第30話

 修兵はリビングのリクライニングソファに腰を下ろし、煙草を吸っていた。


 つけっぱなしのテレビが、ひな壇で笑い合うお笑い芸人たちを映していたが、むろん、そんなものは観ていなかった。


「触らないで」


「二度と私の前に現れないで」


 残酷な優希の捨てゼリフだけが、幾度となく脳裏によみがえる。


 唐突にインターホンが鳴り、やっと現実に引き戻された。


 立ち上がってインターホン越しに見ると、朋二が立っていた。


「……朋さん」


 修兵は彼を迎え入れると、ダイニングのカウンターへ座らせ、つまみの皿を用意した。


 ビールの栓を抜いて朋二のグラスに注ぎ、自分のグラスにも注いだ。


「乾杯!」


 二人はグラスを合わせると、しばらく黙りこくってただ飲んでいたが、やがて朋二が申し訳なさそうに言った。


「昼間は悪かったな、挨拶もなしで」


「気にしちゃいねえよ。でも、どうしちまったんだ。なんかやつれたぞ、朋さん」


「なあ修兵。ジンの奴をおめえんとこで預かってもらいてえんだ」


「ジン?……ああ、ムショまで迎えに来てたあいつか」


「頼む」と、朋二はカウンターへこすりつけるようにして頭を下げた。「実は俺がヤバいことになっちまってよ。ジンも俺の下にいたんじゃ先が知れねえんだ。あれで可愛い奴だからよ、巻き添えにはしたかねえんだ」


「ヤバいって……狙われてるってのか?」


 朋二は肯いた。


「誰に?」


「決まってらあ、組長と祐二よ」


「じゃあ、先代の恩義をカサにきて組長にたてつく奴ってのは……」


「祐二がそう言ったのか」


 朋二はククッと咳き込むように笑った。


「そうよ。俺のことさ」


「何があったんだ、朋さん。俺のいないこの三年の間に?」


「先代が亡くなられたのは知ってるな」


「ああ」


「おめえがムショへ送られて間もなくだった。それからはもう無茶苦茶よ。前田や石橋すら殺られちまって、組はすっかり変わっちまった。今じゃあの組長、俺らのしのいだ分、全部こっそり自分のものにしてやがるんだ。祐二と二人でな。財テクだ何だっててめえの腹肥やすことばっか考えやがって……どうにもならねえよ、もう。行くとこまで行くっきゃねえんだ。俺は決めたよ。親父も組織も何もかも捨てる。捨ててモモヨと二人でよ、もう一度人生をやり直すんだ」


「足を洗うってのか?」


 朋二は肯いた。


「そうか」


 修兵は黙ってビールを飲んだ。


 そして、グラスを置いてもう一度呟いた。


「……そうか」



 ************************************************



 修兵は朋二をマンションの玄関まで送って出た。


 上着のポケットから煙草を一本抜き出した朋二に、修兵は素早くライターの火を差し出した。


 朋二は煙を胸いっぱいに吸い込むと、星空を見上げて振り返った。


「ちょいと冷え込んできたな。ここでいいよ、修兵」


「そこまで送るよ」


「いいんだ……それよか修兵。ジンのことよろしく頼んだぜ」


「ああ、できるだけのことはする。朋さんの頼みだもんな」


「すまねえ」


「なあ朋さん。落ち着いたら、手紙の一本もくれよな」


 朋二は肯き、ゆっくりと階段を下りて行った。

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