第16話:妖異幻怪

「よう!」


 いつも遊んでいる公園。

 掛けられた声に、花鈴は警戒心と共に振り返った。


「昨日はありがとうな! マジ助かったよ!」

「あ……」


 張り詰めた心に虚が差す。

 昨日コンビニへの道を尋ねてきた大人が、手を振って立っていた。


「べ、べつに……道をおしえただけじゃん」


 その笑顔が何故か眩しくて、ふいっと顔を背ける。


「いやいや、本当に助かったんだって! ほらこれ」

「……?」


 差し出されたレジ袋をしげしげと見てみると、少しだけ透けていた中身は、


「お礼。甘いの好き? しょっぱいやつも買ってきたけど。どれでも好きなやつやる。全部でもいいぞ」

「……わあ」


 知らず、声が漏れる。

 キャンディ。

 ビスケット。

 チョコレート。

 ポテトチップス。

 どれもこれも見たことはあっても、食べたことのないものばかり。

 派手なパッケージの全てが、宝石のようにキラキラと輝いて見えた。

 しかし。


「……いらない」


 再びそっぽを向く。

 それ以上見ていたら、勝手に手が伸びてしまいそうだったから。

 大人は意外そうに首を傾げて、


「なんで? 嫌いだった?」

「……知らない人からものをもらったら……ダメだって」

「ああ、親御さんか」

「……」

「偉いね。言いつけ守って。オレなんか無視してばっかなのに」

「……えらくなんか、ない」


 首を振る。

 自分は悪い子なのだ。

 知らない人からものをもらってはいけない。

 これしか守れない。

 それ以外は、何も……


「そっか〜」


 ばりっ。


「じゃあオレが食べるか」

「えっ」

「え?」


 花鈴は思わず大人を見た。

 レジ袋を腕に引っ掛け、ポテトチップスの袋を開けた彼も目を丸くしてこちらを見ている。


「いらないんだろ?」

「い、いらないけど……いらないけどっ」


 言いたい言葉が上手く出てこずやきもきする。

 両腕を頭にやったり振り回したり、あれこれ試した末に、


「なんでここで食べるのっ!」


 どうにか捻り出したそれを、


「食べたくなったから?」

「……!」


 一言であっさり返され、花鈴は今度こそ言葉を失った。

 そんなの、こっちじゃどうしようもない。

 更に追い打ちをかけるように──ぐぅ、と。


「っ!」


 咄嗟に腹を押さえてしゃがみ込むが、時すでに遅し。

 にんまりと笑った大人はポテトチップスの袋を花鈴の目の前に出して、


「ほれほれ、食べたいんだろ〜。食べたっていいんだぞ〜?」


 その誘惑を振り払うように花鈴はブンブンと首を横に振る。


「だっ、ダメだもん。お菓子なんか食べたら夕ごはんが食べられなくなるって言ってたもん……!」

「今はおやつの時間だ。なら大丈夫だろ」

「おやつってなに……?」

「……、お菓子を食べても許されるってことだよ」

「そ、そんなの知らない」

「じゃあこれでひとつ物知りになったな、食べていいぞ!」

「え、え、え──」


 と言われてぐぐいと鼻先に突きつけられたそれからは、今まで嗅いだことのない、とても──いい匂いがした。

 気付けば、


「──」


 花鈴は袋に手を伸ばし、薄くて黄色いそれを摘んで口に運んでいた。

 ぱり、ぱり、と軽い食感と、


「──!」


 今までに食べたどれよりもしょっぱくて、ほんの少しだけ甘くて、とても、とてもとても、


「……おいしい」


 それをきっかけに、花鈴は次から次へと袋の中に手を突っ込み、中の「おいしい」を掴んで口に入れる。

 ぱりぱりざくざく、一心不乱に食べ続ける花鈴の様子を、


「他にも色々あるんだ、お菓子は逃げないぞ?」


 と、大人である晴人は微笑ましく見守っていた。



 ***



一方。


「……なんか、上手く行ってる感じ?」

「そうだね……」


 勇吾と藤太はと言うと、二人の姿を生け垣の陰から眺めていた。

 晴人が出て行ってからずっとしゃがみっぱなしだからと言うだけではないだろう、何とも言えない居心地の悪さと共に。


「これ、ここからどうするんだっけ」


 と言う勇吾に、ええと、と藤太が答える。


「空井先輩があの子と仲良くなって、荒御魂との繋がりを調べる手筈だけど」

「あの様子なら大丈夫そう……かな?」

「今のところ、ぼくらの出る幕は無さそうだね」

「うん、でも」


 周囲を見回す。

 自転車や人が行き交い、空の陽気と合わせて穏やかな日常、といった風景。

 そこに昨日のような、不穏な神力の気配はない。

 平和そのものと言える。

 しかし、早く任務を達成したい勇吾にとっては──恐らく藤太も──素直に歓迎出来る状況とは言えなかった。


「荒御魂、いないね」

「昨日ので警戒されたかもしれないな……」


 顎を指で撫でながら呟く藤太。

 その言葉で、勇吾はふと疑問を抱いた。

 人間である少女、花鈴はともかく、


「荒御魂が警戒することってあるの?」


 うん、と藤太は膝をつく足を入れ替えながら頷き、


「荒御魂は、持っている神力が増えていくにつれて独自の自我を持つようになるんだ。大体は子供ぐらいの知能だけど、中には明瞭に会話出来る個体もいるよ」

「へぇ……」

(あ)


