第15話:先従隗始
三玉神社を出てすぐ、晴人が口を開いた。
「で、任務って何すんの?」
「知らないで来たんですか……」
涼しい顔で言う彼に呆れる勇吾。
「だってオレ、神社に来いって言われただけだし」
「普段は行かないんですか?」
「行く意味ねーもん」
「え、討伐とか……」
「めんどい」
「ええ……」
(じゃあなんで神徒になったんだこの人……)
二の句が継げなかった。
一方の藤太はあまり気にした様子もなく、
「最近急激に強くなっている荒御魂を調査、討伐する任務です」
簡潔に告げられたそれにふむ、と晴人が呟いて、
「急激ってどれくらい?」
「実千流さんによれば、最初に観測された時は九パーセント、現在の推定充填率は三十二パーセントとのことです」
「うえっ、結構強くなってんな……」
「そうなんですか?」
嫌そうな顔をする彼に尋ねると、晴人は一瞬「そんなことも知らねーのか」と言いたげな表情を浮かべたが、すぐに、
「ああ、そういや新人なんだっけか。じゃあ教えてやるけど、荒御魂って、充填率三十パーセントが神徒ひとりで対応出来る限界って言われてんだよ」
さよりと共に戦ったゾンビの荒御魂は八パーセント。
勇吾としては苦戦した印象しかなかったが、さよりは全くそんな様子ではなかったし、単に勇吾が弱すぎた──経験不足だっただけなのだろう。
(そう言えば、あのぬいぐるみの荒御魂はどれくらいの強さだったんだろ?)
後で実千流に聞いてみようと思いながら、
「と言うことは、今回は三人で戦って倒せる相手ってことですか?」
「そー言うことだな」
頷く晴人の隣で、
「油断は出来ないよ。今は更に強くなってるかもしれないし、いざとなったら救援を呼ぶことも検討しておかないと。周辺の状況を鑑みても、今回の相手は不安要素が多いから」
「な、なるほど」
はきはきと喋るクラスメイトに勇吾は意外を隠せない。
この数十分あまりで、水守藤太という人間の印象がかなり変わっていた。
(こんなにしっかりしてたんだ)
と思うのは失礼かもしれないが、それくらい勇吾の彼に対するイメージは「よく知らない、目立たない人」というものだった。
それで、と晴人が藤太に向かって、
「どこに行けばいいんだ?」
「神社から歩いて10分ほどの公園に頻繁に出現するみたいです」
「意外と近いな。これだけ近かったらあの
「……」
その名前に思わずぐむ、と口を噤む勇吾。
導かれるように、約一週間前──三玉神社の廊下で、仁科要から告げられたことを思い出す。
(「己の意志がない者は、すぐに死ぬ」)
(「そして、周りもそれに巻き込まれる」)
さよりからは「考えるより先に無我夢中になれ」と励まされて決意を新たにしたが、要の言葉が頭から消え去った訳ではなかった。
むしろ、大事な人を守ると言う目標に向かうのであれば、忘れてはいけないと考えるようになっていた。
「仁科さんは基本的に楽ノ神さまの命令で動く人だから、気付いていても見過ごしてるんだと思います」
「え、そうなの」
意外な言葉に思わず反応する。
藤太は頷いて、
「楽ノ神さま曰く、首輪を着けておかないと何するかわからない、ってことらしいよ」
「……へえ……」
瑞樹曰く、要は場に残った神力を絶対に逃さないらしい。
あの瞳の苛烈な輝きを知っていると、その処遇も頷ける。
しかし、
(あの夜も、命令だったのかな)
血塗れになって空から降ってきたあの日。
もし『あかい人影』が荒御魂だったのなら命令だったんだろうと察しがついたが、
(アレは、荒御魂とは違う気がするんだよな……)
何故かはわからない。
ただ、あの
要と『あかい人影』に、因縁のようなものを感じたのだ。
(……気のせいかもしれないけど)
言い訳のように内心で呟く。因縁だの意思だの、パッと見でわかれば苦労しなかったことなど過去に幾らだってあったのだ。今回だってその例に漏れない。
そうに決まってる。
「あれです」
「!」
藤太が指差した先を見ると、木に囲まれた小さな公園があった。
柵の向こうにブランコと滑り台が見えるが、そこまで広くはなく、団地の中にある公園くらいの規模のように見える。
敷地を囲うように設えられた生け垣にはツツジの木が鬱蒼と茂っている。時季ではないので花は全く咲いていない。
近くまで行ってみると、ツツジの影に砂場があった。
遊び声が聞こえてくる。
小さな女の子と……勇吾たちと同じくらいの年齢の、男の声。
その姿を見た瞬間、
「ッ……!」
勇吾は反射的に小太刀を握っていた。晴人も瞳を橙色に染めて身構えている。
藤太はその二人の腕を咄嗟に掴み、
「一旦こっちに……!」
小声で囁き、生け垣の陰に引っ張って行く。
三人でしゃがんで額を突き合わせ、
「アレ、どういうことだよ」
最初に、額に汗を浮かべた晴人が言う。
勇吾もひどく困惑していた。
砂場で遊んでいるのは人間と、荒御魂だった。
人間の方は小さな少女。小学校低学年くらいだろうか。色とりどりの布が縫い合わされたワンピースを着て、砂場にしゃがみ込んで砂の山を作っている。
それを見ている青年が、荒御魂。
淡い緑色の髪を風に靡かせ、少女の隣にしゃがんで
二人はただ砂場で遊んでいるだけのように見える。
だが、
「あの荒御魂、神力隠す気ゼロじゃない……?」
「周辺の人通りが全くないのも、アレのせいだろうね……」
男の姿をした荒御魂からは、段々慣れてきた神力の気配が肌で感じられる。
そして藤太の言葉通り、何も知らなければ無意識のうちにここから遠ざかりたくなる。そんな空気に満たされていた。
疑問なのは、
「けど、なんで女の子は平気そうなの?」
「それは……」
「荒御魂に気付いてないだけだろ」
「いえ、それにしても不自然です。アレが放つ神力は人払いの力を持ってる。影響を受けないはずがない」
「だとしたら」
浮かんだ推測を勇吾は口にする。
「あの子は荒御魂のことが見えてて、ほんとに一緒に遊んでるだけ、とか……?」
「んな訳ねーよ」
即座に否定する晴人。
藤太もそれに続くように、
「荒御魂は神力を持つ者にしか見えない。あの子は正真正銘人間だよ。もしかしたら上手く神力を隠している神徒かもしれないけど、それでも荒御魂と一緒にいる理由がない」
「あー……そ、っか」
(あれ……?)
