第18話:不知案内

(「あの夜、あなたは宝石の目をしてた」)


 晴人が買ってきた大縄で遊ぶ花鈴、藤太、ミドリをベンチから眺めながら、勇吾は思索に耽っていた。


(やっぱり、本当にあったことだったんだ)


 元々、自分の神力や本殿で対面した時の要の反応からほとんどわかっていたことだったが、いざ事実を突き付けられると不思議な感慨深さがあった。


 要との衝撃的な出会いも。

 『あかい人影』との遭遇も。

 彼女からの抱擁も。

 神力を——少々ショッキングな方法で——受け取ったことも。

 その力で『あかい人影』を撃退したことも、全部。

 現実にあったことなのだと——ようやく、認識した。


 現実だとわかった今だからこそ、自分が意識を失った後に自宅へ送り届けてくれたのが要か三玉神社の誰かだったのだろうと想像がついたが、『あかい人影』の正体や、自分があの日あの場所にいた理由、そして、


(僕があの『宝石の瞳』を持ってたのは、何故か……それに、要さんに指摘されるまで僕も、誰も気付かなかったのはどうして?)


 という、いくつもの疑問が残っている。

 後者については要から、


「本来、人間は神力を持てば神力を持つ荒御魂や神を視認出来るようになる。神徒に『宝石』の機能は無駄でしかないから、神徒となった後は発動しなくなったのだと、予想する……」


 と意見をもらった。

 話す彼女の表情は、何か嫌なことを思い出しているかのように憮然としていた。

 その表情の理由はわからない。


(僕はまだ、要さんのことを何も知らないんだ)


 それが必要なことかどうかは、今はまだ何とも言えないけれど。

 何にしても、


(今は僕のことはどうだっていいんだよ)


