counseling
相談室
階段を降りて、人の気配すら希薄な西館一階に辿り着く。人によっては身体測定とか健康診断とか、それぐらいでしか来ることがないであろうフロア。
教室にいたときよりも吹奏楽部の楽器の音は遥かに遠くて、運動部の掛け声は、どこよりもグラウンドに近い場所のはずなのに、意識を向け続けていないと消えてしまいそうに感じる。
保健室の前を足早に通り過ぎて、隣の部屋の前に立つ。もとは別の名前の部屋だったのだろうか。窓のない木製の扉の上には、色紙で手作りしたらしい「相談室」と書かれた札が、カラフルな見た目とは裏腹にひっそりと掛けられている。
ドアノブに手をかけて、それでもなんだか思い切りがつかなくて、音の出ないようそっと手を離した。
一度、深呼吸。私は何をしに来たんだっけ。頭の中を整理する。
篠山さんは、いったいどんなことを話したんだろう。今の今まで、どうしてそれを気にしていなかったのかが分からなくなる。本当に、人付き合いが苦手ですと言ったのだろうか。それとも、私の邪推した通りに友達ができませんと言ったのだろうか。
どちらも――想像できない。自分がそう言っているところを想像できない。言いたくもないし、言えないだろうし、それが悩みなのかどうかも実のところ、よく分からない。
そもそも彼女はどういう相談をして、どんなアドバイスをもらった結果、あの昼休みの笑顔に辿り着いたのだろう。
遠い世界で、誰かがサッカーボールを蹴った。ボールの中で空気があげる甲高い悲鳴に引っ張られて、運動部の喧騒が静かで薄暗い廊下にずかずかと侵入してくる。私の頭の中はかき乱されてしまって、なんだか考えることが面倒くさくなる。
もしかしたら、誰もいないかも知れない。そんな思いがふわりと浮かぶ。相談室に誰もいなければ、それですっきりする。相談するための言葉を考えるよりも、そういう抜け道を考える方がずっと楽だった。
誰もいませんように。本末転倒な希望を胸に、再度ドアノブに手をかける。そのまま力を加えて、私は全身から力が抜けるのを感じた。
押しても、引いても開かない。鍵がかかっているのだ。今日はスクールカウンセラーの人はいないんだ。
「ああ、ごめんごめん」
男の声がぱたぱたという足音と一緒に近づいてきて、力の抜けきっていた全身に緊張が走った。見ると、よれよれのスーツにくせ毛のメガネ男が、サンダルをぱたつかせながら駆け寄って来ている。教師のような出で立ちに見えるけれど、初めて見る姿に私は息を飲むことしかできなかった。
「ごめんねえ、きみ、相談室に用だったんだよねえ。ああ、えっと、僕が相談室の――スクールカウンセラーの深澤だけど。職員室に用があってさ、少し留守にしていたんだよ。さあ、どうぞどうぞ」
深澤と名乗ったスクールカウンセラーは、私に返事をする間も与えずににこにことしたままそう言い切ると、鍵を開けて、迎え入れるように振り向いた。首からかけた名札には、彼の名乗った通り「スクールカウンセラー 深澤誠」の文字。
駅で人波に押し流される時と同じような感覚。ごく自然に、何を考えるでもなく、私の足は相談室に吸い込まれる。
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