言いながら勇吾はその言葉に引っ掛かりを覚えたが、それが何なのか思い当たらない。
もう少し頭を捻りたかったが、
「とにかく、接触してみましょう。状況によっては、あの子の命が危ない」
「……! そ、そうだよね。助けないと」
藤太の言葉で一旦思考を止めた。そのうち思い至るだろうと信じて。
でもよ、と晴人が口を挟む。
「ただ話しかけるだけじゃ、警戒されるんじゃねーの?」
「……確かに。もし人質にでも取られたら更に厄介なことになりますね」
「……なら、どう、する……?」
『……』
勇吾の問いかけに答える者は誰もおらず、三人の間に沈黙が落ちる。
やがて藤太が口を開く。
「……じゃあ、ひとまず──」
「アンタたちだれ?」
『‼︎』
バッと振り向いた先に、砂場で遊んでいたはずの少女が仁王立ちで三人を見下ろしていた。
その眼差しは明らかな敵意と警戒心に満ちている。
「花鈴たちになにか用? さっきからじろじろ覗いてきて、あやしいのよ!」
「ええと……」
「う……」
全くその通りなので勇吾の口からは何も反論出来ない。藤太はさっきまでの冷静さはどこへやら、焦りを隠せずに目を泳がせている。
コミュニケーションのコの字もまともに取れずにいる二人を救ったのは、
「や、違うよ。オレら、たむろってただけなんだ」
朗らかな笑顔で花鈴というらしい少女に話しかける晴人だった。
花鈴は小首を傾げ、
「たむろ?」
「ここで喋ってただけってこと。てかさ、コンビニ知らない? この辺あんまりわからなくてさ」
「え……と、この道をまっすぐいって、二番目の十字路を右にまがったとこに……」
「わかった! 助かったよ、ありがとな」
ことの他素直に教えてくれた少女ににかっと笑いかけ、「ほら、行くぞ」としゃがんだままの勇吾と藤太の背を膝でぐいぐいと押してくる。
えっ、とかあっ、とか言いながら勇吾と藤太は晴人に追い立てられるように歩かされる。
訳もわからぬまま、しかし勇吾は気になって後ろをチラッと見た。
「!」
緑髪の荒御魂が、花鈴のすぐ後ろに立っていた。
その視線は真っ直ぐこちらを鋭く睨みつけている。
どのような意思か──荒御魂に意思があるのかは不明だが──その薄紅色の瞳は、花鈴を害するというより、こちらを警戒しているように思えた。
まるで、花鈴を守る、とでも言うように。
その眼差しは勇吾たちが角を曲がるまで途切れることはなかった。
やがて周囲に満ちていた神力の気配が失せた後、
「いいんですかアレで」
勇吾が訊ねると、少女に教えられた道を平然と歩いていく晴人は、
「むしろこれくらいの方がいいんだよ。今怪しまれかけただろ?」
でも、と声を上げたのは藤太。
「折角目標を見つけたのに離れていっては」
「三守よ、今回の任務には調査も含まれてる。そうだろ?」
「そ……そうです」
なら、と晴人は両脇を歩く二人の肩にどさっ、と腕を乗せ、
「オレたちがまずやるべきことは、あの花鈴って子と仲良くなることだ」
『え』
「その上で、あの荒御魂とどういう繋がりがあるのか調べる。これを基本方針とする」
『……!』
咄嗟に勇吾と藤太は同時に口を開け、
「先輩命令な?」
『……』
閉じた。
(長い任務になりそうだな……)
勇吾は隣の二人に気付かれない程度に、小さなため息を漏らした。
【第16話に続く】
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