 謎がいくつ残っていたとしても、神徒となった今、勇吾の『宝石の目』はもう発動しないと思っていい。ならば、気にするべきは勇吾ではなく、


「ゆーごおにーちゃーん、はるとがこっち来いってー」

「……うん、今行く!」


 花鈴の声を聞いて、勇吾は思考を一度やめて立ち上がった。

 駆け寄ると、


「おい花鈴、前から思ってたけど、勇吾がお兄ちゃんでオレが呼び捨てってどういうことだよ」

「ゆーごおにーちゃんはおにーちゃんっぽいんだもん。はるとは、はるとだよ」

「ンだそれ! じゃあ藤太は?」

「とーたさん」

「……、まあ、いいか」


 言い合いになりかけて収まったらしい花鈴と晴人、それから、


「ミドリさん、時計回しっていうのはこっち側に回すことで——」

〈 トケイ ッテ アノトケイ ? 〉

「あ、そうです。あの公園の時計の針が回るのと同じ方向に回すんです。反時計回りはその反対」

〈 ワカッタ ツギハ デキル 〉


 縄の回し方についてレクチャーする藤太と、こくこくと頷きながら聞いているミドリの姿。

 緊迫感に満ちていた初対面から一週間、三人は順調に花鈴とミドリとの仲を深めていた。

 ミドリからはまだ完全に信頼を得られていない気がするが、花鈴とは勇吾もそれなりにコミュニケーションを取れるようになっていた。

 その光景は荒御魂がいるとは言え——今も花鈴の瞳は宝石の如く輝いているとは言え——平穏な日常そのものだった。

 ここ数週間ほど、とんでもない経験ばかりしてきたからか、ゆったりと流れていくようなこの時間は何とも得難い、と勇吾は思って——


「……あの子まだここで遊んで……」

「……高校生がいる……絡まれてるのかしら……」

「……あの親だもの……学校にも行けないのよ……」


「……」


 声の方を見ると、数人の——恐らく主婦の女性が、公園のすぐ外でひそひそと話し込んでいた。いわゆる井戸端会議、だろうか。

 同時に気付いた藤太が、


「ミドリさんの神力がないから、人が近寄れるようになってるんだ」

「そっか、今まで人払いがされてたけど……」

「ミドリには初めのうちに神力は使わないように言ったけど……人が来るってのも、良いことばかりじゃねえな」


 後ろに隠れる花鈴の頭を安心させるように撫でながら、晴人は苛立たしげに呟く。


〈 …… 〉


 二人を見ていたミドリはその視線を辿ってゆき、その先に立っていた人間たちを見つけると、


〈 …… 〉


 す、と彼女たちに向けて手を伸ばしたかと思えば、薄紅色の瞳から同色の光をあふれさせて——


「待て」


 ぴた、と光が止まる。

 呼び止めた人物を不思議そうに見るミドリ。


〈 ナニ ? 〉


 彼は背中に隠れていた花鈴の頭をひと撫でした後、ざっ、ざっ、とミドリの前に歩み出て、


「そんなことしなくたってな——」


 すうっ、


「奥さん方! 聞こえてますよ〜!」


『⁉︎』


 ぎょっ⁉︎ と主婦たちが晴人を見た。まさか呼ばれるとはカケラも思っていなかったというような表情だ。


「立ち話って誰が聞いてるかわかんねーし、気をつけてくださいね!」


 ニカッ! と笑いかける晴人。


『……!』


 面食らった主婦たちはわ、とかま、とかあ、とか口をパクパクさせた後、


「……お、お気遣いどうも」


 ひとりの主婦が応えたのを合図に、そそくさと道の彼方へ消えていった。

 後には昨日と変わらない——昨日よりは穏やかな空気が残る。


「な。神力使わなくたってどうにかなったろ?」


 くるっと振り返って笑う晴人を、ミドリはパチ、パチと静かに瞬きをして見つめた。

 それから、


〈 ン 〉


 こくん、と頷く。

 それを見た晴人は嬉しそうに笑った。

 勇吾と藤太も、一般人がいる目の前で荒事が起きるかと身構えていたが、素直にミドリが聞き入れたことで緊張を解いた。

 晴人の言葉を聞くミドリの姿は、道具の使い方を教わる小さな子供のようで。


(本当に、何も知らないだけ……)


 その時勇吾の脳裏を過ぎったのは、瀬利と歩いた夢。

 何かもを知らなかった頃の自分を、彼はミドリに重ねていた。


「そろそろ帰ろーぜ。日も落ちそうだし」


 息をひとついた晴人が言う。

 見上げると、空は綺麗な夕焼けに染まっていた。まばらな雲が赤い日差しを映して、美しい光景を演出している。ただ、言葉以上に黒い雲が混じっているのが少々不気味にも思えて、勇吾はすぐに視線を落とした。

 それから持ってきた遊具を片したり、自分たちのカバンを背負ったりと各々帰る支度をしていると、


「……あ、ぼく、ちょっと寄りたいところがあるのでお先に失礼しますね」

「え、藤太く——」


 呼び止める間もなく、藤太はいそいそとリュックを背負ったかと思うと走って公園を出て行ってしまった。

 その背中を見ていた晴人は「せわしねえなあ」と呆れ混じりに呟く。

 それから手持ち無沙汰に佇んでいる花鈴の方を振り向き、


「じゃあ花鈴、また明日な」

「うん」


 ふりふり、と小さな手を振る少女に振り返して、公園を出た。

 あ、と足を止めた晴人が振り返って、


「気をつけて帰れよ!」


 呼びかけた先、花鈴の笑顔には、


「……うん」


 何か、言い出したいのを堪えるような、僅かな苦味が込められているような気がしたが──勇吾も、晴人も、それを指摘出来ない程度には、少女のことを知らなかった。



 ***



 大人たちがいなくなった後、あたりはすっかり暗くなって、冷たい風が肌を刺し始めた。長袖ではあるが、決して厚くはない腕をさする。

 ふら、と公園の出口へ歩いていく友達の背中に、花鈴はおずおずと訊ねた。


「……ミドリ、今日もいくの?」

〈 ウン 〉

「……わかった」


 頷いて、その背中を追いかける。

 花鈴には不思議だった。


(どうしてこんなに、胸がくるしいんだろう)


 ミドリが元気になるようにと始めた怪物探し。

 最初は花鈴が先頭を歩いていたのに、今はミドリが前に立っている。

 初めて出会った時は今にも消えてしまいそうだった。

 元気になってきたのだ。

 嬉しいことだ。

 そのはずなのに。


(ミドリが、とおくにいっちゃう──)


 ぎゅ、と。

 無意識のうち、歩くミドリのシャツの裾を握る。


〈 ……ドウシタ ? 〉

「……あ」


 振り向いたミドリは、花鈴を気遣う優しげな表情を浮かべていた。

 晴人はもっと笑え! と言っていたが、花鈴はこの顔が好きだった。

 この顔を見ると、かちかちになった肩の力が抜けて、安心する。

 こころは、少しだけで良かった。

 多すぎると、びっくりしてしまう。

 花鈴は迷いを振り払うように首を振って、


「なんでもない……にぎってていい?」

〈 ウン 〉


 寄り添って歩いていく。

 暗闇の奥の奥に蠢く、異形の怪物を探しに。




【第19話に続く】

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