第30話 指向
地面に叩きつけられた衝撃で、その大きな体躯から、小柄な影がごろりと転がり出た。
松宮だ。
もう一つの大きな体躯は加賀島だった。
松宮がはねられる直前、加賀島が抱き抱え、身を挺して守っていた。
直撃はまぬがれたのだろうが松宮はぴくりとも動かない。加賀島もまた、微動だにしなかった。
なおも車は獲物を狙って走る。何体もの怨霊を巻き込んで。
八枝子の胸の穴が修復された。
それを確認して豪切は手に持つ札をポシェットにしまった。
本体を除霊する他に、この女を倒すことは不可能だ、と。
——山の上から地に沿って下りて来る重い空気。
桜紗の言葉が脳裏をよぎる。
「そういえば、たしか蔵に入る前……兄様はなんと言った? 山の上から、と言ったか」
——村の入り口とは反対の森の中からそれは下りて来ていた。
「入り口とは反対……ならば、どうする——。どこを探す?」
思い出した。
「そうだ、車を止めていた辺りと言っていたはず」
それならこの近くのはずだ、と豪切はほとんどが黒い空と同化している山を見上げ、意を決して八枝子に背を向けた。
近づく怨霊を滅しながら、豪切は逃げ惑う斗南を見つけ、手を引いた。
その二人を八枝子は凝視している。
坊や……。ああ、あああ、行かないで。
え? と、斗南は振り返った。中空に浮いたままの、ここまで聞こえなるはずのない八枝子の声に反応して。
「止まるな! 斗南殿」
八枝子が奇声を上げた!
とっさに斗南を突き飛ばした豪切は、見えない圧力に押しつぶされるように地面に叩きつけられた。
「先輩!」
豪切はすぐさま起き上がり、駆け寄る斗南に、「大丈夫、大丈夫だから今は立ち止まらないでくれ」と声を絞り出した。
車が目標を定めたかのように転回する。狙いは豪切と斗南。
「来るぞ、今は逃げるんだ、走れ」
「は、はい」
逃げる二人の影が左から正面に移動する。
車が背後に迫る。
近づくエンジンの音が大きくなっていくが、二人には、荒く、激しい自分たちの呼吸音しか聞こえていない。
酸素を求めて二人の顎が上がる——「跳べ!」
豪切の合図に二人はぎりぎり森の中へ飛び込んだ。
追ってきた車は立ち木に激突して、止まった。
「はあっはあ、くそっ、不甲斐ない」
豪切は赤く滲む脇腹を抑え、苦しそうに吐き捨てたあと、大声で他の者たちの名を呼んだ。
「は、松宮先輩が、見当たらないです。加賀島さん、たちも」
息を切らしながらも、斗南があちらこちらとライトを向けて探すが、姿を捉えることができない。
焦る二人だったが、すぐに、ゆらゆらと白い光が近づいてきた。
「さざめ様! よくご無事で」紫桜が合流した。
合流するなり、松宮の安否を口にするが、二人は首を横にふった。
紫桜は「ライトの光を頼りにすれば、それぞれの居場所は分かると思うのですが、松宮様は照明器具を持たずに移動している可能性があります」
「あ、ほらあそこ光ってますよ。一つ……二つ? 動いてはいないようですが、見えますか?」と斗南が指をさす。
不安がよぎる。豪切は強く拳を握った。
「しえ、斗南殿とこのまま先に登ってくれ、きっとこの上に何かある。わたしは二人を探してくる」
おおむ……おおむ……。しかし、再び三人は怨霊に取り囲まれていた。
「邪魔なのは、お前たちのほうだろう」
そう言って豪切が見上げた中空に八枝子が浮遊していた。
念唱を唱え、そのまま右足を高く上げる。
気合の掛け声をあげて、その足を振りおろし強く地を踏んだ。
ドン! と重い音が地を這う。
取り囲む怨霊たちが音を立てて崩れていった。
その光景に「すごい」と斗南は思わず口にした。口調もそうだが、普段の豪切とは別人のような迫力を感じた。だが豪切は、この程度では奴には手も足も出ないよと弱く言った。
気を取り直し、豪切は今のうちに行けと、紫桜と斗南を急きたてる。
しかし、紫桜は首を縦に振らない。豪切を一人にはできないのだろう。そして、「松宮様は怨霊に当てられてしまいました。いまは祓う時間がありません。それに、もしかしたら加賀島が一緒に——」がさりと草木の擦れる音が話しを打ち切る。
とっさに豪切が紫桜の肩を引き、
「んん!」豪切は声をあげることなくそれに耐え、枝を折った。
「さざめ様⁉︎」「先輩!」
紫桜と斗南が叫ぶ。
悠長に話し合っている暇はなかった。
自分の判断が遅れたせいだ。
松宮たちを放ってはおけなかったが、いまはこの場を離れるしかなかった。
三人は草木をかき分けて森の中を登っていく。
八枝子は悠然とそれを見下ろしているようだったがその表情は違った。歯を剥き出し、ギリギリと噛み締めるさまは悔しさに満ちていた。
豪切の腕に刺さった枝を引き抜いて治療をするが、引き裂いた袴を包帯がわりに傷の上から巻いただけの、およそ治療とはいえないものだった。
すぐに移動を再開し、傾斜の急な森の中を進んだ。目的地は桜紗が気になると言った場所。そこには必ず何かがあると、三人は急いだ。
張り詰めた顔の斗南は、自身が原因でありながら、何も出来ない自分に失望していた。
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