第13話:磑風舂雨

「……あ」

「……っ!」

「あ、さより先輩だ。お疲れ様です〜」

「おお、かなめぇにつーちゃんじゃん。おつかれ〜」


 三玉神社に帰ってきたのは、夜の九時を回ろうかというところ。

 さよりと共に討伐報告をしに本殿へ向かう道すがら、薄暗い御社殿の廊下で行き会ったのは要と紬の二人だった。


「先輩たちも討伐報告ですか〜?」

「そーなの。ゆーごくんの初任務でね」

「ほぁ〜それはめでたい! おめでと〜、お疲れ様!」

「え、あ、ありがとうございます……」


 パチパチと拍手をする紬。

 勇吾は照れ臭くなりながら答える。

 すると彼女は突然ハッ! と何かに気づいたように目を丸くして、


「そーだ自己紹介忘れてた! あたし小糸こいとつむぎ、よろしくね〜」

「あ、内海勇吾です……よろしく」


 紬から差し出された手を軽く握って離す。

 握り方に気を遣った。間違っても堪能していると思われないように。


「内海くんは何年生なの? その制服、三玉高だよね?」

「高二です」

「うわお、タメだ! 要〜貴重なタメだよ〜!」


 要に抱きついて喜ぶ紬。

 しかし、


「……どうでもいい……」


 暗い視線を地面に落として呟いている要。

 相変わらず勇吾に対してはキツい態度だ。

 それを見た紬は、


「要も自己紹介したら? まだしてないんでしょ?」

「……」

「これから一緒に戦う仲間なんだからさ〜、コミュニケーションは連携の一助ってさより先輩も言ってたよ〜? ねえ先輩」

「そーよ。これからデカい討伐もあるかもしれないんだし、互いの名前も知らないんじゃ連携も何もあったもんじゃないよ? ちょっとのすれ違いで一気に壊滅しちゃうかも」

「えっ壊滅⁉︎」

「可能性の話だよ、ゆーごくん」

「〜〜っ……」


 やり取りを聞いていた要は、口元をもぞつかせながら何かを堪えるように視線を泳がせた後──一言。


仁科にしなかなめ

「⁉︎」


 ビッ!

