第14話 真泊真
——斗南家。
玄関で二人を見た斗南の母親は、我が子が初めて家に女子を連れて来たこともそうだが、その姿に仰天した。
明るいところで見た斗南は、真泊同様に全身血まみれといってもおかしくなかったからだ。
顔など露出した部分は、赤黒く、表面がところどころ乾いて干からび、ひび割れていてひどい有様だった。
先に足を洗わせてもらい、斗南の部屋に通された松宮は部屋の中央で正座した。
「ごめんなさいね、汚い部屋で。足を崩してゆっくりしていて」
と、母親は息子の着替えを用意している。
「いえ、自主映画の撮影とはいえ、驚かせてしまい申し訳ございませんでした」
「いいえ、大丈夫よ、怪我とかじゃなくて良かったわ。あの子もすぐ出ると思うからちょっと待っててね」
深々と謝罪する松宮に戸惑いながら、そそくさと母親は部屋を出た。
「ふむ、確かに汚い部屋だな」松宮は眼鏡を正し、ぐるりと部屋を見渡した。
——真泊家。
真泊は風呂からあがり、自分の部屋へ戻るとすぐに布団に突っ伏した。
「二十時か」と時間を確認してから少し寝ようと横になったのだが、未だ身体が興奮状態であり、眠れない。
襲われた恐怖と死にかけたこともあって想像以上に疲れていたが、目を閉じると思い出してしまった。
ふと、目の前の布団に黒いシミがあることに気づいた。
それは徐々に大きくなっている。
「何だこれ? 出やがった?」
思わず声に出して飛び起きた。
気がつくとそれは、部屋の天井、壁、床、所かまわず転々と増えていた。
真泊は首から下げた御守りをぎゅっと握りしめた。
「何で? 指……手か!」
黒いシミは手のひらほどの大きさになり、その中心からオイルを塗ったような、青黒い、ぬめり気のある手がニョロニョロと出てくる。
それはすべての黒いシミから出てきている。
掴みかかるその手を払いながら真泊は部屋の扉を開けた——。
しかし、目の前に現れたのはいつもの家の廊下ではなく、暗くジメジメとした洞窟のような空間で、鉄格子のはめられた部屋が三つ。それぞれの鉄格子の横の壁にはロウソクが灯っている。
振り返ると、自分の部屋ではなく、上に上がる石階段があるだけだった。
「……どこだ?……ここ」
「いやあああ、触らないで! やめて、やめて!」
突然女の叫び声が響く。
真泊は驚きつつ、声がする突き当たりの奥の部屋へと歩を進めた。
「だまれよぉ! 生け贄がぁ」
「死ぬ前にいい思いをさせてやろうって言ってるんだよ」
「早くしろ、早くしろよ。この場で殺しちまうぞ」
鉄格子の向こうで、三人の男が狂ったように声を荒げ一人の女を
「やめろ! おい、やめろよ」真泊の言葉は届いていないようだった。なす術なく、鉄格子を両手で掴んだまま動けない。
女の悲痛な叫びと怒りが頭の中に流れ込んでくる——それが、やめろ! やめろ! と頭の中で叫んでいる自分の声と混ざり合う。
苦しい——胸が締めつけられる。
その
ひたいから流れる鮮血と混ざり合う。
いつの間にか、真泊の体は何本もの青黒い手に捕らえられていた。
その爪は、鋭く長い——。
「あ、うわ、ああああ」
ひたいに刺さる爪や腕に絡まる手を振りほどき、迫る手を殴り弾く。
避け、蹴り飛ばす。
「やってやるよ!」叫び、抵抗するものの、一本、また一本と、体の一部を掴んでいく。
次第に動きが取れなくなっていく。
「あ、ああ、うぎっ」
肉に深々と爪が突き刺さり、頭を、ひたいを、頬を、首を、肩を、腕を、手を、胸を、腹を、腰を、太ももをふくらはぎを、足を——引き裂く。
「ぎうっ、あ、あ、ぐううぅああああああ」
視界が闇に包まれていく——。
完全に闇に包まれる寸前、目の前に見たことのない文字が現れた。
それは一文字、一文字増えていき、一文字一文字からだに張り付いていく。
頭に、耳に、手のひらに。
青黒い手も、鋭い爪も、その文字に弾かれて離れていく。気づけば真泊の全身を文字が埋め尽くしていた。
「うるさいっつーの、いい加減にしろ真!」
部屋のドアを開けた姉のまきが見たものは、体には傷ひとつ無かったが、まるで激痛に悶え苦しむかのような形相で意識を失っている弟の姿だった。傍らに引き千切られ、粉々になった御守りが転がっていた。
——斗南家。
「なにをやってるんですか!」
「む! 早いな」
斗南が風呂を出て部屋に入ると松宮が机の引き出しを開けていた。
「『早いな』じゃないですよ、人の部屋を漁るのやめてください。まったく……なんで帰らなかったんですか? 家の人が心配しますよ?」
「もちろん君を待っているあいだに家には連絡したさ、問題無い。うちはもともと放任主義なんでな」
「……とにかく、物色しないでください」と斗南はベッドに座った。
「まあ、ふてくされるな、ただの好奇心だ」
「だから、」と言いかけた斗南を
「まあ、どこか麻痺しているのかもしれない。霊とか、下りても下りても同じフロアに行き着く階段に呪文……『念唱』だったか。こんな常識外れな現象を
思うことがあるのか、少し松宮は沈黙し、続ける。
「ま、豪切氏のお兄さんはみんなを迎えに行くと言っていたが心配でね。君と一緒にいれば置いていかれずに済むだろ」と、それから真剣な表情をすると、ショートボブの黒髪をかきあげて言う、「私は自分の知らないことを知りたい。この目で、とことん確かめたいんだ」
「でも、もし嘘をついてまで先輩や真泊くんを置いていくとしたら、それはとても危険だからってことですよね」
「何も知らずに生きていくくらいなら、この自分の好奇心に殺されたってかまわないよ」
満面の笑顔を見せた。すでに松宮には、桜紗の言っていた『覚悟』ができていた。
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