 その言葉で勇吾は、ぐらりと心の底の決意が揺れるのを感じた。

 過去に戦ったぬいぐるみも、ゾンビも、何らかの意思──というより感情を元に行動しているように見えていた。

 ただし、それによって動かされている、と言うわけではなく。

 感情を模倣もほうしているように見えた。

 さよりが言っていた神力の『性質』に従って、似た言動、似た行動を取っているように見えた。

 真似ているだけでは、必ずどこかに違和感が生まれる。

 その違和感があったから、今まで荒御魂を討伐することに対して罪悪感を抱くことはなかった。

 だからもし仮に、自分の意志を持っている個体と出遭ったら、


(僕は……戦える、のか?)


「内海くん?」

「っ」


 藤太の、案じるように呼びかけられた声で、勇吾は現実に引き戻された。

 何でもないよ、と返し、勇吾は公園にいる二人に視線を戻す。

 胸の内で呟く。


(関係ないことだ)


 今は任務を遂行することだけを考えればいい。

 目標の荒御魂は神力充填率が三十二パーセントだと言う。

 一人が対処出来る限界とは言え、この数値ならまだ大丈夫のはずだ。

 会話出来る個体では、ないはず。

 根拠はなかった。

 そこに、


「おうい、二人とも! こっち来いよ!」


 晴人がこちらに向かって手を振ってきた。

 隣ではポテトチップスの袋を抱えた花鈴も二人を見ている。

 初対面の時よりは警戒心が薄れているように見えるが、それは今まで話していた晴人に対してだけ。

 恐らく、晴人は二人にも会わせて慣れさせようとしているのだろう。


「この二人が、オレの友達の勇吾と藤太だ……ってほら、隠れるなって」

「……」


 駆け寄っていくと、花鈴は晴人の後ろにすっと隠れた。

 その眼差しは、やはり身構えている人間そのものだ。

 いつの間に勇吾と藤太を下の名前で呼んでいることもだが、


(もうそんなに仲良くなったのか)


 子どもの警戒心を不自然なく解いてしまうあたり──そして、いきなり名前で呼び捨てされても不快感を覚えないあたり──晴人のコミュニケーション能力の高さが窺える。

 何を食べたらそんな風に育つのだろう。わりと真剣に気になった。


「は、初めまして、勇吾だよ」

「藤太です……」


 固い笑顔で挨拶すると、花鈴はじと〜っ、と二人を値踏みするように見ていたが、やがて。


「……花鈴」


 小さく呟いた。許されたらしい。

 それを見て晴人はうんうんと頷いた後、


「そんじゃあ、皆でお菓子でも──」


〈 カリン 〉


『‼︎』


 言葉の端に甲高いノイズを帯びた、青年の声。

 三人は一斉に公園の出口を見た。

 緑髪の青年の姿をした荒御魂が、真っ白なシャツの胸元に紙の包みを抱えて立っていた。

 薄紅色の目を僅かに見開き、四人を──いや、花鈴を見つめている。

 勇吾は武器を構えるか迷った。

 この時点でアレは花鈴を認識しているとわかったのだ。

 今すぐ斬りかかって、先手を打つべきか──


「──あ、ミドリ!」


 花鈴が、荒御魂に向かって走り出した。

 たったったっ、と。

 嬉しそうな足取りで。


「え」

「ちょ」

「ま」


 予想外の光景に固まる三人。

 そして、荒御魂のところまで駆けていった花鈴は、


「ミドリー!」


 ばふっ! と。

 信じられないことに、抱きついた。


『……は?』


 声が重なる。


〈 カリン ボクニサワッタラ ダメ 〉

「服にしかさわってないも〜ん」

〈 ソウカ 〉


 すりすりと甘えるように白いシャツに頬を擦りつける花鈴の頭に荒御魂はサイズの大きなシャツの袖に隠れた手を置き、さら、と撫でた。

 花鈴は「んふふ」と満足げに笑みを漏らして、


「あ、ごあいさつしなきゃ」


 くるりと三人に向き直った。

 隣の荒御魂を示して、


「この子はミドリ。わたしのたいせつな友達」

〈 …… 〉


 青年の姿をしたそれはこちらを見ていた。

 その表情に感情は見えず、何を考えているのか一切読み取れない。

 本来であれば、荒御魂と花鈴の関係をすぐにでも問い質さなければならないのだろう。

 ただ。


「……か、花鈴」


 晴人が、掠れた声で少女の名を呼ぶ。

 これまでの全てが些細になる程、勇吾たちは更なる驚愕に見舞われていた。

 それは荒御魂に対して


「なに?」


 首を傾げる花鈴の、つぶらな茶色の瞳。

 さっきまで普通だった、瞼の下に。


「その目……どうした?」


 


「え?」


 ぱちぱちと瞬きをする花鈴。

 瞳が、陽射しに反射してチラチラと妖しく煌めいた。




【第17話へ続く】


 

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