 勇吾の腹を突き刺すかという勢いで手を突き出した。

 早くしろ、と目が訴えていた。


「う、内海勇吾ですっ」


 ガチガチに固まった真っ白な手を、勇吾は一瞬だけ握って離した。

 長く握ったと判定されたら切り落とされそうだった。

 それを見てよしよしと満足そうに頷いた紬は言う。


「同い年ならタメ語でいいんじゃないかなあ? あたしはもうそうしちゃってるけど」

「わ、わかった」

「まだ固いな〜。早く慣れるといいね!」


 にっこりと微笑みかけて、


「じゃあ、あたし帰るね? 皆おやすみ〜」

「うん、おやすみなさい」

「つーちゃんおやすみ〜」

「……紬」

「なぁに?」


 勇吾とさよりが応える中、要が呼び止めた。

 何故かおどおどと窺うように、


「後で……通話……」

「おっけ! また連絡するね〜」


 片手でOKマークを作って、紬はるんるんとした足取りで御社殿を出て行った。

 要は少し安心するように息をいていた。

 その背中を見送った後、


「うちらも行きましょーか」

「あ、はい」

「じゃ、かなめぇもおやすみ。またね」

「おやすみ、なさい〜……」

「……」


 紬が去った途端に黙り込んだ要の横を、さよりは普通に、勇吾は恐る恐る通っていくと、


「内海勇吾」


「はひ?」


 声が裏返った。まさか呼び止められるとは露ほども思っていなかったのだ。

 振り返ると、要は背中を向けたまま、


「神になる気なの?」

「え……」

「どうなの」


 声は平坦だったが、言葉の端に刺々しさが見えた。

 勇吾は少し考え、


「……今のところは、微妙かな」

「……」

「けど、神様になる、ならないの前に、僕の周りが危険に晒されるなら、それは守ろうと思うよ」


 紛れも無い本心だ。

 大切な友人が傷ついて、危うく死なせてしまうところだった。

 失うのはもう二度とごめんだ。

 取り返しがつかないことになる前に自分の手で守れるのなら、勇吾は進んでそうしようと覚悟を決めていた。


「……」


 要は俯くと、首を振った。

 真っ赤なリボンが飾る漆黒の髪がさらさらと揺れる。

 勇吾にはそれがどう言う意味かわからなかった。

 やがて彼女は言った。


「わたしは、あなたに背中を預けようとは思わない」

「……!」


 言葉に詰まる。しかし、


「……そりゃ、僕、ここに入ったばかりだし、役には立たないだろうけど」

「関係ない」

「じゃあどういう」

「己の意志がない者は、すぐに死ぬ」

「っ!」

「そして、周りもそれに巻き込まれる」

「……」


 勇吾は完全に言葉を失った。

 眉を立てたさよりが勇吾の前に出て、


「要、言い過ぎ」

「言い過ぎ?」


 要が振り向く。

 瞳が紫色に染まっていた。

 あの夢で見た時よりもずっと苛烈で、ギラギラと凄絶に輝くさまに、勇吾は思わず一歩後ずさった。

 頭を押し下げられるような神様の圧ではない。

 突き放すような、感情の圧に呑み込まれていた。

 その目でさよりを睨んだ彼女は、


「あなた、誰かのせいで死ぬとして、素直に受け入れるような人間だった?」

「っ」


 咎めるようなそれにぐ、と喉を鳴らすさより。すぐに感情を鎮めるように一瞬目を閉じ、


「……それとこれは、別の問題でしょ。ゆーごくんはこれからもっと強くなるよ」

「今、足手纏いなら、意味がない」

「要……」


 言い切る要に、さよりは大きくため息をついてこめかみをガリ、と掻いた。これ以上話しても意味がないと、諦めるように。

 要はさよりから勇吾に目を移すと、


「あなたの代わりはいくらでもいる……必ずあなたが戦わなきゃいけないわけじゃない」


 息を吸い、


「考えて。生半可な覚悟のせいで、人が死ぬかもしれないってこと」


 言い残し、くるりと背を向けて立ち去った。


「……」


 とん、とん、とん、と遠ざかる足音を聞きながら、勇吾は立ち尽くしていた。

 自分の手で取り返しのつかないことを起こしてしまう。

 それは、ずっと恐れていた。

 この手で死なせてしまうなど、その最たる例。

 だからそうはさせないと、守ろうと決めた。

 それが——自分の覚悟が、人を死なせるかもしれないなんて、少しも考えたことがなかった。

 勇吾も気付かなかった一番最悪の形を、要がその言葉で露わにしたのだった。


(そうやって決め込んでいれば、大丈夫だと思っていたのか?)


 実際のところ。

 ゾンビとの戦いは、さよりの助けがなければ勝てなかった。

 ぬいぐるみとの戦いは、瑞樹と一緒でなければ勝てなかった。

 一人では勝てない。

 そのくせ、傲慢にも。


(この力があるなら守れると、まだ思い込んで……!)

「……ゆーごくん、あの子の言うことは極端だから、そんなに気にしない方がいいよ」


 要が消えた曲がり角を見つめながら、さよりは言う。


「あの子は、ああやって考えてないと生きられないだけ。自分の感情を優先して、それ以外を捨ててきた子なの」


 痛ましそうに目を瞑った後、ぱっ! と笑って振り返り、


「だ〜いじょうぶ! 今からだって全然間に合うし、他の子達も簡単にやられるほどヤワじゃないからね。ゆーごくんは、ゆーごくんのペースで力をつければ──……」


 言葉が不自然に止まったのは、勇吾の沈んだ姿を見たからだろう。


「……」


 何か返事をかえすことすら出来なかった。

 ゆーごくん、と呼ぶ声も届かない。

 だって、


(今強くなきゃ、意味がない……)


