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私は自分の部屋のベッドから起き上がり、眼鏡をかける。
眼鏡のおかげで私の世界は少し鮮明になる。
彼も眼鏡をかけていた。
彼の眼鏡は、彼の理系教科が得意そうなイメージと重なって、さらに彼の良さを引き立たせる。
その眼鏡の奥には、まるでこの世界の闇と光が揺らいでいるような瞳が映っていた。
彼の瞳は確かに、光を見ていて、彼は光のほうへ歩こうとしている。
でも、どこか……闇を孕んでいるようにも見えるのだ。
私が好きなのは、彼に少し闇が覗くところだ。
でも、きっと、無意識的には、彼の明るい部分も好きなのだろう。
少し天然パーマの入った、大学時代染めようかどうか迷って結局染めなかったという髪は彼によって清潔感のあるように整えられ、顔には昔のニキビの跡が少し残り、何もしなかったら結構濃くなりそうな雰囲気のあるひげを綺麗に剃っている……そんな彼の姿のどれもが少し、私には可愛らしく見えた。
私が一番好きな彼の服装は、春や秋くらいの季節に、白シャツの袖を少しまくり、手首につけた少しごつめの銀色の腕時計を見せ、銀色の金具のついた黒いベルトを締め、暗めの色の長ズボンを履いた姿だった。シンプルで好きだった。
また、彼は冬、グリーンと青の混ざったような爽やかな色のさらっとしたニットや、ワインレッドのニットカーディガン、深い緑色のニットカーディガンなど、自分に似合う色を身に着けていた。
彼の、ざらついた木の板をやすりでなめらかにしたような、温もりのある声が私の耳をそっと撫でていく。
彼のまっすぐな手首の、その先に握られた鉛筆から美しく綴られていく彼の数式。
少し丸みのある彼の文字。
私の疑問点をやわらかく解きほぐしていく彼の言葉。
彼の文房具が綺麗に整理整頓された、職員室の中の彼の机の中。
小さくなるまで大切に使われている彼の消しゴム。
彼が私の赤ペンでバツをたくさんつけた数学の問題集に触れ、少し、私のその問題集を持っている手と重なる。
私は彼に数学の質問をしているとき、世界は彼と私の二人きりであるような錯覚に陥る。
数学の質問のついでに色々と相談もした。
いや、相談したかったから数学の質問をしていたのかもしれない。
彼と話しているときはとても安心するし、話しているうちにもっと近づきたいと思った。
試しに彼以外の高校の先生や大学教授でも似たようなことをしたこともあるが、やはり彼以外では何も感じない。
もちろん、この人親切だな、この人優秀だな、とか、この人頭いいな、とかは思う。
でも、彼に対してだけ、胸が苦しい感覚がするのがとても不思議だった。
私がそう思いたいだけかもしれない。
私は、彼に自分の弱さを受け止めてほしかった。
「中三の頃ぐらいから、授業中に周りの視線がやけに気になるようになって、気にしないようにすればするほど気になるというか。で、ネットで調べたら脇見恐怖症っていうらしいんですけど、ひどいときは先生の話がちゃんと聞けないんです」
「そうなんだね。そういうさ、なんていうんだろう、授業を普通に受けるのが辛いっていう生徒のために新しい授業の形を作れたらとは考えているんだよ」
脇見恐怖症とは中学時代からの親友である。症状が出たときは自分の髪や手を使って、必死に自分の視線を隠すようにしていた。
彼は私にこうも言った。
「意外とね、周りの人は自分以外のことなんて気にしてないから、そんなに周りを気にしなくて大丈夫だよ」
彼の温かい声。私は自分の視線が怖くなったときにはこの言葉をお守りのように抱きしめている。
症状がすぐに良くなるというわけではないけれど、なんとなく落ち着く。
眼鏡。
私は過去に囚われていたようだ。
私は眼鏡を外す。
視界がぼやけていく。
外した眼鏡を眺めていると、目が痛痒くなった。
次第に右側の視界が黒くぼやけていく。
目の痛痒さは強くなり、私の目から黒い塊が生まれてくる。
目がゴロゴロする。
右側の視界がすっと戻ったと思うと、私の目の前には黒い眼球の形をした物体が私をじっと見つめていた。
「レイアは目が見えないぞ」黒い眼球が話す。
「でも、彼女は言葉が分かるわ。彼女の父……、おとうさまのおかげで。彼女は盲目で闇の中にいたけど、父の愛や美しい物語に囲まれていて、彼女の心はきっと光の中に在ったのよ」私は答える。
「闇の中に在るから、より一層光り輝くものもあるのか」
「あると思うよ」
私がそう言うと、黒い眼球のような物体はぱちくりと目をつむってまばたきをした。
「ところで、夢の中に行かないか?見えてくるものがあると思うぞ」
「……分からないけど、まだその時じゃないと思うの」
「そうか」
それはそう呟いて、深いまばたきをした後ふいと消えた。
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