁場である蔵の見張りがいたのではと。


 ではなぜ、そんなことが横行していたのか。

 その『蔵番』自体が形だけだったのか、それともその中に仲間がいたのか。


 結局結論は出ないまま三人は先を急いだ。

 松宮がいれば、何かしらの答えを出してくれたんだろうと斗南は悔しさを噛み締めた。


 重い話と疲れで斗南と紫桜のペースが落ちていく。

 口から荒く吐かれる水蒸気が冷やされ、水滴になって白く、白く現れては消える。

 額から流れる水滴は顎を伝ってぽたり、ぽたりと服に染みる。

 その二人を見て、ふと、豪切は違和感を感じた。

 服も、露出する肌も細かい無数の切り傷でボロボロになっている。ところどころに血のにじみもある。しかしそれは自分と紫桜に至っては、だ。


 確かに斗南もそれなりに傷を負ってはいるものの、あきらかにその差は見てとれた。(どういうこと? いくらわたしたちが守っているとはいえ、完全ではない。あの女の目的は坊やを殺すことイコール斗南殿を殺すことのはず。先ほどの奇声だって斗南殿に向けられていた。今だって、集中的に狙われてもおかしくないはずなのに——)


 道が途絶えた。一番上方の廃屋の、すぐ裏手から再び森が広がっていた。


 目指す建物までの道もありそうなものだが、草木が隠してしまったのか見当たらない。

 豪切の考えもまとまらないままだった。

 それでも三人は進むしかなかった。




 ——パン、痛っ、パン、痛いっ、パン(ぐ、痛いっていうの。顔を叩くのは誰だ?)

 松宮は、かっと目を見開けた。


「おお、松宮さん、ようやくお目覚めか。見た限り、外傷はすり傷程度だが、どうした?」

 しゃがみ込み、桜紗がその顔を覗き込んでいた。

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