 要に言われて自覚した。

 仮に今、荒御魂に襲われても、守られるだけだ。

 今、友人が襲われても、勇吾では守れない。

 それなら覚悟の意味なんか──


「ねえ、ゆーごくん、聞いてくれる?」

「……?」


 問われて、顔を上げる。

 さよりは何故か、少し恥ずかしそうに口を開いた。


「あたしね、死にたくないの」

「……?」


 怪訝な顔をすると、彼女はえーと、と目線を逸らしながら続ける。


「死にたくないから、神様になりたい……んだよね。言うの恥ずいんだけど」

「え……」


 勇吾は目を見張った。

 神徒が目指す最終目標。

 荒御魂を倒し、神力を集め切った先になれる存在。

 神となること。

 楽ノ神から言われた後もどこか現実味がなく、何となく流していた。

 実際になりたいと聞くのは初めてで、しかもさよりがそうだとは思いも寄らなかった。

 ただ勇吾は、彼女の言葉に疑問を抱いた。


「それ、って……矛盾してませんか」


 死にたくないなら、荒御魂との戦いに赴くのは尚更危険だ。

 さよりは勇吾よりもずっと強いが、戦い続けているうち、いつ下手を打って死んでしまうかもわからない。

 さよりはあはは、と苦笑いして、


「そう思うよね〜。あたしだって変だなって思うもん」

「なら、どうして」


 伝わるかなあ、と呟き、彼女は続けた。


「勝てば、死からは必ず遠ざかるんだよ」

「……」

「神力を飲んで強くなるだけじゃなくて、神様にも近付く。あたしはその度に安心するの。ああ、まだ死ななくて済むって」

「……なる、ほど……?」


 その感情は、勇吾には中々理解し難かった。

 だって、わざわざ戦いに行って、神力を手に入れて強くなったところで、


「人は、いつか死ぬじゃないですか」

「そう。だから神様になって、死なない存在になりたいの」

「……!」


 息を呑む。

 楽ノ神も言っていた。

 神様になれば大抵の願いは叶う。

 例えば富。

 例えば名声。

 そして、不老不死。

 人類には見果てぬ夢だが、神力があれば本当に叶う──らしい。

 それを、さよりは本気で求めているのか。


「そこまでして……なんで」


 ん〜、とさよりは唸って、


「これ以上は有料かなあ」

「ゆ、有料⁉︎ お金取るんですか」


 愕然とする勇吾に、彼女は当たり前のように言う。


「だ〜ってさぁ、死にたくないって話だけでもめちゃくちゃ恥ずかしいのに、理由なんか聞かれたらそりゃ、お金でも取らないとねえ? この話の主題はそこじゃないし」

「主題?」


 頷くと、さよりは手のひらに橙色の光を生み出した。

 暖かく灯るそれを、同じ色に染まった瞳に映しながら、


「あたしは神力のと性格が合わなくてさ、最初のうちは思う通りに戦えなかったの。何度も死にかけた」

「……」

「あたしは楽さまから神力を貰って神徒になったんだけど、楽さまの神力には、楽しいとか、心地いいとか、そういう感情を抱くことで神力を強める性質がある。……でも、あたしにはどうしても、神力を使うことに楽しさを見出せなかった」


 揺らめく橙色の光を、ぐっと握りしめた。


「あたしは他の神徒と同じようには強くなれない。だから考えた。死なないために、神力を集めるために、沢山考えて、沢山試した」


 顔を上げたさよりの笑みは、今にも消えてしまいそうに儚くて。


「ただ無我夢中だったんだよ。気付いたら、要と一緒に『盤楽遊嬉』のツートップなんて言われるようになってた」

「先輩……」

 

 何と答えたらいいかわからない勇吾に、彼女はにこっ、と優しく笑いかけた。


「だから、ゆーごくんも何か考えるより先に、無我夢中になればいいよ」

「無我、夢中」

「ただがむしゃらに、一つの目標に向かって、分け目も振らずに走る。……要じゃないけどさ、そう言う奴が強くなっていくんだと思うよ」

「……!」


 その言葉で勇吾は思い出した。

 ぬいぐるみの荒御魂に遭遇した時、自分も思っていたじゃないか。

(考えるのは、死んだ後でも遅くはない)


「……そう、ですね。何にしても、とにかくやってみればいいんですよね」

「そーそー!」


 元気を取り戻した勇吾を見て、さよりは嬉しそうに笑った。

 始める前から諦めていたら、出来ることも出来ない。

 覚悟より先にするべきことがあったのだ。

 だから勇吾は決意した。


(強くなろう)


(今は迷わないで、ただ真っ直ぐ)


(大事な人を守れるぐらい、強くなろう)


「さ、楽さまに報告行こ。待ちくたびれてるかも」

「はい!」


 歩いていくさよりの背中を追いかける。

 その先にどんな苦難が待っていようと。

 立ち止まりそうになろうとも、この決意が動かしてくれると信じて。



 ***



 猫も眠るほどの夜更け。

 ぶちぶちぶち、と生肉を引き千切る音と。

 ぐちゃぐちゃ、もちゃもちゃ、という咀嚼音が、路地裏に不気味に響いている。


「ミドリ、おいしい?」


 そこに、幼い少女の声。

 応えるのは、


〈……ウン〉


 口元を真っ赤に染めた、淡い緑色の髪と薄紅色の瞳を持つ青年。

 端正な顔立ちだが感情が希薄な顔に、僅かに落ち込むような色を浮かべ、


〈デモ、マタ、カリンニ無理、サセテル……〉

「へいき。花鈴かりん、ミドリに早く元気になってほしいんだもん」

〈アリガト……カリン〉


 鮮血をぶちまけたような地面の上で青年の『捕食』を見ていた少女は、嬉しそうに笑った。




【第二章へ続く】

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